太宰治「斜陽」 女の恋は憧れで始まり、無関心で終わる

太宰治「斜陽」のおそろしさは、年を重ねてからわかる。上流階級が戦争で没落していくおそろしさではなく、女性のおそろしさだ。

ヒロインであるかず子は、退廃的な生活を送る既婚者で作家の上原二郎に恋をし、子供を宿す。

上原に宛てた手紙として、独白のように語られる言葉。「M・C」とかず子は語りかける。

M・Cーーマイ、チェーホフ。

初期には、そのように書かれた言葉は、中期には「マイ、チャイルド」という呼びかけに変わる。

そして、上原と別れ、シングルマザーとなることを決意した終章では「マイ、コメディアン」と綴られて終わる。

マイ、チェーホフ。

チェーホフは、物語の原型となったともいわれる「桜の園」を書いたロシアの文豪。

女の恋は、このようにして始まり、このように終わるのだ、と思う。

最初にあるのは、憧れ。崇拝のように、見上げる気持ち。才能や美しさは、神のように映る。近づきたい、認められたいと願う。

そして、手に入った男に芽生えるのは、母性のような感情。マイ、チャイルドーー愛しい存在。守ってあげたい存在。その弱さや虚勢も含めて。

そして、恋の終わりに訪れるのは、無関心。

マイ、コメディアン。

なぜあんなに焦がれるように恋したのだろう。過ぎてみれば茶番のよう。

恋慕の情はなく、憎しみでさえなく、過ぎた一幕の芝居でしかなくなる。

そして、一番ほしかったものは、彼女のお腹の中で脈打っている。

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