人生40年ほど生きて気づく、温泉と文学の効用
携帯の充電でいうなら残量7%くらいになっていた気がする。いや、4%くらいか。
なにがいやとかではなく、ただ疲弊して泣きたくなる。あとひとつ荷物が増えたら、スリープアウトするか、泣きながら暴れてしまいそう。
いい歳してそんなわけにはいかんので、一日休める日を見つけて、たまたま空いていた近場の宿を二日前に予約した(もちろん、ひとりだ)
最寄というバス停から、殺す気かというような急勾配の坂を登り、宿に到着して、女将の挨拶もそこそこに、畳に横になって小説を読む。
しばらく、そうして、露天風呂で一風呂浴びた。部屋には風呂がない。
風呂から戻り、小説の続きを読む。
行きがけのターミナル駅の中の書店で、バナナでも売るように山積みされていた「終電の神様」。30万部か40万部のベストセラーだそうな。文庫で一冊買った。
ベストセラー小説って、ほんとにすごい。ということに、いまさらながら気づく。気軽に読めて、面白くて、骨太で、緻密で、泣ける。
わあわあ泣いた。感動的で。
泣いていたら、夕食の配膳がきた。
ひとり客に配膳するのも、さぞかしめんどくさいだろうなあと思う。
いわゆる先付から始まった食事は、予算が予算だったので、料亭並みに美味しいというものではない。でも、ひとつひとつ丁寧につくられていた。
プラスチックと見まごうペカペカした土瓶で供された松茸の土瓶蒸し。
食べたら、ほわあああああと、溜まりに溜まった疲れが、長い息と共に体から出ていった。
お造りで出てきたマグロの刺身は、口に入れると歯にしみるような冷たさしか感じなかった。でも、強飯で出てきたキノコのごはんはハッとするほど旨かったりして。
そんな料理を、ひたすら食べて、飲んで。お酒は二合と少し。
食べ終えるやいなや、いや正確にはデザートもすっ飛ばして、「ふとんを敷いてください」というと、「旅館の醍醐味は食べて寝ることですからねえ」と、するするするとふとんを敷いてくれる。
ふとんにもぐりこみ、ひたすら本を読む。
角田光代の「いつも旅のなか」「ツリーハウス」
小説にぐずぐずに浸る時間がなければ、だめなのだ。生きていけないのだ。そのことが、わかった旅だった。
翌日は、東海道線で一駅、熱海に移動した。「ボンネット」という喫茶店で、450円のウィンナーコーヒーを頼み、むさぼるように小説の続きを読んだ。
「壱番」という、秋元康推薦の、比較的最近できた中華料理屋に寄って、1100円のCセットのランチを頼んだら、信じられない量の麻婆豆腐が出てきて、なんとか食べた(うまいです)
そうして、ローカル列車で帰途につき、ああ、たぶん、35%くらいまでは回復したなあ、と思った旅だった。
いつでも逃げようと思えば、ちいさな避難はそばにある。そして、いつまでも逃げようとしたらどうなるのかと、おそろしいながら魅惑的にぽっかりあいた穴が、かたわらにある。
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