見出し画像

火葬

20歳の頃、2歳年上の悪魔のような後輩が入社した。仕事の出来ない人で、なかなか覚えも悪かった。愛嬌だけは良くて、明るくて良く笑う人だった。

ある日、彼女が小さなミスをしていて修正依頼が来ていたので、本人に報告して注意と修正方法の指導をした。私は当時店長でも教育係でも無かったが、同期には注意や指摘を出来ない人達しかいなかったので、当時ヒラで最年少の私が務めていた。(ここも第一の謎です)

確かに大したミスでは無かったし、よくあることで、ひどく落ち込んでいる(ような気がした)ので「私もこのミス、前に2回ぐらいしちゃったことあるので大丈夫ですよ」と気遣ったつもりで伝えたら、「じゃーあともう1回ミス出来ますね!!」とケロッとした満面の笑みで言われた。今思えばたぶん私の気の使い方も間違っているんだけど、相手の反応のズレに対して違和感があった。落ち込んでいたのか、それともあの落ち込みはパフォーマンスだったのか、疑問に思った。

その後の昼休憩で、好きなバンドについて聞かれたので「◯◯が好きですよ」と答えたら、彼女は「私も大好きなんです!!」と言ったので、嬉しくて何の曲が好きなのか聞いたら「えっと…何だったっけな…タイトルが思い出せなくて…」と言われて「◯◯とか?(一番メジャーな曲)」と聞くと「それです!!それが大好きで!!」…それは大好きじゃなくて一曲好きな曲がある 程度では?と思った。そもそも本当に好きなのかも分からない。彼女の人に好かれる為の手段が〝同調〟なのだと思った。共感は嬉しいけど、同調は正直気持ちが悪い。この日以来、彼女の表情の殆どが演技に見えるようになった。

彼女は私の中の正義と悪の、悪に属するような人で。いつも小狡いことばかりして点数を稼いだり、自分の都合の良いようにしか動かない、小さな嘘をついて人に好かれようとしたり人を陥れようとしたり、仲良くしているくせに裏では悪口を言って嘲笑っていたり、新人が可愛がられると嫉妬して新人にありもしない厳しいことを言ったり、謝らなければならない常況になると言い訳をしたり、ヘラヘラ笑いながら謝ったり、何故?????となることばかりで、私はどうしても許せなかった。同期に彼女の話をする度、「君らは水と油だね」と性格の不一致で片付けられてしまったことも苦しくて仕方がなかった。

それでも彼女と向き合い続けることはやめずに「そんなやり方じゃ誰もあなたを認めないよ」と、諦めずに何度も何度も面談を行なった結果、彼女には泣かれ「辞めたい」と言われて、上司が来て、私が怒られて、「自分の物差しで人を測るな」と叱られて(人が辞めるとその上司にとって面倒が増える)、帰り道一人車の中で泣いたりして。そんなことの繰り返しだった。

紆余曲折ありの何年か後に、上司の伝えたかった意図を自分なりにゆっくり考えて解釈したりして、自分なりの答えを出して、自身の成長にも繋がったし、今思えばああ言ってもらえてよかったなとは思っている。

また後日、彼女と別の後輩と3人でご飯を食べている時に昔の話になり、正直私もあの頃は尖っていたから厳しいことも言ったし「あの頃は私も厳しかったよね」となんとなく話の流れで伝えたら、「でも私、あなたのこと恨んでないですよ!!!」とこれまた満面の笑みで言われて、あの時の恐怖、今でも忘れられない。全く言葉が出なかった。恨んでいない ということは、恨まれるようなことをしていた上司なんだなぁと思った。私の真意はこれっぽっちも伝わっていなかった。またしても私は、手段を間違えたのだと思った。

私は何度振り返っても、あの頃自分が言っていたことは間違っているとは思っていなくて、唯一間違っていたとすればあの頃はまだ若く、ただ相手に気持ちをぶつけていただけで、相手がこのままではいけない、変わらなければならないと感じさせるような伝え方は出来ていなかったということ。ズルをしたり、自分さえ良ければいいと思ってそれを全面に出して動く人が一人でも居れば組織の輪は乱れるし、実際に水面下では悪口を言い、表面上は取り繕う気持ちの悪い空間だった。その頃私はヒラの社員ではあったんだけど、不満はあっても、誰も、当時の店長も、上に立つ人間でさえも誰も動こうとはしない状況で、どうしても間違ってるままに出来なくて伝えていたけど、彼女にとってあの頃は〝自分は悪いことをしていないのに過剰に怒られた〟という認識でしか無くて、ムカつくとかじゃなくて、ただただ悲しかった。きっと私の伝え方に足りない部分が多かったんだろうな。悲しかったなぁ〜。いやぁ、悲しい、本当に悲しい。今でも思い出すととてつもなく悲しくなる。

社会に出るまで、価値観の違いということがイマイチはっきりと分からなかったが、それは関わる人を選んで生きてきていたんだなと思った。

私だったらこうするとか、私がその子の立場だったらどうするだろうとか、その頃いつも考えていたけど、全て無駄だった。だって違うんだもん。なにもかも。

彼女に理解してもらおうとか、分かってもらいたいと思う自分の気持ちの一切をやめた。きっと一生分かり合えない。全く違う、一つもかすらない、何もかも正反対の二人なんだと思う。

何かを判断する時に、どうしたいのか、どうしてそう思うのか、自分の考えと向き合い突き詰めていった結果、自分の感情が優先順位の一番上にあってしまう場合、物事はあまり上手く進まない。怒りや、悲しみは一度殺して、ニュートラルな状態で判断は行わなければならないと学んだ。狡いことがどうしても大嫌いで、人を自分都合で過剰に傷付けている人をどうしても見過ごせないのだけど、彼女からしたらその悪の対象は私だったんだろうな。

周りのスタッフからは、あなたが居てくれて彼女は変われた部分があると思うとか、あなたが伝えてくれて彼女は助けられたと思うとか、色々と言ってくれたけど、彼女はそんなこと全くさらさら微塵も思っていないと思う。笑 そんなこと今更言うぐらいなら、あの時彼女に一緒に伝えて欲しかった。

何年経ってもこの先も、私という存在はただの無駄に厳しいクソ鬼上司にしか過ぎない。

ただ、伝えることは諦めなかったのでお互いに歩み寄れた部分はあったし、無駄では無かったと私は思っているので、価値観があんまりにも違う人がいても諦めずに伝えるべきだとは今でも思っている。あの頃全く伝えずに彼女の〝自分らしさ〟が肥大して育っていたら…と思うとゾッとする。本当にあった怖い話すぎる。実際に改善された部分もあったしね。

指導者として重要なのは、相手のレベルに合わせるということが一番大切だという基本を彼女には学ばせてもらった。基準に追いついてもらおうとするのは、あくまでもこちら側の要望で、出来る出来ないは相手の能力やレベルによって異なってしまうから。20歳の頃に経験して改善するにはあまりにも濃密だったと思う。

今では、こう伝えたら相手はどういう解釈をするか、どう反論してくるか、出来る限り全て想定するようにしている。自分で自分の考えた言葉の揚げ足を取る作業を十分に行ってから、相手に投げるようにしている。

それらをするようになってから、想定外が大幅に減った。心を大きく掻き乱されたり、ひどく落ち込んだり、悲しくなったり、全てが大幅に減った。

昔社長が「経営者は孤独だ」と言った。こんなに社員を抱えて孤独とはどういうことか分からなかった。今なら少しわかる。責任者も少し孤独が近くにいるかもしれない。(そんな大層な人間ではないけれど)

そして、私にたくさんの感情と選択肢とそれらの方法を教えてくれた彼女が、ほぼ寿退社という形で退職した。4年間勤めてくれた。今までで一番長い年月を勤めた会社だと言う。そりゃそうだろう。おめーがまともに働ける会社なんざなかなか無ぇだろうよ。ここで話したことは彼女との4年間のほんの一握りのことにすぎない。毎日小さなズレを感じながら過ごしてきた。彼女を嫌いにならないように嫌いにならないように努めていた日々は、正直とてもストレスだったように思う。

十二分に頑張ってくれた彼女と、十二分に彼女と向き合い頑張った私に、今は拍手を贈りたい。私たち、きっと一番良い形でエンディングを迎えられたと思うんだ。

この話を最後に、彼女のことを思い出してやきもきしたり、悲しんだり、悔しくなったり、やるせなくなったり、沸々とムカついたり、そんな気持ちを手放して、彼女を頭の中で火葬し埋葬しようと思う。


さようなら。

必ず、

必ず、


地獄に堕ちてください。








転職活動中に毎日聴いてた曲です
人生に、音楽があってよかった

死ぬこと以外かすり傷/コレサワ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?