40歳フリーター、2度目のCEDEC登壇記録。

2年前、ゲーム業界とは無縁のフリーター38歳が何故かCEDECに登壇した。そして今年、まさかの同テーマ(ゲーム実況)で2度目の登壇。コロナ状況もあってオンライン開催となったが、登壇者である私はパシフィコ横浜に向かった。

2年前の登壇では経済的余裕も無かったのでバスで往復したが、今回は新幹線にした。言うまでもなく、早い。ご時世もあって人も少ない。楽なことこの上ない。

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しんよこ最初の飯は別に横浜ならでは感ゼロの、名古屋駅にだって店のある蕎麦屋。ミニカツ丼セットにわさび味噌付きの生キャベツ、そしてビール、ただしアルコールはない。気を緩めていいのは登壇後だ。

というかそもそも資料が完璧に仕上がってなかったので(おい)、油断するのが怖かったのもある。

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パシフィコ横浜近くのホテルへ。2年前の登壇時は滞在日数が長めだったので横浜では安さ第一でネットルームに数日間滞在したが、今回はこのご時世、ホテルも安かったのでリラックスを優先した。なおアパである。アパは周辺環境は違えど「客室に入っちまえばどれも同じ」(景観は除く)なのがいい。あとベッドの寝心地が個人的に一番合う。

なお景観ぐらいは贅沢したかったので高層階確約コースにした。これがその眺めである。

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そして作家でもないのに作家気分でホテルに缶詰。
資料の詰め。
結論から言えば、ほぼ徹夜。見積もりの甘い我の王道パターン。
作ったスライドから適当に喋って1時間埋めるという甘い考えで一旦通し読みしてみたが、アドリブで喋ると確実に1時間を超える。

結果「喋り原稿を作ってしまう」という手段に夜を費やす。

そしてとても絶好調とは言えない状態で私はパシフィコ横浜へ向かった。

そんな体調なので不安も無いわけでは無かったが、自己評価的には致命傷は負わずにやりきれた気はする。視聴者のコメントもそれなりにはあった。

配信は朝イチだったので、10時50分ぐらいにはもう私の大仕事は終わった。
これで、自由だ。

明日の帰途まで遊ぶぞ、
という気にはならなかった。ここまで読めばお解りだろうが、ほぼ寝てない私に「遊びたい」を優先する体力はなかった。そのままホテルに直帰し、もはや実家と変わらぬネット、食っちゃ寝、そして待望の酒、そんな生活だった。

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こうしてホテル籠城生活を満喫しチェックアウト、
後は夕刻の名古屋への新幹線までの時間をどうするか。
最初は、ホテルから新横浜まで歩いて寄り道しまくれば時間も潰れるだろうという見積もりだった。あ、その前に赤レンガ倉庫に行ったんだった。

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結論から言えば、新横浜徒歩ルートはハードな選択だった。
スマホで地図は見れるが、歩いて余裕で行けるルートすら把握していない状態で炎天下の横浜を歩き続ける。それは修行だった。

といっても横浜ゆえ、途中に楽しめる場所、休める場所はある。昼はまたしても蕎麦に頼った。この歳になって外食の依存度が圧倒的に寿司や蕎麦に傾いた。疲れてても空腹でも小腹でも対応できる万能選手、それが寿司と蕎麦だ。

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これで体力回復、とはいかない程に疲れ切っていた。
メニューを再確認、
そこに飛び込んできたのは

「すみません、追加いいですか」

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あんみつだった。
外食であんみつを食べるのは初めてな気がする。
これは大正解の選択だった。
40歳フリーター
名古屋から遠く離れ、
何故かゲーム業界人の前で講演をした翌日の孤独のグルメ

あ、そうだ。講演した当日のうちに電ファミゲーマーさんが記事にしていた。仕事が早い。
てか写真撮る時ぐらい名乗ってくれりゃカメラ目線ぐらいできたのに。

◆参考リンク◆「ほぼ違法」から「適時適法」の時代へ。ゲーム実況の過去・現在・未来を振り返る【CEDEC2020レポート】

まぁ話を戻して、あんみつ食ってリラックスした後は更に近くにそごうがあったのでぐるぐる巡った。屋上があったのでデパ屋上に目がない私は真っ先に向かった。

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アイス食った。

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さて、これでエネルギーチャージ完了。
さあまた新横浜まで歩く・・・
ここで視界に入った

「横浜駅」

・・・

乗ろう。
もう・・・いいじゃないか・・・歩かなくたって

炎天下の横浜ウォーキングから一転、地下鉄で優雅にしんよこへ。

といっても新幹線まで時間があるので前から探りを入れていたネカフェで休もう。

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ここでしばらく未読巻がたまっていた漫画「ブルージャイアント」を全部読んでしまおう。

と思っていたのだが、念の為に新幹線の時間を予約アプリで確認して

「あ」

さっきまでの脳内:「およそ(午後)5時くらい出発」
現実:「15時台に出発」

2時間のズレ。
致命傷なズレになる寸前だった。

こうして乗り過ごしを回避し、さっさとネカフェから退散。

新横浜、出発。

これで旅も終わり。

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いや
これからが本番だろ?

なあ崎陽軒!?

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こうして我は、王道の駅弁とビールで旅のグランドフィナーレを迎えたのであった。

ありがとう横浜
ありがとう崎陽軒

また逢う日まで。

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