見出し画像

朝活

三連休1日目、朝から偏頭痛で朝活は中止。あまりの痛さで吐き気がしてじっとしていた。
夕方から窓ガラスにシャワーがかかってるのかと思う様な雨と風が吹きつけた。
あ、秋分の準備なんだ、最近わかりやすいなあ…と思い、ずっと観たかった「陰陽師0」を観た。右目と偏頭痛。嵐が来て、気圧の関係だったのか、激しい雨と共に痛みが引いていく。

涼しくなったけど、まだ全然朝に外出したい気持ちにならなくてお休みは観たかった映画を観て好きなだけ眠った。

陰陽師0の感想を書こうかと思っていたけど、ふと伊丹万作氏の言葉を書きたいと思った。

「さて、多くの人が、今度の戦争でだまされていたという。みながみな口を揃えてだまされていたという。私の知つている範囲ではおれがだましたのだといつた人間はまだ一人もいない。ここらあたりから、もうぼつぼつわからなくなつてくる。多くの人はだましたものとだまされたものとの区別は、はつきりしていると思つているようであるが、それが実は錯覚らしいのである。たとえば、民間のものは軍や官にだまされたと思つているが、軍や官の中へはいればみな上のほうをさして、上からだまされたというだろう。上のほうへ行けば、さらにもつと上のほうからだまされたというにきまつている。すると、最後にはたつた一人か二人の人間が残る勘定になるが、いくら何でも、わずか一人や二人の智慧で一億の人間がだませるわけのものではない。
 すなわち、だましていた人間の数は、一般に考えられているよりもはるかに多かつたにちがいないのである。しかもそれは、「だまし」の専門家と「だまされ」の専門家とに劃然と分れていたわけではなく、いま、一人の人間がだれかにだまされると、次の瞬間には、もうその男が別のだれかをつかまえてだますというようなことを際限なくくりかえしていたので、つまり日本人全体が夢中になつて互にだましたりだまされたりしていたのだろうと思う。
 〜略〜
 ここで私はその疑いを解くかわりに、だました人間の範囲を最少限にみつもつたらどういう結果になるかを考えてみたい。
 もちろんその場合は、ごく少数の人間のために、非常に多数の人間がだまされていたことになるわけであるが、はたしてそれによつてだまされたものの責任が解消するであろうか。
 だまされたということは、不正者による被害を意味するが、しかしだまされたものは正しいとは、古来いかなる辞書にも決して書いてはないのである。だまされたとさえいえば、一切の責任から解放され、無条件で正義派になれるように勘ちがいしている人は、もう一度よく顔を洗い直さなければならぬ。
 しかも、だまされたもの必ずしも正しくないことを指摘するだけにとどまらず、私はさらに進んで、「だまされるということ自体がすでに一つの悪である」ことを主張したいのである。
 だまされるということはもちろん知識の不足からもくるが、半分は信念すなわち意志の薄弱からくるのである。我々は昔から「不明を謝す」という一つの表現を持つている。これは明らかに知能の不足を罪と認める思想にほかならぬ。つまり、だまされるということもまた一つの罪であり、昔から決していばつていいこととは、されていないのである。
 
 また、もう一つ別の見方から考えると、いくらだますものがいてもだれ一人だまされるものがなかつたとしたら今度のような戦争は成り立たなかつたにちがいないのである。
 つまりだますものだけでは戦争は起らない。だますものとだまされるものとがそろわなければ戦争は起らないということになると、戦争の責任もまた(たとえ軽重の差はあるにしても)当然両方にあるものと考えるほかはないのである。
 そしてだまされたものの罪は、ただ単にだまされたという事実そのものの中にあるのではなく、あんなにも造作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己の一切をゆだねるようになつてしまつていた国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体なのである。」

これは普通に筑摩書房さんからの引用です。
全文はここから読めます

https://www.aozora.gr.jp/cards/000231/files/43873_23111.html

知り合いの左翼系の人が寄稿した雑誌に偶然載っていた。その人とは闘うと言う方法の違いで今はもう話さなくなった。
私の母方の祖母の生家に、松山東高時代、大江健三郎氏が遊びに来たことがある。そこから文学と左翼的な空気を普通に感じ取れる土壌が私にはあった。文学とイデオロギーは切り離せるものではなく、映画も然り。私はそういうものに惹かれるたちである。
ゾフィーショルの本も持ってる。どちらかと言うと、行ったことはないけど東欧の作品に惹かれていた。
それは私が住んでいる国があまりに優しく、平和だったけど、ぼんやりと何が正解で、誰が正しいことを伝えているのか分からなかったから。
私が住んでいる県では、誰も本当のことを教えてくれない。

私は、本当のことが知りたかった。
ただ、それだけのことであんなに遠くまで私は飛ぶ事ができた。分布相応な学校で、沢山学ばせてもらった。
本当のことが知りたかっただけで、沢山の誤解や、傷つくことをされたことを私は忘れない。


でも、もう許さないといけない。

伊丹万作氏の文章はWW2についての考察だが、今読むとあまりにも最近の出来事を諭してくれているように読解できるくらい、真実を照らしてくれている。
伊丹万作の写真を見ると、目が開いていてこの人の魂がスッキリと見えるようだ。

時間がない、時間がないと言いながらこれから崩れていく資本主義のことを勉強したり、戦争のことやこれから起きる不可避な出来事に対して、女性がどれだけ危険にさらされているかを早く気がついてほしいと思う。
私は、そういうことを書きたいし、その為にあんなに遠くまで芸術を教えてもらいに行ったのだから。怖いけど、書いていきたいと思う。


伝わるって嬉しいし、死んだ時に後悔はしたくない

#朝活
#伊丹万作
#陰陽師0