ラリー・カールトンはいつから日本で知られていたのか?
(敬称略)
どこかの誰か
「それってあなたの感想ですよね?」
わたし
「はい、そうです(きっぱり)。」
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1974年9月号の
「ライトミュージック」です。
レコ評ページに
以下が載っています。
洪栄龍の記名記事です。
(おそらく)
我が国における(大袈裟!)
ラリー・カールトンに関する記事としては
かなり初期のものでは
ないでしょうか?
洪栄龍は
冒頭で
「ラリー・カールトンを知っている人は
どれだけいるでしょうか?」と
書いています。
「ライト・ミュージック」という雑誌は
その内容からして
読者は楽器を嗜むヒト(アマチュア・ミュージシャン)が
多かったと思います。
それでも
この時点で
ラリー・カールトンの知名度は
かなり低かったんじゃないでしょうか。
まして
(わたしを含む)一般的なリスナー
(ヒットチャートを追いかけてるような)が
その名を知るはずもありませんでした。
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ラリー・カールトンの1stアルバムは
1968年リリースですが
日本盤は
発売されなかったようです。
ですから
ラリー・カールトンの
1stアルバムのレコ評が
どこかの雑誌に載ったということは
(おそらく)なかったかと。
(この記事の時点では)
洪栄龍も
1stアルバム未聴のようです。
(この1stアルバム
わたしは
遥かにずーっと後(1990年代後半?)に
輸入盤CDで聴きました。)
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洪栄龍は
ロスのスタジオ・ミュージシャンについて
名前を列記して触れていますし
ラリー・カールトンのセッション参加作品を
紹介しています。
1970年代前半頃の
ラリー・カールトンの参加作品は
クルセイダースを除くと
MORっぽいヴォーカリストや
フォークの香りがするSSWが多く
派手なギター・ソロはありません。
それでも
「聴くヒトが聴けばわかる」ってことで
この頃から
ラリー・カールトンに注目していたんですね。
あたりまえかもしれませんが
音楽を生業としている
「ミュージシャン」は
常に
アンテナ高く情報収集し
「技」を磨いているということでしょう。
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ラリー・カールトンの3ndアルバム
「夜の彷徨」がリリースされたのは
1978年。
スタッフ(エリック・ゲイル、コーネル・デュプリー)、
リー・リトナー(ジェントルソウツ)、
アル・ディ・メオラ、デビッド・スピノザ、
ジョン・トロペイ、スティーブ・カーン。。。
クロスオーバー・ブームの真っ只中で
本来は
表舞台に立つことが少なかったはずの
スタジオ・ミュージシャン(ギタリスト)の
アルバムが続々とリリースされるなか
満を持して登場したという印象でした。
わたしは
発売日
学校帰りに購入して
ほんとうに冗談抜きに
「擦り切れる」ほど聴きました。
洪栄龍のレコ評から4年
「ミュージシャンズ・ミュージシャン」の代表みたいだった
ラリー・カールトンは
地方のエレキギター初心者の
「神」になったのです。
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