見出し画像

はっぴいえんど史観/ジャップ・ロック・サンプラー

(敬称略)

「はっぴいえんど史観」って
どういうものなんですかね。

はっぴいえんどを
「日本のロック」の源流として
とらえて語る人たちに対する
ある種批判的なニュアンスの
言葉と捉えてますけど
あってますか?

日本の現在の大衆音楽のうち
いわゆる「ロック」とか
「ポップ」とかいうものの
礎となったものとしての
はっぴいえんどの評価が過大すぎる、
あるいは
はっぴいえんどのほかにも
もっと評価すべき対象がある、
ということですかね。

バンドとして存在していたときに
一世を風靡するような
大きなセールスを
あげていたわけではないことから
後付け感が強いのかもしれません。

どの意見にも
特に同意したり
反論したりする必要性を感じませんね。

>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>

もし
日本という国が
100年後にも存在して
自分の意志で
好む音楽を聴ける国であったとして。

(この前提かなり怪しいと思いますけど。)

そこで100年前の(つまり現在の)
この国で聴かれている音楽が
どのように評価されているか
なんて
考えるだけ無駄だと思いますよね。

でもそこで
無理やり想像力を働かせてください。

その100年後の世界では
秋元某とかいう山師がでっちあげた
やたら人数が多くてやかましいだけの
ひとやまいくらみたいな
お遊戯集団の音源が
「洗練されたサウンドがポップの極み」とか
「心象風景を鮮やかに切り取った歌詞」とか
崇められているとしたら。

そしてそこでは
その方法論をなぞったと思しき
回転ずしチェーンの
型抜き寿司みたいな
音楽で溢れかえっていたとしたら。

どうです。

絶望するでしょう。

その評価が
現在のわたしたちからしたら
とんでもない勘違いだとしても
そんなこと
仕方ないじゃないですか。

世界はある意味
誤解で成立していると
諦めて
笑って暮らすのが
一番ストレスレスです。

>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>

「はっぴいえんど史観」に限らず
既成の評価に偏らず
いろいろな音源に
耳を傾けることが素晴らしいのは
もちろんですが

こんな書物↓を手引きにすると
音楽的陰謀論(笑)の囚人に
なるかもしれません。

この本↑
面白がるのはともかく
(わたしも面白く読みました。)
ありがたがるのは
大馬鹿野郎ですよ。

>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>
だれか
「それってあなたの感想ですよね?」

わたし
「はいそうです(きっぱり)。」

















この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?