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72年間のTOKYO、鈴木慶一の記憶 (RealSound Collection)/ムーンライダーズ

(敬称略)

どこかのだれか
「それってあなたの感想ですよね?」

わたし
「はい、そうです(きっぱり)。」

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この本
ムーンライダーズの
熱心なファンやマニアは
とっくに入手してるでしょう。

ムーンライダーズ(並びにメンバー個々)は
音源リリースは豊富なんですが
書籍関係はそれほどでもないので。

なにせ
鈴木慶一の
生誕前まで遡った内容なので
駆け足の印象は拭えませんが
そこは仕方ないでしょう。

もちろん
ムーンライダーズ
そして鈴木慶一の音楽活動は
今この瞬間も続いているので
何年かごとに
追加増強版を
お願いしたいと思います。

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(ものすごく野次馬根性ですが)
個人的には
初代ギタリストを
バンドから放逐した経緯を
もっと本音のレベルで聞きたかったです。

何十年も前のレコードコレクターズで
鈴木慶一が
スティーリー・ダン「Aja」の
あのスティーブ・ガッドのドラム・ソロを
「うるさい」と罵っていたのを
ぼんやりと記憶しています。

(返す刀で
スティーブ・リリーホワイトの
ゲート・エコーを持ち上げてました。)

これって
あの「ロビイスト」への
当てつけもあったんじゃないかと
邪推しています。

(坊主憎けりゃ袈裟まで憎いってヤツ。)

馘になったセイウチ(笑)は
スティーリー・ダンみたいな
サウンドを目指してたんで
バンドと方向性が合わなくなったと
どこかで読みましたが。

鈴木慶一は良識ある人なので
大昔の争いごとを
一方的に蒸し返したり
しないのだと思います。

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ムーンライダーズの
ニューウェーブ期は
音楽誌だけではなく
サブカルっぽいのや
いわゆる「鬼畜系」の雑誌にも
ちょこっと載ってた記憶がありますが
もちろんすべてを把握できていません。

こういうのも
落穂拾い的ですが
結構捨てがたいと思うので
メルカリとかで
漁っています。

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最近(でもないか)
一番良かったのは
サウンド&レコーディングマガジン
2022年6月号の特集記事です。

岡田徹のインタビューは
涙なしでは。。。

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音楽家・鈴木慶一の記憶から辿る、音楽を作り奏で続けた72年間

バンド・ムーンライダーズを結成して1976年にデビュー、その後もさまざまなミュージシャンとのバンドやユニット活動に参加する傍ら、CM音楽、歌謡曲などの楽曲提供とプロデュースに携わり、日本のポピュラー音楽史に多大な影響を及ぼしてきた鈴木慶一。

『MOTHER』などのゲーム音楽や、北野武監督の『座頭市』『アウトレイジ』をはじめとする映画音楽の名手としても知られる一方、俳優としての顔も持ち、映画やドラマへも多数出演。現在に至るまで精力的な活動を続けている。

本書では、1998年に『20世紀のムーンライダーズ』でライターとしてデビューし、その活動を追ってきた音楽評論家・宗像明将が、鈴木慶一本人に72年間の歩みを聞く集中取材を敢行。

湾岸エリアで育った幼少期から「日本語のロック」への目覚め、はちみつぱいやムーンライダーズ、個人の活動についてはもちろん、あがた森魚、はっぴいえんど、頭脳警察、YMO、KERAといったミュージシャンたちとの交流から別れまで……2023年の今だからこそ聞くことのできた貴重なエピソードの数々が収められている。

<目次>
1章:1951年ー1974年
■東京都大田区東糀谷、大家族暮らし
■母親が見抜いた音楽の才能
■「日本語のロック」への目覚め
■あがた森魚、はっぴいえんどとの出会いが変える運命
■バックバンドから独立したバンド、はちみつぱい
■混乱したライヴ現場での頭脳警察との遭遇
■風都市の終焉と、はちみつぱい解散
2章:1975年ー1983年
■ムーンライダーズの「最初の日」
■『火の玉ボーイ』鈴木慶一の曖昧なソロの船出
■椎名和夫の脱退、白井良明の加入
■ムーンライダーズとYMO
■鈴木慶一とCM音楽
■『カメラ=万年筆』で幕を閉じる日本クラウン期
■高橋幸宏とのTHE BEATNIKS、ロンドンで受けた刺激
■『マニア・マニエラ』屈指の傑作にして発売中止
■『青空百景』のポップ路線と、広がる若手との接点
3章:1984年ー1990年
■『アマチュア・アカデミー』以降の数百時間に及ぶREC
■ムーンライダーズ10周年〜『DON'T TRUST OVER THIRTY』
■ムーンライダーズ約5年にわたる沈黙へ 消耗する神経
■メトロトロン・レコード設立〜KERAとの初コラボレーション
■鈴木慶一、はちみつぱいとの「決着」
■鈴木慶一と『MOTHER』
■鈴木慶一と映画音楽
4章:1991年ー1999年
■ムーンライダーズを復活へと導いた岡田徹のバンド愛
■40代にして初の公式ソロアルバム『SUZUKI白書』
■鈴木慶一と90年代前半の雑誌/テレビ
■『A.O.R.』と大瀧詠一が残した言葉
■ムーンライダーズ・オフィスを巡る借金問題
■兄弟ユニットTHE SUZUKI〜『MOTHER2 ギーグの逆襲』
■移籍を繰り返してもつきまとう『マニア・マニエラ』の亡霊
■鈴木慶一と岩井俊二、Piggy 6 Oh! Oh!
■ムーンライダーズ20周年 ファンハウス時代の音楽性の多様さ
■鈴木慶一と演劇
■先行リミックス、無料配信……作品発表スタイルの模索
5章:2000年ー2008年
■宅録の進化がムーンライダーズに与えた影響
■『Dire Morons TRIBUNE』以降のバンド内での役割
■鈴木慶一と北野武、映画音楽仕事の充実
■新事務所、moonriders divisionの誕生
■夏秋文尚の合流〜『MOON OVER the ROSEBUD』
■鈴木慶一とcero、曽我部恵一
6章:2009年ー2021年
■高まり続ける映像やサウンドへのこだわり
■ムーンライダーズと「東京」
■鈴木慶一と『アウトレイジ』
■激動の2011年、ムーンライダーズの無期限活動休止
■Controversial Spark、No Lie-Sense始動
■かしぶち哲郎との別れ
■『龍三と七人の子分たち』〜ムジカ・ピッコリーノ
■鈴木慶一45周年 はちみつぱい・ムーンライダーズ再集結
■中国映画、アニメ映画音楽への挑戦
■コロナ禍に迎えた鈴木慶一音楽活動50周年
7章:2022年ー2023年
■新体制での『It's the moooonriders』
■鈴木慶一とPANTA
■鈴木慶一と高橋幸宏
■岡田徹との別れ
■バンドキャリア半世紀近くに取り組んだインプロ作品
■鈴木慶一と大滝詠一
■一つずつ叶えていく「死ぬまでにやりたいことシリーズ」
8章:鈴木慶一について知っている七の事柄
鈴木慶一年表(1951年ー2023年)



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