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「商売人」と揶揄されても/ジョン・メイオール


(敬称略)

どこかの誰か
「それってあなたの感想ですよね?」

わたし
「はい、そうです(きっぱり)。」

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むかし買った
エレキ・ギター本の
ディスク・ガイドに
「ビーノ・アルバム」が載っていました。

そこに
「ジョン・メイオールの商売人根性が
むき出しのアルバムだけれど
クラプトンのプレイは素晴らしい」みたいなことが
書いてあって
それを読んだ初心者ギター少年は
「そうなのか。」と
頭に刷り込まれてしまいました。

「フォー・ユア・ラブ」みたいに
軟派な曲なんか
(いい曲なのになぁ)
「やってられっか」と
ケツをまくったクラプトンに
好き放題弾く場を与えたわけで
商売人かどうかはともかく
プロデューサー的な感覚は
たしかに
あったヒトなんだと思います。

「ビーノ・アルバム」の頃
クラプトンは
ブルースブレイカーズから
抜けたりまた入ったりしてたらしいですが。

このアルバムで
クラプトンの評価があがると
「じゃオレも」と
腕に自信あるギタリストが
寄ってきたでしょうから
ジョン・メイオールからすれば
「選び放題」だったんじゃないですかね?

これって
オジー・オズボーンと
ギタリストの関係に
似てますよね。

「第二のランディ・ローズ」になりたい
ギタリストが
田舎道の水銀灯に集まる
カブトムシみたいに
わさわさと。

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“ブリティッシュ・ブルースのゴッドファーザー”とも呼ばれ、
エリック・クラプトン、ピーター・グリーン、
ミック・テイラーといった後のスターを育てた、
ジョン・メイオール&ザ・ブルースブレイカーズ
(John Mayall&the Bluesbreakers)の創設者である
イギリスのブルース・レジェンド、ジョン・メイオール(John Mayall)が
死去。
彼のSNSアカウントで発表。
90歳でした。

以下、声明より

「ジョン・メイオールが昨日2024年7月22日、愛する家族に囲まれ、
カリフォルニアの自宅で安らかに息を引き取ったという
悲しいお知らせをしなければならないことに、
私たちの心は重く沈んでいます。

ジョンの壮大なツアー・キャリアに終止符を打つことを
余儀なくさせた健康問題は、ついにこの世界で最も偉大な
ロード・ウォリアーの一人に安らぎをもたらしました。
ジョン・メイオールは90年間、私たちを教育し、鼓舞し、
楽しませるためのたゆまぬ努力をしてくれました。

2014年のガーディアン紙のインタビューで、
ジョンは次のように語っています。
“(ブルースとは)人生における経験を表現する生々しい正直さであり、
この音楽と言葉の中にすべてが集約されている。
私たちとつながっているもの、私たちの経験に共通するものなんだ”。
彼の生々しい正直さ、つながり、コミュニティ、そして彼の演奏は、
私たちが今日、そして何世代にもわたって経験する音楽と文化に
影響を与え続けるでしょう。

OBE(大英帝国勲章)に任命され、
グラミー賞に2度ノミネートされたアーティストであり、
最近ではロックの殿堂入りを果たしたジョンには、
6人の子供たち、ガズ、ジェイソン、レッド、ベン、ザック、サムソン、
7人の孫、4人のひ孫がいます。
また、先妻のパメラとマギー、献身的な秘書のジェーン、
そして親しい友人たちにも愛されています。
私たちメイオール・ファミリーは、この60年間、
彼のファンや長きに渡るバンドメンバーたちのサポートと愛を、
私たちが間接的に体験できたことに感謝してもしきれません。
ジョンは同じガーディアン紙のインタビューの最後に、
ブルースについてさらにこう語っています。
“正直に言うと、ブルースが何なのか正確に知っている人はいないと思う。
ただ、演奏することをやめられないんだ”。
どこかでブルースを演奏し続けてください、ジョン。
愛してます」

ジョン・メイオールは1933年にイギリスのマックルズフィールドで
生まれる。
子供の頃から独学でピアノ、ギター、ハーモニカを学んだ。
マンチェスター・カレッジ・オブ・アートを卒業後、
地元のミュージシャンと演奏する副業を続けた。

1963年、彼はフルタイムで音楽家として活動することを選び、
ロンドンに移住した。
同年に結成され、後にブルースブレイカーズに進化したバンドに1965年、
ヤードバーズを脱退したエリック・クラプトンがラインナップに加わった。折しもブルースロックの流行が到来する時期で、
クラプトンとともにメイオールも名を上げた。

クラプトンの脱退後も、後のフリートウッド・マックの
ピーター・グリーン、後のローリング・ストーンズの
ミック・テイラーらのギタリストを輩出、
ジョン・メイオール学校とも呼ばれる由縁となった。
そのほか、後のクリームのジャック・ブルースや、
後のフリートウッド・マックのジョン・マクヴィー、
後のフリーのアンディ・フレイザーなど、
多くのメンバーと共にバンドのラインナップは変遷していったが、
メイオールは残った。

メイオールは2014年、英ガーディアン紙のインタビューの中で
「私にはあるアイデアがあり、それを実現するために
適切な人を探しに行く必要があった。
私は伝統的なバンドリーダーであり、フロントマンでもあった。
私は自分の耳を頼りに、うまくいきそうな人を選び出した。
長期的に見れば、関わった人たちのキャリアを見れば、
私がかなり特別な人たちを選び出すことができたことが
わかると思う」と語っていました。

ブルースブレイカーズは1970年までレコーディング・グループとして
活動し、その後12年間は活動を休止した。
1982年に“ブルースブレイカーズの復活”が発表された。
バンドは2008年に解散したが、メイオールはレコーディングと
演奏を続けた。

メイオールは、ブルースブレイカーズおよび単独で
35枚のスタジオ・アルバムと34枚のライヴ・アルバムをリリースした。
最新作は2022年にリリースされた『The Sun Is Shining Down』。
2024年、彼はロックの殿堂入り
(ミュージカル・インフルエンス・アワード部門)を果たした。


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