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モチベーションのお話。

モチベーションて大事ですよね。何をやるにしても。でもそもそもモチベーションがあまりない。そんな私のお話。

いや、私とてすべてにおいてまったくやる気がないわけではないですよ?私の場合限られた場面でしかそれが湧き上がってこないというだけであって。

プロレスラーってけっこう特殊な職業だと思うんですよ。苦労の割にお金も儲からない。光の当たるポジションを勝ち取れるのもほんの一部だけ。プロレスだけで食べていくってのもなかなか難しい。食べていくのが目的なら他にもいくらでも仕事はあるわけで。だからプロレスラーになりたい、あるいはなった人はそれぞれの動機や理由ってのがあって、さらにプロレスを続けていくために勝ちに対する執着やチャンピオンになりたいという願望や、子供の頃からずっと見ていた夢をつかもうという純粋な動機などがプロレスラーのモチベーションになり得るのかなあと。

基本、プロレス=戦いだというのは僕も理解しています。でも本気で勝ちたいと思ったのはおそらく生涯一度だけ。新木場ビアガーデンプロレスでの大家さんとのキックボクシングマッチのみ。同じいじられポジションとして勝手に大家さんに近親憎悪を抱いていた私はあの人にだけは負けたくないと思っていました。

試合はまさに泥試合でしたがセコンドについてくれた飯伏さんの適格なアドバイスのおかげでなんとか勝つことができました。慣れぬグローブは重くて手も上がらなくなり、プロレスとは違うキックボクシングのペースに息も絶え絶え、しかしあの人だけには負けたくないというホントに意地だけで勝ったのですが、この一世一代の試合を是非見てほしいと思って会場に見に来てもらっていた嫁さんからは「今の試合あまり面白くなかったねー」と言われズコー。そりゃそーだ。プロレスを見に来たはずなのに素人同士のキックボクシング見せられてもねえ。あ、話がちょっと逸れましたか。

嫁さんの話が出ましたが、そもそも僕がプロレスを始めたのは当時まだ付き合ってもいなかった嫁さんを落としたいという一心だけでした。僕はまだ単なる一プロレスファンで、当時全盛であったmixiのプロレスコミュニティで彼女と知り合いました。オフ会で一緒にプロレス観戦に行ったら彼女はドラゲーのイケメンレスラーたちにキャーキャーしながらうっとり。ならばこれは自分もレスラーになったらイケる(やれる)のではと思った次第で。イエス、これもまた立派なモチベーション。

ただね。よくなかったのがDDTに入門して練習生になって、そのおかげでは全然なかったけど土下座を三回くらいしてなんとか今の嫁さんとお付き合いをすることができまして。これぞまさに三顧の礼。そして僕の目的は達成されてしまいました。あらら。プロレスを始めた目的達成しちゃいました。デビュー前にもはやノーモチベーション。デビュー前にもはや惰性だけでプロレスを続けるなんてプロレスをなんだと思っているのか。

でもね。なんだか楽しかったんですよ。プロレスがというか、DDTが。そしてそこにいる人達がみんな魅力的だったんです。みんなどこかおかしい。なんなら大社長もおかしい。

デビューをして、最初は頑張って嫁さんの好きなドラゲーみたいにカッコいい選手を目指していたけどなんか自分は違うなって気がついちゃったんです。気がつかされたというか。なぜなら本当にカッコいい、強い、そしていい意味でちょっとおかしい人たちに出会っちゃったから。それが飯伏さんであり、時は少しそれより後になるけどケニーであったり。

松っちゃんのおかげでヌルヌルブラザーズとしてプチブレイクし、佐藤光留さんのおかげで変態團という光を見せてもらい自分の方向性や生きる道を見つけることができました。そこに練習生時代から色々教えていただいた猪熊ティーチャーのエッセンスを加えて今の中澤マイケルがあると思ってます。

でもなんかウマがあったんだよね。飯伏さんやケニーとは。やってることやレベルは違えど向いてる方向が同じというか。路上プロレスに対する考えや、プロレスで人とは違うことをやりたい、プロレスでなにかを表現したいとか。ケニーに至ってはプロレスで世界を変えたいとまで。そして彼らには狂ってる面もあるんだけどそれが人をさらにひきつける。彼らから言わせると僕も十分変らしいのですが。あと彼らはプロレスという概念に縛られていない。そして僕はプロレスに対してこだわりがなーんにもなかった。だってそもそも始めた理由からして浅いもん。だからってのもあるのかも。

与えられた試合に対してベストを尽くそうという気持ちはもちろんありましたよ。てもプロレスラーとしてどうなりたいとか、こうしたいとかああしたいっていうモチベーションはホントになかったんですよね。ただ今いる楽しい世界にいたい、好きな人達のそばにいたい、というだけで。だから僕にとってプロレスは勝負ではなく、好きな人達と一緒にいるための手段だったんです。そしてプロレスが下手で技術もない僕は「中澤マイケル」という人間そのものをリングで見せることでしか自分のプロレスを表現出来ませんでした。

そんな僕が必死になれるときがあります。飯伏さんやケニーと戦うとき。プロレスは戦いではありますが信頼関係が大事です。戦うということはお互いに信頼がないとできません。そして、その試合でヘマをする、相手の期待に応えられないということはその信頼をも失うということ。

僕は自他共に認めるコバンザメですが葛藤がなかったわけじゃありません。ただのコバンザメ、大した理由もなくプロレスを始め、大して評価も高くない、そんな僕と戦う理由は彼らには別にない。僕に勝ったところで彼らには何も得はないし。その上で彼らが提案してくれたり、使命してくれて試合になったのであればそれには応えないわけにはいきません。コバンザメだけど、僕はこのはるか上にいる彼らにくっついていてもいいんだ、それくらいの自信は持ちたかった。

だから、11年前ケニーが僕をKO-Dの挑戦者に使命してくれた時はもう葛藤もしたし、ホントにやれるのかって悩んだし、でもそれに応えなきゃ男じゃないでしょ、コバンザメだって胸を張ってくっついていたいと思ってそれこそ試合が決まってから必死にトレーニングで追い込み、リングでの練習も増やし、食事も気を使い月並みな言葉ですが本当に頑張った。試合の中でも必死に食らいついて頑張った。自分史上今までないくらいに頑張ったから試合後に「僕頑張りましたよね!」って謎のマイクをしちゃったくらい。自分で言うなよって話です。(笑)

そして、今回の名古屋国際会議場での6人タッグマッチ。相手には飯伏さんがいました。実は今回はAEWのためにとったアメリカのビザの更新のために帰国していたんですよ。本当は8月末にはビザもとれてアメリカには帰っているはずでした。8/25の後楽園に飯伏さんが出た時は僕は佐藤光留さんの興行に出ていたので、あー今回はすれ違いかなと思ったらビザの手続が長引き滞在が少し延びました。そして飯伏さんが僕に声をかけてくれたんです。「中澤さん、やりましょうよ」って。

AEWとはいいながらアメリカでは全然試合もしてないこの僕が、もう49になろうというこの僕が。復帰して間もない大事な時期にいる飯伏さんと?もちろん飯伏さんは楽しい試合をしたいと言うけれど、それだって足を引っ張るわけにはいきません。一瞬及び腰になりかけたけど、このチャンスを逃したらもう一生飯伏さんと絡めることなんてないかもしれない。ならばやってやろうじゃないかと思って、名古屋でのカードはほぼ固まりかけてたそうなのですが高木さんに直訴して参戦させてもらいました。そこから慌てて酒を抜き(一〜二回脱線したかも)、トレーニングのスタイルも変え、より持久力重視に。プロレスの動きも初歩から思い出すように練習をし、それでも試合って練習とは全然違うから不安はありました。

でも名古屋での試合後はみんな笑顔になれたし、僕も楽しかった。あんなに楽しかった試合は久しぶりでした。ラリアットでアゴをかち上げられ一回転、さらにはカミゴェとひどい目にあって身体はボロボロだったのに試合後の写真見たら僕は笑ってました。ホントにこの試合やってよかった。飯伏さんも笑っていたし、信頼は裏切らずに済んだのかな?そうだったらいいな。ならこの楽しさを胸にまだもうちょっとプロレスを続けられそうかも。あ、これってモチベーション?

AEWでは遥か高い位置にいるケニーとはもう試合ができることもないだろうなと思ったら5年前に台湾でやることができました。AEWでは味方として何度か組んだこともあったし。

飯伏さんと最後に戦ったのは8年前の両国。階段から蹴り落とされて便器にパイルドライバーされてから、飯伏さんは新日本に行きさらに遥かに高い位置に昇っていった。飯伏さんとはもう絡めることもないのかもなと思ってました。

でもあるんですね。こんなことって。プロレス続けていれば。それが私のモチベーション。飯伏さん、ケニー、そしてHARASHIMAさん、ウラノさん、石川さん、男色さん、高木さん、そしてDDTのみなさんありがとう。またいつかどこかで!

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