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東海道RTA(T=徒歩): 旧東海道を半年かけて踏破した話 1章 箱根越え編

やっぱり僕は、旧道を征く、東海道ですか。

 昨年(2022年)に休日を利用して旧東海道を踏破した。完走してから約半年を迎えるに当たり、思い出を風化させてしまうのも忍びないので、簡単な記録を残すことにした。道中随時ツリーにぶら下げる形でツイートを続けていたので、「本文」はそちらにまかせ、こちらnoteでは、ツイートしなかったが印象深かったようなことを補足するような構成にしようと思う。
↓は一連のツイートツリーの総まとめポータル。

なぜ東海道なんだ

 3つの要因が去年のタイミングでうまく重なりあった結果なのかなと考えている。
 1つ目:原体験。小学校の歴史で「東海道中膝栗毛」が出てきたときに、名前がおもしろかったのに興味を引かれて図書館にあったのを読んだ。もちろん児童向けの抄録版だから飯盛女を買ったりみたいな話はちゃんと落ちているのだけど、おもろいおっさん二人の道中記としてなかなかよくまとまっていて、子供心にいつかこういう旅をしたいという下地ができたように思う。
 2つ目:目標ロス。なんやかんやで筆者の休日はドライブ旅行に大半を費やすようになった。マイカーによる全都道府県来訪、本土四端来訪を成し遂げて、一通りのことはやった感じになってしまい、ちょっとやることが思い浮かばなくなってしまった。あと、首都圏在住者のカルマとして、渋滞の回避のために窮屈なタイムテーブルで動かざるを得ないのにも疲れてきていて、心機一転別のことがしたくなっていた。
 3つめ:タイミング。東海道踏破を年内目標でやろうとすると、それなりのリソースを使う。ここで、体力、経済、自由の3つが比較的高水準で揃いうる時期はそろそろもう無くなることを薄々認識し始めていた。体力は上がる余地はないし、これ以降の社会人生活として経済と自由は概ね相反するだろう。なら、今やるしかないのではないか。
 かくして昨年、しこたま酒を飲んでからやり始めたんや。

レギュレーション的な話

 RTAなので、レギュレーションというか、自分の中で一応一定の決め事を持って取り組んだ。

  • 「旧東海道」を東京日本橋~京都三条大橋まで歩く。国道1号ではなく旧東海道を歩く。

  • 鉄道によるセーブ&ロード可:休日しか使えないからね。ただし、東海道五十三次の宿場の最寄り駅のみ使用可、到達した宿場より先の駅は使用禁止。例えばNo.52草津宿は京都まで「のぞみ」で向かい、そこから東海道線で戻るほうが圧倒的に高効率だが、それは禁止ということ。

  • 期限:年内 → 京都の紅葉シーズン入りまで:ケツを切ったほうが本気になれるからね。MBOやね。あと人混みは嫌いなので。

  • 予想最高気温31℃まで:安全、ヨシ!

 なお、旧東海道の道筋は以下のアプリに従った。旧道を征くにあたり、抑えるべきポイントがよくまとまっていて最後まで気持ちよかった(小並感)。

 前置きが大変長くなったが、以下本編開始。

行程01: 日本橋-品川-川崎(2022/4/23)

区間データ: 距離 4里18丁(17.66 km), タァイム 9:13:38~14:15:19 (5:01:41)

 初日から反省ばかりだった。一言で言って、20 km級の長距離を歩くことをなめていた。区間的にほぼ街歩きでしょってことで、水分補給、カロリー補給、装備品、休憩を適当ガバガバにした結果、蒲田の当たりでヘロヘロになってしまった。あと、日中に西に向かって歩くのに日焼け対策しなかったので、4月というのに顔の皮がパリパリめくれる事態になってしまった。とは言え、逆に痛い目を見たからこそ次から備えるべきものが明確になったので、様々な反省を胸にかけて胸にしまい、GWを迎えたのだった。
 ほぼ全区間第1京浜で、たしかにほぼただの街歩きなのだけど、第1京浜と分かれて、踏切をわたり品川宿に入ったときの景色の変わり方が見どころさんだった。

品川宿旧街道

行程02: 川崎-神奈川-保土ケ谷(2022/5/14) 

区間データ: 距離 3里27丁(14.74 km), タァイム 10:28:22~14:29:06 (4:00:44)

 初日の反省を活かして色々準備。

  • 水分補給、ヨシ!:とりあえずポカリ2本は常備。言うて、基本は国道1号の裏道なので、不足分の補充にはそれほど困らない。

  • 栄養補給、ヨシ!:携行食を持つことにした。個包装の和菓子詰め合わせなどを採用。

  • 休憩、ヨシ!:30分に1回は必ず休憩を入れることにした。総運動量は変わらんけど、疲労蓄積のカーブを薄く伸ばすのが大事。

  • 日焼け対策、ヨシ!:ちゃんと塗った。あと、つばの広い帽子を新調した。

  • 保護具着用、ヨシ!:かかとがすり減ったスニーカーは近所専用の履き潰し運用に回し、軽量のトレッキングシューズを新調した。あと、雨具も携行することにした。(一度痛い目にあってから)

  • カメラ、ヨシ!:交換レンズは持たないことにした。いや、カメラ要らんやろが正論なのだけど、多少はね?

 この区間を歩いて感じたのは、京浜間は東海道本線より京急本線がよく東海道に沿ったルートだということかな。何度も赤いのに抜かされた。あとは歴史の点と線がつながる的な感覚。生麦事件の現場を通過したときに感じた。大名の行列が通るようなルートだからこそ、その事件の現場が旧東海道上にあるんやな、と。

嫌な、事件だったね

行程03: 保土ケ谷-戸塚(2022/5/15)

区間データ: 距離 2里9丁(8.84 km), タァイム 8:10:34~10:20:10 (2:09:36)

 明らかな都会区間が終わり、いよいよ本格的に旧道を征く感じが出てきたところ。ほぼ全区間が国道1号現道から外れていることもあって、箱根駅伝でよく耳にする権太坂の本物や、フル規格の現存一里塚が見どころさん。短い1区間だけなので、軽い午前の散歩と言った感じで健康極まりない。

品濃一里塚

行程04: 戸塚-藤沢-平塚-大磯(2022/5/21)

区間データ: 距離 6里3丁(23.89 km), タァイム 6:53:21~13:44:06 (6:50:45)

 このあたりで、RTAなんだし、Biim方式に習い、前回終了と当回開始の写真を同じ構図のモノクロ・カラーにすることを意識し始めた(、がまだ徹底はしていない)。
 この区間は初めて雨に降られたことが印象深い。出発前のSCWの予報によれば、藤沢の辺りで雨雲とすれ違うはずだったのだけど、実際にはその雨雲と一緒に西へ向かう展開になり、間の悪いことに雨の備えがフードのあるウィンドブレーカーだけだったので、マクドや橋の下で雨宿りを余儀なくされた。これ以降、雨装備のランクを少し上げた。平塚~大磯間の割とよく原型が残った松並木がハイライトだったかな。

旧東海道松並木

行程05: 大磯-小田原(-箱根湯本)(2022/5/29)

区間データ: 距離 4里(15.72 km), タァイム 7:15:52~12:31:38 (5:15:46)
※距離4里は嘘。箱根湯本駅まで歩いているので。許し亭許して。

 この回は明確に箱根越えを意識して行動した。経験を積んで、峠越えの距離とその難度に具体的な想像が働くようになったから。少しでも峠越えの難度を下げるために、小田原宿を終点とはせず、箱根湯本駅まで歩くことにした。
 基本的になるべく早く現地入りして、さっと歩いて帰宅を遅くしないようにすることにしていたけど、後でまたしっかり観光に来たいと思わされるスポットが多かった。大磯だと旧吉田茂邸とか、小田原も昔に小田原城をちょっと見ただけで、城下町にも結構たくさん見どころさんがあることに気付かされた次第。
 一番印象に残ったのは路地裏路面の素朴な落書き。これもっとしっかり撮ればよかった。
 さて、小田原に到着したので東海道新幹線がアンロックされた形。序の口とはいえ、公共交通重課金地獄の始まりである。

子供さんが描いたんならきっと化ける

行程06: 小田原(箱根湯本)-箱根(2022/6/4)

区間データ: 距離 4里8丁(16.57 km), タァイム 7:54:56~14:28:33 (6:33:37)
※距離は嘘。前回箱根湯本駅まで歩いているので。許し亭許して。

 序盤の強ボス箱根越えである。岡山在住時代に登山も週末の行動オプションに加えているので、道具立てはある。実際、山越えをするわけだから、しっかり登山装備で挑むことにした。もっとも、紙の地図や救急用品などの安全用品はカット。ちょっと道をずれたら天下の国道1号が横を走っているので、遭難リスクは考えなくていいとの判断。

水とPCが重いんだよね…

 道中記録本文はTwitterに任せるとして、天気は雨上がりの曇り。蒸し暑いの領域ではあるけど、まあ耐えられるレベル。ただ雨上がりというのが厄介で、旧東海道石畳区間の足元が滑りやすくて結構怖かった。これまでの旧道歩きは市街地区間以外は人もまばらだったけど、チャリダーさんや、子供連れの観光客が普通にたくさんいた。天下の箱根ですわね。
 一泊二日で越えるに当たり、宿は少し盛った。位置としては箱根宿本陣に当たる場所のようで、旅の趣旨を考えるとふさわしいのではないかと。

今日はここをキャンプ地とする!

 食事は適当にルームサービスで。ご当地料理の居酒屋みたいなのを考えていたが、日中の観光客向けのお店が多いエリアのようで、そういうお店は近くにはなかったので、まあもう適当に。

カツカレーとサラダ

行程07: 箱根-三島(2022/6/5)

区間データ: 距離 3里28丁(14.82 km), タァイム 8:18:34~13:00:13 (4:41:40)

 ホテル朝食は卵料理がうれしい。

オムレツは自力では、ね?

 例によって濡れた石畳、しかも下り行程なので足元注意、ヨシ!だった。途中一部区間で、旧道が台風で崩壊したため、国道1号現道の歩道を歩くところがあったけど、舗装路面のなんと歩きやすいことか!下りなので、体力的には楽。天気が良ければ三島スカイウォークによることも考えていたけど、パス。

富士山はどこ…ここ…?

 順当に休憩を入れながら、最後三嶋大社にお参りして終了。終了地点は次回復活を考えて、三島広小路駅とした。
 三島広小路駅の電車待ちの際に、おそらくメンタルを病んでしまった女性が自身の状況が全くわからなくなってしまい、数時間ずっとベンチに座っていたところに、知人が迎えに出てきたという状況に行き合った。ろくな話ではないのだが、実のところ箱根越えで一番濃く残った話だ。

 箱根を無事に越えた。なんかすごいことをしたようだが、冷静に世間的に見ると、温泉宿に泊まるハイキング旅行を或る週末にやったというだけの話である。第2章駿遠編に続く。執筆が続けばね。

追記:続いたぜ。


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