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ボーン・イン・ザ・U.S.A.(40周年記念ジャパン・エディション)/ブルース・スプリングスティーン初来日1985年


(敬称略)

どこかの誰か
「それってあなたの感想ですよね?」

わたし
「はい、そうです(きっぱり)。」

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1985年。

ブルース・スプリングスティーンが初来日。

観ないという選択肢は無かったです。

当然
チケットは
プレイガイド窓口販売のみ。

記憶が曖昧だけど
朝日新聞に広告が出たその日に
ウドーの前に並んで整理券をもらって
それをもって発売日にまた並んだような。

場所は何と
「代々木オリンピックプール」。

「プール?
勘弁してくれよ。」

「武道館空いてなかったのかよ。」

当時
そう思ったものです。

案の定
「ひっでぇ音」だったと
記憶しています。

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「ボーン・イン・ザ・USA」が大ヒットした頃ですから
当然
この曲をド頭に演りましたが
アリーナのみんな(あたりまえだけどほぼ日本人)が
拳を突き上げるのに
すごく違和感がありました。

わたしが感じた違和感は
おそらく会場にいた多数の人が
ぼんやりと共有していたものではないかと思います。

(当然これは
ブルースのせいじゃないです。)

「黄色い奴らを殺すために
 よその国に送り込まれて・・・」

「オレはアメリカに生まれちまったんだ!」

これ
日本に住んでて
「無自覚に」一緒に歌えるヤツの
「おつむ」を疑いますよ。

もちろん
この歌を
自分が生まれた国の
納得できない政策とかに翻弄されて
(右だの左だの関係なく)
青春を費やしたやりきれなさを歌ったものと捉えれば
ある種の普遍性を得ますから
日本人が共感することも
あながち間違いとは言えないでしょう。

そういう理解であれば
日本人に限らず
どこの国の
どんな人種のヒトであっても
この歌をブルースと一緒に歌い
拳を突き上げることが
できるでしょうけど。

どうも
そんな雰囲気じゃなかったと
感じていたのです。

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アメリカでも
共和党の某大統領候補が
選挙運動の会場で流したとかで
ブルースが不快感を表したとWikiに。

どこの国でも理解力が乏しくて
救いがたいヒトって
いますからね。

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ブルース・スプリングスティーンの75歳の誕生日(9月23日)に合わせて、
9月25日(水)に発売となる奇跡の3大特典付き日本独自企画盤
『ボーン・イン・ザ・U.S.A.(40周年記念ジャパン・エディション)』
(7インチ紙ジャケット仕様)が発売となるが、
1984年に発表されてから2024年で40周年を迎えたところだ。

アルバム収録曲の中でも世界中の人々に、
ブルース・スプリングスティーンのイメージを決定づけた
強いインパクトを持つ曲が、アルバムからの3枚目のシングルで
全米シングル・チャートで9位を記録したタイトルトラック
「ボーン・イン・ザ・U.S.A.」だ。
ブルース・スプリングスティーンにとって最大の
芸術的・商業的成功のひとつであり、
同時に「最も誤解されている作品」でもある。

このアルバムで初めて導入したシンセサイザーのリフとスネアを
強烈に叩きつけるドラム、たった2つのコードで繰り返されるフ
ァンファーレのような賛歌的な楽曲ゆえに、
「米国に生まれたんだ」と高らかに宣言する単純な愛国歌と、
ロナルド・レーガン大統領を含む多くの人びとに誤解されたが、
実のところは「米国に生まれたのに…」という現状への苦々しい思い、
やりきれなさを吐き出すプロテスト・ソングであり、
ベトナム帰還兵への残酷な扱いと彼らの苦悩を描いた曲である。

この曲が生まれた背景には、ボビー・ミュラーとロン・コビックという
2人のベトナム負傷帰還兵の反戦活動家と知り合い、
帰還兵の支援に積極的に協力するようになったことがある。
ベトナム帰還兵は、他の戦争の退役軍人が英雄的歓迎を受けたのに対し、
祖国に戻ってもほとんど無視され、多くの人が
心的外傷後ストレス障害やその他の病気に苦しんでいた。
ブルースは帰還兵の人たちから直接聞いた話をもとに、
1981年に当初は「ベトナム」という題名でこの曲を書き始めた。
そんなところにポール・シュレイダー監督が、クリーヴランドで活動する
バー・バンドの試練を描いた『Born In The U.S.A.』という映画の脚本
送ってきた。
ブルースは脚本の表紙にあった題名をコーラスとして歌ってみた。
結局、ブルースは映画出演の依頼を断り、その題名の歌を完成させる。
その代わりに、ブルースはその映画にために「Light Of Day」という曲を
書き下ろし、それがそのまま新しいタイトルとなり主題歌となった。
映画『Light Of Day(邦題「愛と栄光の日々」)』は
1987年に公開された)。

元々「ボーン・イン・ザ・U.S.A.」は、
ボトルネックネックギターで弾き語るブルージーなアレンジで
生まれた作品で、1982年の『ネブラスカ』への収録も検討されていた。
1995年に行われたソロ・アコースティック・ツアーでは、
この曲を「これはプロテスト・ソングで、GI(兵士)のブルーズだ」と
紹介し、アコースティック・ギター1本の弾き語りで披露している。
そこには愛国歌と誤解する要素など一片もなく、
帰還兵の苦悩を描く作品として解釈されるものだった。
1997年に東京国際フォーラムで行われた日本公演でも、
このアレンジで演奏されている。

9月25日に発売となる日本独自企画盤『ボーン・イン・ザ・U.S.A.
(40周年記念ジャパン・エディション)』
(7インチ紙ジャケット仕様)は、『BORN IN THE U.S.A.』の
オリジナル・アルバムに加え、ボーナス・ディスク3枚を追加した
計4枚組としてリリースされる。
日本独自の見開き7インチ紙ジャケット仕様で、
初来日時のオフショット含む未発表写真満載のフォト・ブック、
初来日のドキュメンタリー的な秘話満載の詳細な日本語ブックレット付。
さらに、1985年の初来日公演の
「BORN IN THE U.S.A.JAPAN TOUR」のために作成された貴重なツアー告知ポスターが封入される。

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ブルース・スプリングスティーン / ボーン・イン・ザ・U.S.A.
(40周年記念ジャパン・エディション)

2024年6月21日で日本発売からちょうど40周年を迎えた、
ブルース・スプリングスティーン(Bruce Springsteen)
『BORN IN THE U.S.A.』。
2025年4月にはブルース・スプリングスティーン&Eストリート・バンドの
初来日公演から40周年を迎えます。
その記念すべき年に日本独自企画が実現。
『ボーン・イン・ザ・U.S.A.(40周年記念ジャパン・エディション)』
(7インチ紙ジャケット仕様)が、ブルース・スプリングスティーンの
誕生日(9月23日)に合わせて、9月25日に発売されます。
「3大特典付」1985年初来日公演にフォーカスした日本のファンのための
特別企画です。

3大特典:

★「ボーナス・ディスク3CD」:
1985年4月の初来日公演から数か月後の1985年8月
地元NJジャイアンツ・スタジアムでの圧巻の
フル・ライヴ・パフォーマンス全29曲まるごと収録!
(初来日公演に近いセットリスト)

★「1985 Japan Tourメモリアル・フォト・ブック」:
1985年4月のブルース・スプリングスティーン&Eストリート・バンドの
初来日時のライヴ・フォト、オフショット他未発表写真満載の
フォト・ブックを収録!

★「初来日公演ツアー告知ポスター」:
超貴重!“BORN IN THE U.S.A. JAPAN TOUR 1985” ツアー用の
告知ポスターを復刻、封入!

この日本独自企画盤は、『BORN IN THE U.S.A.』の
オリジナル・アルバムに加え、ボーナス・ディスク3枚を追加した
計4枚組。
日本独自の見開き7インチ紙ジャケット仕様で、初来日時の
オフショット含む未発表写真満載のフォト・ブック、
初来日のドキュメンタリー的な秘話満載の詳細な日本語ブックレット付。
さらに、1985年の初来日公演の
「BORN IN THE U.S.A. JAPAN TOUR」のために作成された
貴重なツアー告知ポスターが封入される、
日本のみのスペシャル・パッケージ(完全生産限定盤)。

1985年4月に行われた
ブルース・スプリングスティーン&Eストリート・バンドの初来日公演は、日本の音楽史の中でもエポックメイキングな出来事で、
その凄まじい圧倒的なライヴ・パフォーマンスは様々な人々の人生を変え、日本のミュージシャン達にも多大な影響を与えた。
そんな歴史の1ページをしっかりと記録と記憶に残すため、
1985年の初来日ドキュメント的なブックレットが今回の日本独自企画盤に
同梱される。
貴重な未発表写真満載のフォト・ブックには来日公演に同行した
伝説的フォトグラファー、ニール・プレストンの未発表含むライヴ写真、
原宿や京都でのオフショット、及び日本に残されていたアーカイヴ写真、
ツアー関連資料、全公演チケット、新聞、雑誌表紙、
アルバム発売時の宣伝資料、メモラビリアなど貴重な写真を集大成。『BORN IN THE U.S.A.』アルバム発売から1985年の歴史的初来日公演まで、日本からの視点で再検証する、日本のスプリングスティーン・ファンの
想いを詰め込んだようなメモリアルで資料的価値のある内容になっている。

ボーナス・ディスクには1985年4月に行われた
ブルース・スプリングスティーン&Eストリート・バンドの
初来日公演から数か月後の1985年8月22日、地元ニュージャージーの
ジャイアンツ・スタジアムでのライヴ29曲を3枚のCDにまるごと収録。
同年4月に行われた日本公演のセットリストに近く、
全29曲中24曲が日本公演で披露された楽曲。
『BORN IN THE U.S.A.』のアルバム全12曲から10曲、
シングルB面曲〈「ピンク・キャデラック」〉、そして、
名曲の数々を含め、当時の初来日公演のあの感動が蘇るような
感動的ライヴ・パフォーマンスを堪能できる。
さらに、アルバムの制作半ばでEストリート・バンドを離れた
スティーヴ・ヴァン・ザントがアンコールに登場し、
5曲に参加するファン歓喜の瞬間も収録。

ブルース・スプリングスティーン&Eストリート・バンドの初来日公演は1985年4月に東京、京都、大阪で3都市、8公演が行われた。
その後1988年に東京ドームで開催された
アムネスティ・インターナショナルの「ヒューマン・ライツ・ナウ」
チャリティ・イベントに参加、
1997年にソロ・アコースティック・ツアーで東京国際フォーラム公演を
行ない、ブルース・スプリングスティーンは
過去3度の来日を果たしている。
現在、再来日公演を最も切望されているアーティストの一人といえる。


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