わたしの個性|がん、であるということ

ある日、自分で、私、がん、かもとおもった。

誓ったこと.40代は遊ぶ

がんは、ふたりにひとりっていうけれど、まわりのひとの半分が、それになっているわけじゃない。でもわたしは、がんになった。きっと、ずっと生きられないとおもったから、40代は遊ぼうとおもった。

がん、が、みつかったときのこと

30代から、誕生日は会社を休むことにしていて。

昼間からお酒を呑んだり、映画をひとりで見たり。いつもは行かないエステにいったり。すこしだけお金をつかって、いつもしないことをしていた。

40歳は、街なかの温泉で韓国式あかすりエステをしようとおもっていて、そのエステシャンに背中をこすってもらっているとき、「ここ痛いですか?」と声をかけられた。

特に痛くはなく、「痛くないです」と答えたら、「ここにコブがあります」ということだった。

自分では触らない、身体の裏側の事件にビックリしたけれど、そのエステシャンが「よく、これある人いますよ。良性の脂肪のかたまり、っていうんですか?そんなんです。」
といってたので気になったけど、その日は誕生日を満喫して帰った

病院にいく

左手を伸ばして、右脇の下から背中と脇の間を触ったら、ゴルフボール大のしこりがあったのを憶えている。
エステシャンは、「脂肪のかたまり」というキーワードをよく言ってくれたと思う。このキーワードで、検索できたから。
「脂肪のかたまり」は、「脂肪種」という種類だった。WEB記事を読むと、<そのままにしておくと大きくなる>と書いていあったから、ちょっと怖くなって、皮膚科を予約した。

「すこし固いね。血管が巻き付いているのかな」というクリニックの皮膚科医。
「でも、とにかく、大きくならないうちに、取っておくといいですよ。9割以上が良性なので」といわれ、<トル=手術> という言葉に少し興味があったし、その病院の提携先に、大学病院の名前がでてきたので、その<未知の世界>に、ちょっとだけワクワクしたりもしていました。

そして、手術

大学病院は予定が合わなかったので、自治体系の病院へ。形成外科が担当だった。「形成外科は跡が残らないから」という皮膚科の先生。見えない場所だけど、女子だから気を使ってくれたのか。なんだかよい先生に恵まれたという感じでほっとしました。

手術は、日帰りだった。
会社の同じフロアの同僚にも「ここを切りに行くんだ」と服の上から、そのしこりを触らせていたりした。当時わたしは、広報部門のリーダー職で、4人のスタッフがいるチームを担っていた。
仕事は、日々いろんなことが起こっていて、仕事に支障がない日帰り手術にほっとしたものだった。

手術は、脊椎麻酔であったけど、局部麻酔だったので、意識はしっかりしていた。ぐりっと、取った感覚があって、すこし嫌な感じがしたけど、なんにも痛くなくて、なんだか拍子抜けした。

「抜糸は一か月後です。それまでいちおう取ったものを生研にかけますね」といわれ「えー、一カ月もかかるのかー」と思ったくらい。縦に切り目がはいって、横にフランケンのように縫い目があって。魚の骨のような縫い方だった。

一か月後。主治医があたふたしていた。

抜糸って、すごい痛いイメージがあったけど、毛抜きで眉毛を抜く感じでチクチク痛かったというだけ。「あーこれでおわったー」とおもっていたら先生があたふたしていた。

先生:「とったものを検査したら、ちょっと悪いものがありました」
わたし:「そうなんですか・・・」

先生:「すぐに放射線科にいってください」
わたし:「はい・・・でも仕事があるんで午後には帰りたいです」

先生「悪性だったんです。高分化型脂肪肉腫です」
わたし「はい・・・」

先生「放射線科の予約を取ります」
わたし「はい・・・」

なんのことかわからなく、放射線科の予約を取った。「わるいものがみつかった」「悪性だった」「放射線」「コウブンカガタシボウニクシュ」このキーワードで「がん・・・??」と自分で想像するだけで、なにもわからなかった。普段「がん」という言葉は知っていても、「悪性」というだけでだれが「がん」とおもうだろう。がんとかという病名を明確に告げられず、高文化型脂肪肉腫という病名では、がんとわからない。

がんかもしれない。とおもったけど、なにがおきているかわからない
という状況に、放射線科の待合室で、悲しくもないのに、鼻水のように涙がでてきた。嗚咽もでなく、ただ水のように、涙がながれてきた。

そしたら看護師さんがポケベルを渡してくれた。
「治療の時間になったらこれで呼ぶから。それまでどこかいってきていいよ」
きっと、「どこかで気晴らしをしてきなさい」という看護師さんのやさしさだったんだろうと思う。
でも、そういう「普通じゃない気遣い」で、わたしは益々「まずい状況なんだ」というのを、少しずつ感じ始めていた。

そのくらいに危機感がなかった。自分になにがおきているのかが全く分からなかった。





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