見出し画像

77年の命の燃焼

父が亡くなった

ガンで「いずれ覚悟はしておいて」と連絡を受けてしばらく経ち

次は「今のうちに合わせたい人がいれば」という介護のサポートをして頂いた方から助言があったらしく、次の仕事休みに特急電車で向かった

明らかにここから病に打ち勝つ様な状態ではなかったが
とはいえ病室に入った私を認識するなり、目には生命力が宿り、表情筋は動き、腕にも動きがあった

遥か昔に亡くなった祖父を見舞った時は、本当に生きているのかと思うほどに生命力を感じなかった印象だったので

いずれその時は来るだろうが、
それは今すぐではない
そう思えた

仕事休みは1日しかないので、私は日帰りで自宅へ戻った

日帰りの特急往復
移動時間が滞在時間の倍という1日に相当な疲労感を感じ
だが明日から仕事だと休む準備をしていた

そこで電話が鳴った

父が亡くなった

私に会い、これは死ぬ間際の人間の反応ではないだろうと思わせた父は
私に合って12時間もしないうちに命の炎が尽きた

私に会ったあの時が、炎が尽きる間際の最後の燃焼だったのだろうか

いずれ尽きる命だとわかってはいても
何年も帰省していなかった身なので、どこか自分が父に生きる理由を失わせてしまった様な気がして複雑な気持ちだった

私とは真逆の人生だった
高卒の新卒で入った会社を定年まで勤め上げ
よほど信頼されていたのか、定年後も関連会社(たぶん)に招かれ更に働き
そこを勤め上げても全く違う畑の仕事についていた
自宅にはオーディオ機器とレコードが大量にあったので趣味人の気質はあった筈なのだが
私は父が趣味に没頭している姿を見た記憶がない
おそらくある時期から全てを仕事と家族に捧げたのだろう

全くもって、何もかも私と真逆の人生だ

とはいえ父の人生が正しい、私の人生が間違っているという気もない
ただ言わなかっただけかもしれないが、父が私の人生を否定した事は一度もなかった
自分では漫画を好まず「子供のもの」と断じ、漫画を読む大人を否定的に見ていた父だったが、漫画を読む息子たちを否定したことはただの一度もなかった

そういう人だ
自分の中に強いこだわりはあるが
それをもって他者を否定したりはしない

「拘り」と「寛容」を共存させる価値観
そこだけは、父を受け継いで生きてゆきたい

父の77年の人生に感謝を

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?