見出し画像

それは表彰モノなのか

※自殺に関する内容が含まれています
※あくまでも個人的な意見です

断崖に向かう客 運転手が自殺防ぐ - Yahoo!ニュース


讀賣新聞記事より。一部の個人情報は黒塗りしました

以前からずっと強い違和感を持っていたのですが、自殺を寸前で止める人をやたら表彰するの、やめませんか。
少なくとも、それらを「自殺を防いだ」と表現するのはやめてほしい。なぜなら、防いでいないから。説得できていないから。
もちろん無理心中のような他人を巻き込む行為を止めたのなら、それは他人の命が失われることを救ったのだから称賛される行為だと思うのだけれど、その場で一人で幕を下ろそうとしたその人の続きの人生の苦しみを背負う覚悟がないのにその一時だけ手を出すこと、それは本当に表彰に値するものなのだろうか。

自殺を考える人って、もうずいぶんと長いこと苦しんできて、死んでも良いのだろうか、死ぬしかないのだろうかってずっと悩んできたと思う。そして疲れ切った先に、考えうる全ての可能性の中から「死」に最後の救済と安らぎを求めてこの場所に辿り着いたんじゃないかな。その結論に行きつくのは大きな覚悟がいるけれど、だからこそ、心が決まった後はその「死」という目標に全ての希望を賭けて、身辺も整理して出発したと思う。
全ての人がそうであるかは分からないけれど、最後の最後に人の役に立ちたくて、財産全てを処分したり、住居や口座を解約したりした人もいるかもしれない。退職した人や、遺書のようなメッセージをごく近しい人に送った後かもしれない。

もしひっそりと死に場所を考えている人がいることに気が付いて、何か言葉をかけたいと思ったのであれば、それは「お疲れさまでした」なんじゃないかな。きっとその人は生きることに疲れているはずだし、最後の力を振り絞ってこの場所まで来たはずだから。
自分が人の命を救えるなんて、そんなの驕りだと思うし、「景勝地を自殺の名所にしたくない」なんて、「他の場所でやってくれるなら構わないけれど」って言っているのと同じじゃない?
このニュースのコメントで「時間が経てば笑い話になります」とか「本当に良かった」ってたくさん書かれているけれど、本当に無責任だし、こういう言葉たちが彼らを断崖絶壁まで追い詰めてきたんだと思うと胸が苦しくなった。

警察に引き渡された女性たちはその後、どうしたんだろう。
勝手に解放するわけにいかないから、身柄を引き受けてくれる誰かが必要なはずなのだけれど、警察や迎えに来てくれた人たちにも「どうしたの?何があったの?辛いことがあっても死んじゃだめだよ、生きていればきっと必ず良いことがあるからね」なんて言われていないことを心から祈っています。

誰だって苦しい思いをしながら生きている、そんなの分かっている

このニュースのコメントには他にも、「みんな苦しい思いをして生きているのだから頑張ろう」とか、「その勇気とエネルギーを別のことに使いましょう」とかが書かれていて、それに対してたくさんの共感マークや同意が寄せられているのだけれど、これが多数派なんだと思ってびっくりしてしまったし、あぁやはり「死にたい」という孤独は誰にも理解されるはずはないんだな、って思ってしまった。

「神様は乗り越えられない試練は与えない」なんて綺麗ごとだと思わない?

様々な試練を乗り越えて頑張って生きている人はみんな偉いと思うよ。
だめな私でごめんなさい。もういい加減、解放してください。だめな私はもう無理なんです。もう私に頑張れって言わないで。
それが、断崖絶壁に来た人の気持ちなんじゃないかな。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?