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死亡診断書は商品か

先日知り合いから死亡診断書を受け取るのに3万円かかったという話を聞き驚きました。 死亡診断書の料金は数千円程度であることが一般的ですが、保険診療ではなく医療機関が独自に決められることから、数万円にしているケースもあるというのです。 野口悠紀夫氏も述べていますが、日本で高齢化が進み日本社会全体が老人ホームのようになると、医療福祉が就労者数で製造業を抜き日本で最大の産業になります。医者は2040年には世界でもトップクラスの多さになります。 労働人口が減少する中、今後就業者が増えるのは医療福祉の分野だけになります。 むしろ他の分野は新規就労者を医療福祉に吸い上げられて減少が加速し、日本の経済に大きな重荷になると述べています。  私の周囲でも、これまで医療と関わりのなかった商社やIT企業の出身者などが医療福祉に転職し、技術者として医師を雇う事で、医療機関のオーナーとなったり、薬や検査を販売するのを沢山見かけるようになりました。 厚生労働省も医療機関の理事を必ずしも医師にする必要はないという方向に議論が進めており、医療福祉への転職は時代の趨勢とも言えます。 異業種の人たちは、医の聖域、医の閉鎖性をよく解釈すれば変えているとも言えますが、一方で患者をお客様として考え、ブルドーザーの様に医療界を市場化していると思います。 それと同時に死を体験したご家族からお金を多く取ろうというような、現場の医師や看護師などが思いつきもしないような発想や考え方が医療現場になだれこんできているのです。 誰しも、普段から積極的に死について考えたいと思わないでしょう。 しかし、自分にかぎって、家族にかぎって、と死に向き合うことを先送りし、考えてようと思っていた矢先に不幸を迎えてしまうと、 死を外注化することになり、ビジネスの一部にされてしまう可能性があるということです。  少し前、成田祐輔氏が「高齢者は老害化する前に集団自決すべき、将来的に国が安楽死を認め、安楽死を強いる社会が到来する」などと述べ炎上しました。 私はなぜその言葉が炎上したかの一つに、人は自分の、または自分が大事にする人の死を誰かよその人に決めらることへの猛烈な違和感を持っているからではないかと感じました。  高齢化社会の医療は、平均寿命を超えている患者様も多く、治療行為自体が延命のように思えてならない状況も多々あります。  そんな時代には自分の大事な人の最期を守るために、普段から自分はどこまでの治療を望むのか、どういうふうに最期を迎えたいのか、エンディングノートなどを参照に意思表示しておくことが本当に大事だと思うのです。それは具体的であればあるほどよいと思います。  善いか悪いかは別として、人が長生きする事が社会を変え、価値観を変え、世代間の分断化を進めたことは確かです。  人間の寿命とは何かについて真剣に考えなければならないし、個人のレベルでできる事として、まだ生きているうちに死への覚悟を決めなければならないと感じています。  そしてこういった問題が生じたのは医療が進歩したからだ、とよく言われますが、私自身は「本当に医療が寿命を延ばしたのか。」疑問に思うこともあります。 ご参考になれば幸いです。※YouTubeもご参考にして下さい。高齢者にも若年者にも同時に優しい社会は実現可能か考えさせられます。
野口悠紀夫 
【2060年の日本と世界の経済】歴史上、最大の危機が来る/2060年に中国経済は日本の10倍に/一人当たりGDPで韓国に抜かれる/出生率を上げると短期的には負担増
https://youtu.be/XXsgltOePZY?si=Evv3WbFMJABUsYrF


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