見出し画像

朝活

今日のおやすみは久しぶりに図書館に行きました。自転車に乗って、お気に入りの珈琲屋さんへ寄って、太陽浴びてもう目標は果たした。
自習室100%だけど運良く座れる。
みんな、自分と向き合ってるな…いつも励まされます

お盆休み、ダラダラし続けた最後の日の夜に、かのアランドロン氏の訃報を知り、以前から観たかったルキノ・ヴィスコンティの「山猫」を観た。
それ、お休みの初日にやる行動では……

名作と言われてるものは、やはり名作だった。
3時間の大作なので、少しづつ観る。レンタルだから少しづつを3回くらい観ました。
なんだ…もっと早く観れば良かった、と思うくらいこの世界の仕組みについて良く分かるお話だった。
シチリアの領主、主人公の伯爵が、賢い。
とにかく賢い。
そして時代は変化していくのを理解して、資産を守りながら自分はどんな人間なのかを理解している。欲を出さない。
そしてあまり品のない、新興ブルジョアジーがどんな風に成り上がり、マフィアになっていくのかを華麗に描いている。

ローマから伯爵を議会へ誘いに来た客を見送る時に、「貧困はなくならない」と、2回言っていた。さり気ないシーンなのに、印象的だった。
1960年代の作品です。

少し長いけど伯爵とお抱え神父との会話を残してみたい

「今日は政治を見つめ直した。ここで何が起こってる? 何も起きていない。階級が見えぬ程度に代わるのみ。中産階級は破壊には加わらず…我らが地位を穏やかな手段で狙い、時には大金を積んでくる。これで現状を保つ。この国は妥協で成り立っているのだ。」

神父
「貴族は自由主義者と手を握る。フリーメイソンとも。」
「ですが教会はいつもその犠牲になっています。貧民を救う教会の農地を、時の権力者が奪うんです。教会が養ってきた飢えた民を誰が救えますか?その絶望をなだめられますか?最初は権利を与えるフリをし、やがて全土を奪うのが常です。主は盲人を治された。では〝魂の盲人〟の行く末は?」

伯爵
「私たちは〝魂の盲人〟ではない。」
「時代の変化に身を委ねる、ただの人間だ。海藻のようにな。」
「教会は魂の不滅を約束しているが、永遠の階級はない。100年の命を約束されても気休めにもならぬ。手の届かぬものにまで責任は持てん。」
「だか、教会の不滅ゆえに責任を持つのもやむを得ない。〝絶望〟には安らぎもふくまれる。神父も気づいてるはずだ。教会はいずれ救いの為に我らに犠牲を強いる。そうせざるを得なくなるはずだ…」

何のこっちゃ…?の人は是非、映画をどうぞ。因みに神父はイエズス会派ではない。

「何も起きていない」伯爵の言葉が深い。
彼は自分が古き良き時代の支配階級だとよく認識していた。星に向かっていつ戻れるのかと聴いている。
「山猫」の時代は、深く眠っているマトリックスの世界なんだけど、私が見ている今の世界は新しい世界なのかな?
変化してるようで、「何も起きてない」世界なのか。自由主義者の極みみたいな世界で、正体も見えてきた世界の為政者を、こんな庶民にも知られる様な世界。1960年代には考えられなかっただろう…
ずっと観たかった映画。
映画館で上映されるタイミングを待って、逃していたけどあっさりApple TVで借りれた…
良いお休みのフィナーレと、夏の思い出になりました。
心の声で聴いたことを、また書こうと思います。

おやすみなさい

#朝活