これがしあわせ。
切った髪が自分にしっくりきて、自分が好きと思えたとき。
おめでとう、大好きだよと言ってもらえる誕生日。
家族とごはんを食べて、へらへらできること。
初めて行ったカフェが静かでお気に入りの空間になったこと。
好きなアーティストに没頭できる時間。
あたたかい心安らぐ人と関われる日があったり。
日々、幸せはいろんなところにあって。
わたしの人生も、幸せに溢れたものなんだろなぁ。
SNSでは、いわゆる「幸せ報告」「子どもとの幸せな時間」の共有の嵐で、
焦りというか虚しさが生まれて、
やっぱ心穏やかだけではないけども。
あの人にはできて、なんでわたしは?とか。
何が足りないのかな?とか。
いろいろ思っちゃうのは、
それはきっと、自分も求めてるからだよね。
将来を見据えたときに、
誰とどこで生きていきたい…?
仕事は?結婚は?…こどもは?
自分の思いがまだ固まってないとこも多いけど、
人生いろいろある中で、”ホーム”になる場所に誰かいてほしい。それは思うかな。
意外と自分をないがしろにしてたのかな。
ストイックではないんだけど、
無理してるけど頑張るしかないとか、組織内での立ち位置を考えてそこを補うとか、今まで積み重ねた人生で普通になっちゃった気がして。
自然体ではいるし、着飾らないんだけど。
わたし意外と、女の子として扱われることを求めてるよね。最近気づいた。
物事の考え方はわりとさっぱりしてるほうだし、なんとなくさらっとした風に発言してしまうけど、
守りたいとか大事にしたいって表現をされると嬉しいし、気持ちがゆるむ。
人に甘えず自立することを美としてきたからか、目指してきたからか。
根本は甘えたいし、大事にしてほしい。
頑張って折れかけて帰ってきたら抱きしめてほしい。強くはなりきれないわたしを愛してほしい。
いつもこの言葉を書いたら、涙が出ちゃう。
本心なんだろうね。まだ軌道修正できるよ。
いやなんの話?てかんじだけど。
自分のことを大事にしながら、緩めながら、
人生でやりたいことを成していくために努力を積んでいこう。自分を知って、抱きしめて。
ふいにいただいた花束が、推しのメンカラである黄色でめちゃめちゃ幸せだったことをここに記して。おしまい。
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