小学校の低学年の頃だっただろうか? クリスマスイブの夜、 枕元に靴下を置いて寝ると、 サンタさんが靴下にプレゼントを入れてくれるという噂を どこかで聞きつけた私は いつも使っている靴下を枕元に置いて、ワクワクして、 眠りについた。 翌朝目が覚めて、靴下を確認。 中には、森永のハイクラウンというチョコレートの箱。 ほかに少しお菓子が入っていたのかなー、 とにかくハイクラウンの箱だけはよく覚えている。 その瞬間、あー、サンタさんてホントはいないんだなと悟ったの。 今思え
ここのところ、 「お肌がきれいだけど、何を使ってるの?」 と聞かれることがある。 来年還暦を迎える私には、 お世辞だとしても、 うれしい言葉。 この質問に対しての最適解はなんなのか? 使ってる基礎化粧品を答えればいいのか? 使っているメイク用品を答えればいいのか? 化粧品のメーカーやブランドを答えればいいのか? 肌をきれいに見せるコツを教えるべきなのか? 日常のお手入れ方法を答えればいいのか? どれなんだろう? そもそも、肌がきれいとは、 何をもってそう言われるのだ
幼稚園の年長のとき、 フジテレビのピンポンパンという番組に出た。 団地の同じ棟の仲良し5人組 ゆかこちゃん みかちゃん ゆうこちゃん かおるちゃん と、わたし ゆかこちゃんとわたしは年長、 ほか3人はひとつ下の学年だった。 いつも一緒に遊んでいたな〜 たしか、ゆうこちゃんのお父さんがテレビ関係のお仕事をしていて、 出演の申込みをしてくれていたんだと思う。 何をやったか、あんまり覚えていないが、 お姉さんはたぶんフジの局アナだったのかなー? あと、しんぺいちゃんという
来年還暦である。 自分ではまだ40代位の感覚だが、確実にその日は迫っている。 60歳はなんとなく人生のひと区切りという感覚で、 現役生活から引退というイメージがある。 60歳を前にして、 はて、ワタシの人生、何か成しとげたかな? と、自分に問いかけることが多くなった。 人生の先輩にこの話をすると、 60歳なんてまだまだこれからいくらでも何かを始められるよ と、言われた。 そういうものなのか? いやいや、ワタシは今までの人生の中の実績の無さが、モヤモヤするのですよ。
竹内まりやの音楽が好きだ。 以前はユーミンも相当好きだったと思うが、今はなんか違う。 ユーミンは松任谷正隆色が強すぎて、おじさんの音楽になってしまった。 心に寄り添ってくれない。 古いアルバムの曲はほんとうによくて、心にしみるのにな。 まりやは最近のアルバムを聴いても 自分自身の人生と重ね合わせる事ができる。 その曲の世界に入り込める。 どの曲が一番好きか?と聞かれても 決められない。 若い時はどちらもあんなに好きだったのに どうしてこうなっちゃったんだろう? ユーミ
太っている。 もうずっと。 肥満というにはちょっと足りない気もするが 普通に太っている。 BMIは25を下回っているので、 数値的には肥満ではないが 標準からちょっとはみ出ている。 ここ数年は、更年期の影響だったのか、 自分の身体とは思えないほど 太い。 鏡に映った姿を目にしたり、 写真に撮られたりすると、とても見苦しい。 こんなに私太っているのかと 情けなくなる。 日頃から甘い飲み物を飲むわけでなく、お酒も飲み会以外はほぼ飲まない。 コーヒーはブラックだし、紅茶もスト
昭和43年12月1日に私たち家族は東久留米市(当時まだ北多摩郡久留米町)の滝山団地に引越をした。 私は3歳になったばかり。 この日から私の記憶は始まっているような気がする。 おそらく、引越作業の間は、伯母の家に預けられていたんだと思う。 夕方薄暗くなってから、父に連れられて団地の部屋に入った記憶がある。 薄暗い台所のシンクのところの蛍光灯の明かりの下で 母が妹をおぶって、夕食の支度をしていた姿を 鮮明に記憶している。 妹はまだ2ヶ月にも満たない赤ちゃんで、 首も座って
長年、西武ライオンズのファンを続けている私ですが、 そもそも、野球ファンになったのは、 チャンネル権がないせいで、いつも強制的にナイター中継をみていたおかげかもしれない。 小学生の時はジャイアンツのファンで、 王選手が大好きで、 ホームランの記録を作ったときは、新聞の切り抜きをノートに貼ったりしたものです。 相手のピッチャーが〇〇で、 キャッチャーは△△で、なんてノートに書いて記録したりしていました。 東京に住んでいると、ナイター中継は巨人戦ばかりなので、みんなだいたい巨
Threadsは、FacebookやInstagramを見ていると、 おすすめというかたちで、 誰か知らない人の(たぶんちょっとバズったっぽい)ポストが表示される。 それをタップして、Threadsの世界に足を踏み入れると、 ツイッター(あえて)の世界とは全く違う世界が広がっている気がする。 ツイッターは一時期どっぷり浸かっていて、その頃は、ほぼツイッターの世界に住んでいたといっても過言ではない。 公開アカウントで発言することが面倒になり、最近はいわゆる裏垢という非公開アカ
友人にすすめられて、春頃からTBSのオーバーザサンというPodcast番組を聞き始めた。 最初は最新エピソードだけを聞いていたのだが、 番組特有の言い回しとか、単語とかがよくわからなくて、 これは、最初から聞かないとだわーと、 エピソード0から、いまようやく104にきたところ。 ジェーン・スーと堀井美香のやりとりが カフェとかファミレスの隣の席のおばさんたちが会話しているのが聞こえちゃったっていう感じがたまらない(笑) ときには、ジェーン・スーの言葉一つ一つが心にしみて
高校時代に私は源氏物語にはまってしまった。 高校の国語の資料集に源氏物語が詳しく書いてあり、 教科書そっちのけで、夜な夜な資料集ばかり読んでいた。 古典の先生の授業は、とても面白く、平安文学の世界が目の前に広がるようだった。 図書室で紫色の円地文子訳の源氏物語全10巻(だったかなー)を借りて読み、頭の中に場面を浮かべうっとりしていた。 大学は国文科に進んで、源氏物語を研究したいと思っていた。 高校2年生のときだろうか? 進路を決める際にどんな学部に行きたいかを親に相談する
「団地のふたり」をみていたら、金魚釣りに行くシーンがあった。 たしか団地の近くに金魚釣りのお店があったような記憶がある。 妹に聞いてみたが、場所がどこか思い出せない。 釣りといえば、父は長いことヘラブナ釣りを趣味としていて、 弁天フィッシングセンターというところに、休みの日によく通っていた。 小学生になる前頃だろうか?1年生位だったろうか? 1台しかない自転車の荷台に座布団を半分に折ってくくりつけ、 妹と私を乗せて、父は弁天に連れて行ってくれた。 3人乗りなんて、今どき
この頃、なぜだか、子供の頃、辛かったこと、悲しかったこと、悔しかったこと、そんなことばかり思い出される。 朝ドラの『虎に翼』が始まってから、理不尽な思いをしている人達を見て、あーそういえば私も…と思い出してしまうのだ。 寅ちゃんのせいじゃん(笑)。 あれは、たぶん、小学生の頃のことだ。 まだ高度成長期ではあったと思うが、父はほとんど定時で退社し、同僚の車で送ってもらって、6時頃には帰宅していた。 夏休みの間は日が長く、6時頃はまだまだ明るく、家に帰るには惜しい時間。
何歳くらいの頃だろう。 私は反抗的で、父の言うことに口ごたえばかりしていた。 虫の居所が悪いと父は激昂し、 手がつけられなくなる。 多分たいしたことじゃなかったとおもうが、 おしおきで、押し入れに閉じ込められた。 外から釘を打たれ、子どもの力では脱出不可能だった。 父はとにかく容赦ない。 子どもだからと手加減などしない。 どうやって、出してもらえたのか、もう思い出せないが、トイレに行きたいとか言ったのかもしれない。 布団にお漏らしされたらたいへんだからね。 別の日に
自民党の総裁選 これをSNSで色々書くと、 わーっと反論されるのがイヤだ。 だから、noteに書こうと思う。 選挙権を得てから、選挙にいかなかったのは、たぶん1回くらい。 市議選やら都議選やらの地方選挙でも 国政選挙でも 一度も自民党に投票したことはない。 以前は民主党、今は立憲民主党をゆるく支持している。 共産党も嫌いじゃない。 (参議院予算委員会での推しは共産党の山添拓議員だよ) さて、今回の総裁選の候補者の中で、 総理になっても許せる人物は?と考えたところ、 林
子どもの頃、テレビは家に1台という時代。 まだビデオなんてなかったから録画もできないし、見たい番組があっても、父が家にいたら見れなかった。 チャンネル権は父にあった。 7時台の番組はNHKのニュースがあるため、ほぼ見れない。 野球シーズンは巨人戦の中継があるので、やっぱり見れない。 コマーシャルのたびにチャンネルをガチャガチャと回すので、 チャンネルが壊れるのではないかと思った。 子どものテレビは8時までと決められていたのに、 それじゃー、全然見れないじゃねーか! 夕