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声の大きなマイノリティにNoと言う

今日は、田中の本拠地ヤンキースタジアム初登板だったですが、試合中でもヤンキースタジアムの内野席にネットが張られていて朝から衝撃でした。

(DAIRY NEWSより)

これまで日米20球場以上で観戦して確信したことがあって、それは「内野席のネットは著しく野球の商品価値を下げている」ってこと。

ネットがない球場では心理的にグラウンドと客席との一体感が爆発して、テレビでは体験できない野球の臨場感、スピード感、緊張感が楽しめます。

なので、ボクはベンチ裏にもネットがないMLBの球場は大好きで、それを求めてアメリカまで観戦しに行ったと言ってももいいくらい。


でも、今回考えたことは「ヤンキースタジアムはオワコン」ではなくて、スポーツに対するMLBのスタンスについて。


もともと、MLBの球場の内野席にネットが必要だっていう議論はあって、内野席に自分の家族は絶対に座らせないっていうメジャーリーガーもいます。

そして、その議論に終止符を打つ決定打になったのがこちら。

トッド・フレイジャーの105mphの打球が2歳の女の子の頭に直撃。

これは去年の9月のできごとであったにも関わらず、今年のヤンキースタジアムにはもう内野席のネットが導入されて、他の29球場についても今年中にネットの拡大がされるようです(もう設置されているのかな?未調査です)。


確かにシーズンチケットホルダーにしたら視界を遮るネットは邪魔以外のなにものでもなく、絶対ネガティブな意見はあったはず。

ネットがあるなら、野球リテラシーの高いボクは高いチケットを買って最前列に座ろうとは思わないです(インプレイ中にお友達と猫耳をつけてインスタに投稿せず、打者によって打球の傾向が分かり、グローブ持参でファウルボールを怖がらずに観戦するボクの野球リテラシーは高いです笑)。


最近はスポーツが国家戦略になりつつあり、スポーツの経済的価値についてみんなが再定義しているけど、根本にはスポーツを通じた健全な心身の発達っていう大前提があることを忘れてはいけません。

この理念に則れば、球場にネットを設置して安全な観戦環境を整備するのはとても合理的な判断ですよね。


MLBを始めアメリカのスポーツ団体は、ファン・市民にリスペクトされる存在であることが持続可能な組織の条件であることを本当に理解しています。

例えば、MLBでは障害者や戦争から国を守っている兵士を始球式に招待したり、リーグ全体でガン撲滅の募金活動をしたり、黒人差別を断固反対する姿勢を貫いたり、彼らは社会や地域への貢献する意識が常にあります。

なので、MLBは既得権益や現状を謳歌しているステークホルダーに対して、きちんとNoと言って合理的なアクションを起こすことができるんです。

聖域すぎて実現していないのですが、MLBでは他にも両リーグでのDH制やピッチクロックの導入など議論していて、エンターテイメントとしての価値を高めるっていう目的のもと、少なくとも球団経営者、選手、ファンの意識改革は実現できています。


一方で日本だと、スタジアムの安全性の話からは外れるのですが、特にスポーツ業界では功労者達の鶴の一声があまりにも影響力が大きくて全体最適にならず、是正できていない非合理的、非効率な部分が残っているのかなと思っています。

※この意見は全く個人的な主観です。。。

ちょうど最近、”土俵から下りてください”問題があって、日米のスポーツに対するスタンスがまるで違うなと感じました。

伝統とか、具体的な数値目標とかがあるのはすばらしいのだけど、それを守ること、達成することで何を実現したいのかを考えていれば、土俵問題は絶対に起こらなかったし、部活の練習が休みで歓喜する学生も存在しないはず。

これはスポーツに限ることではなくて、「2位じゃダメなんですか」って質問の是非よりも、それに対して1位であることで社会・文化へ提供できる価値が整理できていなかったことに大いに問題があるのではないでしょうか。

「素人は1位が大切であることがわからないんです」って言う3000本安打おじさんとは建設的な議論ができませんね。


結局何が言いたいかと言うと「その組織は何のため、誰のために存在しているのか」を考えようってことです。

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