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Poor Things.

”哀れなるものたち”とは、誰のことなのか。

物語の序盤では、ベラやゴッドのことであると思った。
マイノリティ、世の中から排除されるアウトサイダー的存在。
外の世界を遮断して、狭い世界で生きている彼らこそ、哀れなるものたちであると思った。

しかし、ストーリーが進むにつれてダンカンやベラの元夫こそ、”哀れなるものたち”であるのだと感じた。

ダンカンは世界を旅しているし、ベラの元夫は社会的地位のある仕事をしており、ベラやゴッドとは対極な存在として描かれる彼らだが、彼らは資本主義、金、権力などといった虚構にとらわれて、それらに支配されている。醜い嫉妬や執着に狂わされている。それこそ”哀れ”ではないだろうか。虚構に恋焦がれ執着している者こそ”哀れ”なのである。

ベラは知識として万物を知っていく。子どもの脳と大人の身体を持ち、偏見や周囲の目など、”良識ある社会”のことなど、全く気にしない。虚構にも執着しない。自分の目で世界を見て、自ら学び、自ら考え、自分自身に従っている。そんな彼女が”哀れ”であるとは到底思えない。

自ら考え感じ、全てのフィルターを取り払った時に見えてくる世界こそリアルで現実なのだ。そして、フィルターを取り払うためには叡智が必要だが、かといって中途半端な叡智は厭世観を招く。そんな映画である気がする。

あとは、衣装とセットの色彩やデザイン、世界観がはちゃめちゃにかわいい。多少のグロさや生々しさも、その世界観で相殺されていた気がする。

モノクロとカラーのシーンの違い、ときどき魚眼レンズになるシーンは何だったのだろう。

フェミニズム的な視点では、男性の所有欲、女性のモノ化といったテーマが窺えたが、不勉強が故にうまく読み取ることができなかった。


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