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産むと、産まないの、ボーダー上で。(1)

子どもは好きじゃない

好きじゃないが、流石に邪険には接しない

どんな子どもも、誰かにとっての大切な人と思えば、
大切に接しようと思うし、

自分が子どもの頃に、傷つくことが多くて、
それが成長してからもずっと生きづらさにつながっていたので
できるだけそういう人が減るように、
子どもは子どもというだけで、大切にしたいと思う
(「平和は子どもから始まる」という言葉、好きです)

でも、総体としての子どもは自分にとって
興味の惹かれる存在かというと、そんなことはない

わかりやすさのためにいろんな思いをスパッと切り落として
一言で言うならば
「できればあんまり関わらずに生きていきたいなー」とか思ってしまう存在だ。

言葉が通じなかったり、
言葉が通じても論理的な話ができなかったり、
お世話が大変だったり、
自分自身が手放してきた面倒くさいものに、また目の当たりにさせられたり。

切り落としたいろんな思いについて見ていこうか

子どもとの接し方がわからない

ある程度大人になってから、
子どもと接する機会がなかなかないので
慣れていないということだと思うけど
慣れたいと思ったことがない
慣れるための努力をしようとあまり思わない

それに、大人の接し方が子どもに多大なる影響を与えることを、
かつて子どもだった人間として身に染みて感じているので
うかつな接し方はできないなと思ってしまって
いつも緊張する

もしかしたら自分がそうだったからなのかもしれないけど
子どもの中には、物事の本質を見抜くのが得意な子がいて
(それを言語化や表現することが得意とは限らないけどね)
そういう子には、自分のそういう緊張や
子どもが好きじゃないことや、
接し方がわからないからできれば避けたいと思っていることが
きっと何らかの形で伝わってるんじゃないかなと感じる時もあって
そうすると、
子どもの方だって、別にそんな大人とわざわざ接したいとは思わんやろな〜と思ったり

とはいえ、本当にごくたまに、
子どもと仲良くなれるときもある
前に、とある、田んぼと畑をやってるコミュニティに行った時
夫婦と娘2人の4人で参加してた家族の、子ども2人と
妙に仲良くなって、お母さんお父さんである夫婦が田んぼの作業をしている間に、一緒に花かんむりを作ったりしてキャッキャと楽しく
遊んだ思い出がある
その子達が、他の子どもと何が違ったかといえば、ただ単に相性が良かったのがおそらく一番の理由で、
それから、私自身が子どもの心に戻れるような環境とタイミングだったからなんだろうなと思う(あとは、私が相手をしてあげないと、他の誰も面倒を見なさそうな状況にたまたまなってたので、ちょっと危機感を感じて、遊ぶ覚悟が決まったからってのもある。「なんで私がこんな役、めんどくせー」ってモードになってたら、そうはうまくいかなかっただろうな)

でもやっぱり

子どもが(子どもというだけで)好き!とか
子どもって、見てると癒やされるよね とか
子どもってほんと面白い とか は、
あんまりわかんない

自分で一から子育てをしてみたらわかるようになるんかな?とかも
思ったりするけど(なる人もいるだろうけど)

子育てしたことなくても、子どもが好きな人はたくさんいるし、
子育てしたことあっても、別に子どもそんなに好きじゃないって人もいると思うし
やっぱあんまり関係ないんじゃないかと思い始めてる

そりゃ、子育てしたら、経験値は上がると思うけど
その上がった経験値は、何のためなんだろうか?
自分の人生で、上げる必要のある経験値なのかな?

世間や、周りの身近な人の言う
「子どものいない人にはわからないよ」とか
「子育てしたことない人とは話が合わない」とか
「子どもを育てて一人前」みたいな
そういう言葉で傷つけられるのを避けたいがために
身につけておかねばと思って、身につける経験値なら、
なんだか本質を欠いている気がする

子育てを経験しておいた方がいいかなと思うときに
けっこうそういう気持ちも理由のひとつになってる気がするけど
もしそういう周りからのプレッシャーみたいなものがなくて

いい歳した大の大人が
別に子どもを苦手でもいいし、
子どもとどう接したらいいのかわからなくてまごついてたら、優しく教えてくれる人がそばにいて、
今はちょっと子どもと関わりたくないなー(トラウマを思い出しちゃいそうな時とか)と思う時は関わらなくてもよくて、
「子どものいない人にはわからない」とか
「子育てしてない人に言われたくない」とか
どこに行っても言われないような世の中だったら、

果たして自分は
子育て経験値を上げたいと思うだろうか?と考えると、
よくわからなくなる

例えば、私が
おむつの替え方
ミルクのあげ方
げっぷのさせ方
寝かしつけ方
抱っこの仕方
泣き止ませ方のバリエーションなどなどの
経験があって、ひととおり問題なくできれば、
友人の赤ちゃんを少しの間見ておいてあげるとか
(もちろんそこには友人との信頼関係が必要だけど)
預かるまではしなくとも、
友人の大変さに、身を持って共感してあげられる、みたいな
メリットはあると思うんだよね
そういう意味では、
子育て経験値はあった方が何かと役に立つし、
子育てをしている人たちのサポートをしやすい自分になれるのかもしれない
(ここでは、赤ちゃんの例だけ出したけど、もちろん月齢・年齢に応じてそれぞれのスキルが必要だろうと思う)

子育てをしている人たちのサポートって
それが必要だってことすら
気づかなかったりするからね、子育てしたことない人にとっては
(それで「子どものいない人にはわからない」発言につながるんかな)


すんごいつれづれだけど
とりあえず一旦終わる

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これまでの人生で、
子どもをもちたいって思ったことあるかな?って改めて考えたら
なかったような気がする


「いつかはもつんだろうな(だって、みんなそうだから)」とは思っていたけれど、
強く「子どもほしい!お母さんになりたい!」みたいに願ったことはないな

これは 気づき かも


自分の子ども苦手の原因?要因?のひとつは
思い当たることがある
ひとつの出来事というよりは、
あの頃よくあったパターン、みたいな感じなんだけど

物心ついてから(というか、厳密には、母の胎内にいる時から)毎週欠かさず通っていた(通わされていた)キリスト教会でのこと

教会には、自分よりも幼い年令の子どもが常に何人かいて、
「一緒に遊んであげて」とか
「ちょっと面倒見てて」みたいなことが割りとあった
そして、私はそれがめんどくさかった
その子たちのことも、全然好きじゃなかったし
「なんで私が・・・」って気持ちだった

あげく、
「海に行きたいらしいから、連れてってあげて」とか
中学生の私に頼んできたり
その間、大人が何をしているのかといえば、
「礼拝」とか「祈祷会」とか「奉仕ミーティング」とかだった

その頃はよくわかってなかったけど
いくら海がすぐ近くにあるとはいえ、
中学生の子が小学生やらもっと小さい子やら数人を引率して
海を見に行くとか(水に入るわけではないけど)
今考えると危なすぎだよなと思う
小さい子が怪我しても責任も取れないし、対処の仕方を教わってたわけでもないし、もしそれで何かが起こったら(誘拐とか)自分を責めたかもしれないし

ただ単に「暇そうだね、一緒に行ってあげてくれる?」みたいな感じで・・・軽かったな・・・あの大人たち
(あかん、書いてて、これに関して自分の中にまだ生々しい怒りがあることを改めて感じ取ってしまった・・・ぴえん)

バーカ バーカ


話がそれた

「子どもほしい!お母さんになりたい!」と強く思ったことはないけど、一時期
「出産は絶対に経験してみたい!」と思ってたことはある

大学生の時、
(たぶん『女は毎月生れかわる』(高岡英夫・三砂ちづる著)あたりから女性の体についていろいろ興味を持って)
桜沢エリカの『贅沢なお産』という本を読んで、
自宅出産を知り
大葉ナナコさんを知り
『怖くない育児』とか『案ずるより産むが優し』とか読んで
そっから大野明子さんの『分娩台よ、さようなら』とか
橋本知亜季さんの『自然に産みたい―5人の子供を自宅出産した記録』とか
吉村正さんの『「幸せなお産」が日本を変える』とかも読んで

お産の神秘性とか素晴らしさとかにすごく惹かれて、
せっかく女性に生まれたんだから、出産を経験しないなんて絶対に損だ!
って思って、いつかパートナーができて
妊娠・出産するのが楽しみだったって頃はあった

でも、その「絶対」も具体的に何かを思い描いていたわけじゃなく、
子どもの頃からの「いつかはもつんだろうな(だって、みんなそうだから)」の延長線上でしかなかったと思うな
今思い返すと


で、その後、恋人ができたりもしたけど、
大事にしてもらえないし、続かないし、
恋人いない期間の方がはるかに長いし、
自分が人間関係を築くのにけっこう問題を抱えてるってことにも気づいたり
自分の育った家庭が機能不全家族だったってことにも気づいたりして
だんだん
「自分には結婚なんてできないのかもしれない」って
思うようになっていったから

妊娠・出産が楽しみとかっていう気持ちも
全然現実味をもたないままフェードアウトしてた、かな


まぁ、アダルトチルドレンのことは、気づけてよかったけどね
自分で自分を癒せたから


また。一旦終了


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産まないことに決めるのと、
産むことに決めるの、
自分にとって
どっちの方がよりエネルギーが必要か?
…で考えると、
正直、産むことに決める方のが、だいぶ重い
その先にある時間、お金、責任を考えると、
よっぽどの幸福と引き換えでないと
受け止められない重さだが
「自分と好きな人の子ども」ってだけで
そんなによっぽどの幸福が待ってるとは
私には思えないんだなー
(もちろん、実際のところは、やってみないとわからないけど。
でも、やってみてダメだったときに「やーめた」とはできないのだから、今ある自分の感覚と手に入る情報で判断をしなきゃいけないのは事実)

産まないことに決める方のは
「後悔するかもしれない(らしい)が、まいっか」とさえ思えれば
全然なんとかなる気がするし、開放感さえ感じる。

産んでたら子どもにかかったであろうお金を、
自分やパートナーのために使える
なんなら、その分働かないでゆったりした時間を持つことを
優先することだってできる

うん、
私は、何より休憩が好きなので。

ワンオペ育児とかしてたら、
人生から休憩がなくなりすぎて、たぶん私、気が狂うんじゃないかなって思うんだよね
(でも、こういうことを、やってみてからじゃないと気づかない場合もある。そういう人にとやかく言う気はないけど、私は、やってみる前に調べたりして知れたことがいろいろあってよかったと思ってる)

本当は、生活費を稼ぐためだけにやるように仕事もしたくないし
てゆーか、
子どもを育てるとしたら
現金を稼ぐための仕事 + 育児という無償労働 + 家事
っていう生活スタイルになるわけだよね

今、現金を稼ぐための仕事 + ちょっとの家事だけでも
正直「自分、よくやってるよな」って思うレベルでしんどいのに
そこに育児が加わるとか、
控えめに言っても無理ゲーですわー(←あくまでも私という人間にとっては、ってことね)

や、逆に子どもを育てながら仕事をすることで、パフォーマンスが上がったとか、強いやりがいを得たとか、そういう話もたくさん聞いたことはあるけどね。個人的には、できれば働かずに家でゆったり過ごして生きたい人間なので・・・(ベーシックインカム希望)


そんなことを考えるヒントにしていったら、
やはり私は別に子どもをほしいとは思ってないんだなーって思う

なんていうか、直感的にはね。

でも、頭を使ってというか、
手に入る情報をもとに、損得みたいので考え始めると
「やっぱ、家族がひとり増えるのって(最初は大変だとしても)、
 ゆくゆくは楽しいかもしれないな〜」とは思うから
(あくまでも、お互いにいい関係が築ければの話だけどね〜)、

「産まなかったらあとで後悔するかもよ」という言葉には
すごく心を揺さぶられてしまう
「うーん。するかもなー」って、思ってしまう


でもなー
今これ書きながら思ったけどさ、
別に血がつながってなくても、
親子ぐらい歳の離れた人とお互いにいい関係を築くことはできるわけで
自分の行動や努力次第では、
親子のような関係性の友人を持つことだってできるんだよね、
願って、叶えれば。

そしたら、
「ゆくゆくは楽しいかもしれないな〜」くらいの気持ちだったら、
別に血のつながった人じゃなくてもええんちゃうか?とか
思っちゃったりもするけどね

やーでもやっぱ
十数年育て育てられたっていう中でしか
培えない濃厚で密着な関係性ってのを
求める人も、いるってことかなー
まぁ、人生ドラマのシナリオには、そういうニーズはあるやろなぁ


とりあえず一旦おわり。
投げ銭大歓迎です。

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