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単に年齢とともに能力が上がるという幻想を辞めるべきである

【記事探訪】

https://president.jp/articles/-/51123
「若い頃は頑張った」そんな理由で"オジサン社員"に高給を払うのは間違っている
早大教授が45歳定年に賛成するワケ

45歳定年制度が導入されるとすれば、45歳で定年を迎えた後、悠々自適な生活を送るという人はほとんどいないでしょう。定年したらその後は働かなくて良いと思っているとすれば、大きな誤解です。
45歳の定年後は、その後、就業機会を探すということになります。同じ会社で再び働く人もいるでしょうし、他の就業機会を探す人もいるでしょう。つまり、実質的には45歳の時点で一度、しっかりと評価をしますよということです。
ということは、45歳までに自分の市場価値を上げておかないと、賃金が下がる、あるいは職を失うことになるかもしれません。現在働いている組織内での評価よりも、市場価値の方が上がっていれば問題ありません。しかし、市場価値が組織内での評価よりも低い人は、スキルアップしておかなければなりません。

(記事から引用)

【コメント】

かつて、社員の能力を組織固有の事情に合わせてゆけば能力が上がるはずだという考え方が支配していた時代がある。
会社固有のやり方を学ぶことで生産性や能率が上がると考えており、当然年長者が会社にとって有益な人材であると信じ込んでいる時代だ。

年長者は敬われる存在で有り、尊敬の対象になる。役職は能力や給与の高さを反映しており、「花の係長」が最初のマイルストーンだった。

それが通用しなくなったのは、私の知る限り40年前には見ることができていた。システム関係の会社に在籍していたおり、30歳前後の技術者は高い能力を保持しており、売上の大部分をたたき出していた。

部長や課長はSEでもなく、管理者と云うだけで高給を取っていた。
年齢給が幅をきかせていて、若い頃報われなくでも高齢になれば戻ってくると無邪気に思っていた。

40歳定年制を論ずるまでもなく、企業が早期退職を前提にするのであれば、働いた分はその時にリターンしてほしいというのは当然のことだろう。終身雇用が保障されないのならば、今働いた分は今欲しい。

しかし、本当にそうなのだろうか?

https://www.itmedia.co.jp/business/articles/2112/15/news024.html
「4%賃上げ要求」は妥当か? 賃上げ騒動に覚える3つの違和感
これからの「労組」に求められるものは
2021年12月15日

「定期昇給ありき」がもたらす弊害
1点目は、定期昇給ありきのスタンスです。連合が掲げる「2022 春季生活闘争方針」には、具体的な要求目標として以下のように記されています。
賃上げ分2%程度、定期昇給相当分(賃金カーブ維持相当分)を含め4%程度の賃上げを目安とする。
世界各国と比較して賃金水準の上昇が進んでいないとされる日本において、賃金上昇を求めること自体は必要な取り組みだと思います。しかしながら、定期昇給維持ありきのスタンスには弊害もあります。

(記事から引用)

これらの記事の論点がかみ合わないのは、そもそも報酬を「能力」や「業績」にリンクさせていることにある。一方では、年齢とともに能力が上がるはずなので、その能力を活かせていないのは会社側なのだからその責において給与を上げよという論点で有り、片や「能力」を活かして「成果」を出せていないのだから賃金は上げられない、あるいは「無い袖は振れない」という論拠のぶつかり合いなので、そもそも合意形成はできない。

変化を求めるのであれば、そのための活動をしなければならない。能力開発には学習が必要である。何もせず年齢とともに脳会得が上がることはあり得ない。しかし個人個人の幸福追求と、個人の生長実感のための学習という個人に帰着すべき問題と、その原資である賃金を支払うための業績維持という企業責任を同じ土俵で議論すべきではない。

その人にとって「いくら欲しいのか」を本人に選ばせるべきであろう。それに対して、他者があれこれ云うものでもない。

もし、企業がそうした目線で報酬制度を変えるというのであれば早めにした方が良い。
そうしないと、若手層とベテラン層で意識ギャップが派生する。これは組織活動で必要な士気の低下を招きかねない。


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