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【小説】平凡だったはずの少女について

平凡だったはずの少女について①


『連続のミッションでゴメンね、藤丸』
「いえ、レポートも書き終わりましたし大丈夫です。」

 腕に巻いた通信機に向かって話す私は、傍から見れば相当頭がイカれているように見えるに違いない。そう予想できたので人通りの少ないであろう部屋で小声で話しているのだが、そろそろ表へ出たほうが良さそうだ。
 今回の目標を確認して、通信を切った。表へ出ると、同行者が一名、わたしに目をやる。

「お待たせして申し訳ありません。今回もどうぞよしなに。」

 特異点の名は『屋敷街』。
 時代は1910年、明治の終わりの日ノ本だ。

「はぁ、付き合ってらんないよ」

 わたしは、髪は黒く染めて結い上げ、目の色もカラーコンタクトでダークブラウンに変えていた。

「そうおっしゃらず。」

 わたしは姿勢を正す。嫌というほどキツく締められた半幅帯のおかげで若干鳩胸気味だ。巻肩の癖を解くように意識的に手を下腹部で重ね合わせた。

 同行者…、オベロンは今回の特異点用に仕立てられた洋装で黙って私についてくる。
 一方のわたしは、眼前の光景に唖然とするばかりだ。

 『屋敷街』は、板張りの廊下と青々しい畳の六〜八畳間が繰り返されるだけの、とても街とは呼べない様相だった。これでは『屋敷街』ではなく、『座敷街』ではないか。加えて人通りの無さである。

「これ、記録にあった『徳川大迷宮』に似てない?あ、あんなイライラする作りではない点は評価するけど」

 『徳川大迷宮』にはルールがあったが、今回はお座敷が繰り返されるだけで、敵性反応は一切無いし、人影もまるで見当たらない。

「まるで神隠しのようですね。」

 わたしは畳敷きから縁側に足を踏み出す。室内の作りは日本家屋のくせに、見せかけの屋外は豪勢な噴水に、咲き乱れる花たち…、藤丸は花の名前に明るくなかったので種類まではわからなかった―—がシンメトリーに植えられている。遠くまで見渡せる眺望は悪くはなかったが、いかんせんその先にまで回廊が見えるのでうんざりした。

「ところで、いつまでその喋り方続けるつもりなの?気持ち悪いからやめてくれない?」

 オベロンの影が視界を横切った。

「ルールですもの。」
「君たちってそういうの好きだよね〜。あれかな?あそこの庭に植わってる花みたいに、管理されて全体の秩序を重んじてニコニコしてるのが正解☆って?あーあ、」

 わたしは目を伏せた。

「ほんッと胸糞悪い!」

 オベロンは庭に植えられていた花を、ドロドロの鎌で薙ぎ払い、噴水を木っ端微塵に破壊した。行き場を失った水が溢れ出し、散り散りになった花弁を押し流していく。どこまで行っても所詮は他人任せの、――のようだ。

「…で、ルールに則って君は名家のお嬢様で、俺はその従者ってわけだ。はーめんどくさ。還っていい?」
「クーリングオフは承りかねます。」

 わたしは次の障子をできるだけ静かに開けた。


平凡だったはずの少女について②


 特異点に変化はなかった。襖を開けて畳敷きを抜け、キレイに整えられた庭を横目に縁側を進み、障子を開け、古く艶の出た板張りの廊下をひたひたと歩く。足袋越しに感じる床材の冷たさが、故郷を思い出させた。
 最初のうちはオベロンの口から文句も出ていたが、飽きてきたのか黙りこくって数十分は経つ。

 燦燦と降り注ぐ太陽光が眩しい。熱くも寒くもない、季節感がまるで無い。手がかりだってまるで一つもない。

 わたしは畳敷きの部屋で、縁側の方を向いて正座した。歩き詰めで、足裏の感覚がマヒしている。少し休みたかった。
 結い上げた髪を後ろに払って、袖のたもとを整える。

「君の家には、こういう部屋は無かったのかい」

 横で無造作にあぐらをかくオベロンは、1時間ぶりくらいに口を開いた。差し込む光が瞼に落ちて、チラチラと光の粒が踊っている。彼の髪に茨の王冠はない。

「ええ。」
「…だから懐かしくもなんともないってわけだ。」

 指摘されてから、そうかもしれないな、と思う。
 わたしは改めて部屋を見渡した。床の間に、縁側へ抜ける障子に。
 ――故郷を感じさせる、というのは嘘だ。わたしはこんな部屋を体験したことがないし、縁もなかった。ただ知識として知っているだけ。これがこの時代に適合した『お屋敷』なのかどうかも知らない。

 心臓のあたりがキュっと縮んだ。

『失礼いたします』

 唐突に、後ろの襖の奥から声が聞こえてきた。女性の細い声だった。

『お披露目の時間でございます』
 
 「お披露目」が何を指すのかはわからなかったが、事態が動いたことだけは確かだった。どうやら休憩を挟んだのは正解だったらしい。
 わたしはオベロンに視線を送る。オベロンは面倒くさそうに鼻を鳴らすだけだった。

「どうぞ、お入りくださいませ。」

 わたしは声の主を座敷に招き入れた。


平凡だったはずの少女について③


「やぁ、立香さん。良いお天気ですね。」

 女性を伴って入ってきたのは、気立ての良さそうな若い男だった。女性の方はおそらく先程声をかけてくれた人だろう。着物をきっちりと着こなし、前掛けまでしている。女中さんだろうか。

「ごきげんよう」

 わたしはとりあえず挨拶をした。破れかぶれの演技だが、できるだけ自然に会話して、なにか情報を得ないと。
 男は目を丸くしてわたしを見ていた。わたしが訝しんで首を傾げたのを見た男は、コホン、と一つ咳払いをする。

「失礼。貴方が挨拶を返してくださることは、今までございませんでしたので。」

 「それで、」と男は続けた。

 男は男性用の着物だろうか、それを着崩さずにきっちりと着こなして、目元には丸縁のメガネをかけている。少し違和感を感じるのは、髪型が所謂オールバックというもので、ワックスで固めたようにテラテラとしているからだろうか。20代後半くらいの若い男だった。
 初対面で『立香さん』などと呼ばれるとは思わなかったが。

 わたしは出来るだけ表情を崩さないようにしながら男の様子を観察していた。そして同時に、必死で隣にいるはずのオベロンの気配を探っていた。オベロンもまた、微動だにせず男を観察しているのだろう、整った息遣いを感じるのみだ。

 男はわたしの不躾な視線を意図的に躱すように言葉を続ける。

「—本日はどのような品をお持ちいただいたのでしょう?」

 「どのような品を」という部分から、わたしは何かを差し出さなければならないようだと察する。

 しかしここは特異点であり、わたしの手持ちはほとんどない。男の口ぶりからするに、わたしは何度かこの男に『お披露目』をしていたらしい。それが何であったのかは知らないが、早速厄介なことになったことだけは理解した。

 わたしが押し黙っているのを観察していた男は、ふむふむ、と勝手に思案を始める。

「何もお持ちになっていないところを見るに、お品物ではないのですね。」

 わたしは二択の返事を選びかねていた。はい、と言えば目に見えない何かを『お披露目』しなければならなくなる。いいえ、と言えば「では何なのか」と問われるに違いない。

 隣から小さなため息が聞こえてきた。
 ため息をつくくらいなら口を挟んでくれてもいいのに。そうしないのは何かしらの意図があるのだろうか。

 今度は男が不躾な視線をわたしに向ける番だった。
 わたしはため息を言葉に置き換えて、落ち着き払ったようなフリをしながら男への返答を始める。

「…はい。ですが、わたくしが何を『お披露目』するのか、ご自身で正解を導いていただかなければ、『お披露目』することはできません」

 わたしはさも、最初からそう決めていたかのようにツラツラと言葉を並べた。嘘八百。しかし方便である。考える時間だけは稼げた。
 余裕のない言葉を反芻してから、ルールのわからないゲームを楽しむ余裕なんて自分にはないのだと痛感した。
 当然オベロンのことは信頼しているけれど、特異点にいるという現状はそれを上回る脅威である。最近は同行してくれるサーヴァントが多かったせいか、忘れがちだった初心が今になって思い出された。

 男はふむ、と唸った。

「貴方はいつも興味深い品を『お披露目』してくださるものだから、今回も物品であると予想していたのですが。いやはや、これだから貴方は面白い。ところで」

 男は一度わたしの隣にいるオベロンに視線をやってから、わたしを再び見て軽く微笑んだ。嫌な汗が背中を伝う。こういうときは大抵ろくな方向に話が進まない。

「以前のお話は覚えていらっしゃいますか?」

 覚えてないし知らない、と言いかけた口を必死で噤む。目の前にいる男がそもそも誰かすら知らないのに、あるはずのない記憶を引っ張り出してくることなんて出来ようか。
 涼しい顔をし続けるのも疲れるのだと、この男は理解しているはずもない。

「さて。無かったことになったのでは?」

 わたしは半ば祈る気持ちで適当に返事をした。そんな話は無かった、と言ってしまえば大抵の人間はそれ以上話を続けないものだ。が、男はそうではなかった。

「私は本気ですよ」

 存外に食い下がってくる男に、いい加減この話を辞めませんか、と言ってしまいたくなる。
 途端にこの会話がくだらない茶番に思えてくる。何故か穏やかな気持ちでは居られなかった。

 ——「本気ですよ」。わたしが『お披露目』する品に本気なのか、それとももっと別の、そう、例えば以前あったらしい話の内容に本気なのか。
 いずれにせよ、なんとか情報を聞き出さなければ。わたしがやるべきなのはこの男の話に付き合うことではなく、特異点を解消することなのだ。見失ってはいけない。

 わたしはそこで一つ疑問に思った。大して侮辱されたわけではない、男は終始丁寧な口調を心掛けているように感じる。ただ、問題があるとすれば、そもそも覚えのない内容についてしつこく食い下がってくることだった。

「…それで、何かお分かりになりましたか」
「そうですね。お品物ではないとしたら、機会かと思ったのですが、違ったようですし。」

 話題を上手く転換しようとしたのに、また戻ってしまう。わたしは段々、機械を相手にしているような心地になってくる。このままでは話は平行線だ。わたしは明かすべき手の内が空っぽであり、男はあるはずもない手の内を探り続けている。普通なら投げ出すはずなのに。

 男は薄っすらと笑みを浮かべたままだ。わたしはどんどん気味が悪くなって、何かに当たらなければ気が済まないくらいの、猛烈な衝動に駆られる。
 ——そうだ、この状況は普通じゃない。まるでRPGでクエストの依頼を受けるまで「そう言わずに頼むよ」を延々と繰り返してくる依頼人のような、そんな違和感がある。
 わたしでは、この男から情報を得ることはできないだろう。
 わたしは隣にいるオベロンへ視線をやった。ギブアップの合図だった。

 ――好きに演じていいよ。
 ――さっさと諦めてればいいんだよ、君は。

 オベロンは薄っすらと気味の悪い笑みを浮かべて、口を開いた。

「横から失礼、長い付き合いなのに分らないなんてきみの頭は空っぽなのかな?そんな男の元へお嬢さんをやるなんて、尚更考えられないなぁ。」

 男は面食らったように口をぽかんと開けていたが、また咳払いをしてわたしの方を向いた。

「どうしたんです、悪い従僕でも雇う貴方の度量は評価しますが、少々躾が荒いのでは?」
「どうでしょう。少なくともわたくしの気持ちを代弁してくれる、非常に良くできた従者であると、わたくしは評価しておりますが。」

 嘘は言っていない。男は初めて誰かを侮辱した。先ほどからどうにも暴れたがっていた腹の虫が、一層煮え立つような心地がした。
 男のほうも静かに憤慨しているようで、色白な顔に浮かんでいた微かな笑みすら顔から消えた。どうやら、わたしと二人だけで会話しているつもりだったらしい。思い込みも甚だしいし、彼はあくまでも従者役であって、従者は喋ってはいけないなんて決まりはどこにもない。

 そもそも、この状況を楽しんでいたのはこの男だけだ。名も知らない、素性だってよくわからない、この男だけだ。

「察しが悪い男は嫌われるよ?あ、ごめんごめん、もう手遅れだったね!」

 オベロンは軽々と言い放つ。心なしか楽しそうである。先程の言葉は訂正するべきだろう。楽しんでいたのは目の前の男と、オベロンだけだった。うん、これが正しい。
 しかし、これでまた事態が動くだろう。こちらが下手に出ないとわかった以上、男は何か行動を起こすはずだ。
 わたしは畳み掛ける。

「無かったことになったのでは、と申し上げました。」

 わたしはオベロンの言いたいこと…、つまり、男が主張したかったであろうことに大体の見当が付き始めていた。
 以前の話、とはつまり、わたしとの縁談やら婚姻話などだろう。大方、そういう”縁”の話であるようだとわたしは推測していた。
 …しっかり断っておかなければ。

「これ以降、貴方に『お披露目』する品も、その機会もございません。縁など以ての外、丁重にお断りいたします。」

 いよいよ目の前の男の表情が凍りつくのがわかった。そして一気に攻撃的な顔つきに変わっていく。
 この男は勘違いしている。わたしはどう思われようと構わない。そんな風に、「ひどい奴だ」というような顔をされたところで、揺らぎはしない。この苛立ちは、そんなことでは消え去りはしない。

「これこそがきみたちへの最後の『お披露目』さ!最高のプレゼントだろう?いやぁ、僕の主はそこらに転がってるような包丁より切れ味が鋭いからね、きみたちなんかには扱えないんだ。理解したかい?」

 あんまり褒められている気がしないのはなぜだろう。
 だが、この男にオベロンが侮辱されたときよりは、よほど腹は立たなかった。

「だから身の程知らずも大概にしろよ、見てるだけの外野どもが。お前たちなんか皆まとめて奈落にでも墜ちちまえ、クソッタレ!」

 オベロンは先程の口調からは想像もできない言葉を吐き捨て、目にも止まらぬ速さで男の首を搔き切った。

 本当なら止めるべきだが、わたしは止めるべきではないと感じたのだ。本当に、理由はわからないのに。

 この特異点で事前に知らされていたルールは「主体的にならない」こと。「受け身」を、—―つまり、「一人では何もできない人間」を演じること。
 …そして、それを破ることで特異点は綻ぶのだと、目の前にいたはずの男が跡形もなく消え去ったのを見て、わたしはようやく気づいたのだった。


前回

五里霧中|nado

次回

復讐劇|nado

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