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La tentazione di bianconero

はじめに

 私の心のクラブであるユベントスには、数え切れないほどの魅力と美しさが存在している。ここでは主に3つの観点から書いていく。


王者たる矜持

 1897年にイタリアはトリノで創設されたユベントスは2022年の現在まで、前身のイタリア選手権とセリエAを合わせてイタリア王者のタイトルを36回獲得し、コッパ・イタリアにおいても最多14回の優勝、UEFAチャンピオンズリーグをはじめとする国際タイトルも数多く獲得している。2011-12シーズンから2019-20シーズンまで、国内リーグ9連覇という前人未到の金字塔を打ち立てたことも記憶に新しい。これほどのタイトルを獲得しているクラブは欧州でも指折り、その枠を広げたとしても数少ない。記録を並べるだけでも素晴らしいクラブだと分かるが、その他のビッグクラブと呼ばれるレアル・マドリードやバルセロナ、マンチェスター・ユナイテッドのように華やかであるかと問われれば、私は首を横に振る。もちろん、歴史をひも解けばジャンピエロ・ボニペルティやミシェル・プラティニ、ロベルト・バッジョ、アレッサンドロ・デルピエロのような華やかな選手たちがいたわけだが、いつの時代も世界的なスター選手はチームに1人や2人だった。それでもユベントスは勝利を重ね続け、王者の地位、勝者の精神を絶対的なものにしてきたのだ。その輝かしい歴史の裏には黒子の存在が不可欠であった。私はこのスーパースターを陰で支える汗かき役のいわば「超一流の黒子」たちがユベントスを造ってきたと考える。ステファン・リヒトシュタイナーやブレーズ・マテュイディ、アルトゥーロ・ビダルのような選手たちのプレーにはジダンやデルピエロのような美しさはなくとも、チームに不可欠なはたらきを見せていたし、どんな試合であれピッチを縦横無尽に駆け回り、汗をかき続けた。そこには泥臭い勝利への執念を感じさせるものがあった。彼らにこそ、ユベントスのDNAであるFINO ALLA FINE(イタリア語で「最後まで(諦めずに闘う)」)の魂がある。美しさとは華麗なプレーをすることではなく勝利すること。最後まであきらめずに闘い、勝利し続けることにこそ意味があるのだと彼らは教えてくれた。2018-19シーズンのUEFAチャンピオンズリーグ2ndレグ、アトレティコ・マドリード戦などはまさにその象徴である。私は眠い目をこすりながら試合を観たあの日を、今でも鮮明に覚えている。まさに魔法の夜であり、そこには王者たる矜持が確かにあった。前節の0-2の敗戦という絶望の淵から這い上がって勝利を手にしたユベントスの選手たちに心を動かされ、涙を流し、このクラブを応援していてよかったと、あれほど強く感じたことはない。


伝統

 ユベントスの伝統のひとつはユニフォーム。世界最古のプロサッカークラブであるノッツ・カウンティのユニフォームにインスパイアされた白と黒の縦縞。ビアンコネーロ(イタリア語で「白と黒」)のシャツはユベントスの勝利の歴史を継承し、対峙する相手に畏怖の念を抱かせる。私はこれほど美しいユニフォームを知らない。そして、ユベントスを語るうえで欠かせないのは名家・アニェッリ家の存在だ。1923年にエドアルド・アニェッリがクラブを買収したことに端を発するアニェッリ家とユベントスの物語は今もなお紡がれている。サッカークラブである以上、選手や監督の実力も必要であるがそれを支えるフロントの偉大さも必要だ。近年は開催されていないが、アニェッリ家の所有するヴィッラール・ペローザでのトップチーム対プリマヴェーラのプレマッチも伝統行事となっている。さらにユベントスは規律正しく、練習熱心なクラブとしても名高い。今夏での退団が決まった10番、ディバラが加入当初に手を抜いて練習していると、バルザーリから「ここはユベントスだぞ!」と喝を入れられたという話はファンの間では今でも語り種である。また、先日契約延長を発表したペリンはユベントスへの加入当初に、練習場のコンティナッサに練習開始より早く到着してもキエッリーニやボヌッチはすでにトレーニングを行っていたと話している。単なるエリート集団ではなく、勝利を重ね続ける彼らが日々の練習に熱心に励むことでユベントスの歴史は紡がれていくのだ。そして何より勝利への執念。過去の栄光に飽き足らず次の勝利を目指し続ける気概と、勝利のためには何を犠牲にすることも厭わないその精神こそがユベントスの伝統だ。ジャンピエロ・ボニペルティは“ Vincere non è importante,è l'unica cosa che conta.” / 「勝利は重要なものではなく、唯一のものだ」という言葉を残したが、これこそがまさにユベントスを象徴している。数多のトロフィーよりもこれを体現する選手たちのプレーこそが世界中のファンを魅了し続けているのだ。「イタリアで最も愛され、最も嫌われるクラブ」と言われるのは誰しもがユベントスのしたたかさを認めている証拠だ。


バンディエラの存在

 bandieraとはイタリア語で「旗」や「旗手」を意味し、ことカルチョの世界においてはクラブを象徴する選手のことを指す言葉。近年ではアレッサンドロ・デルピエロやジジ・ブッフォン、クラウディオ・マルキージオ、ジョルジョ・キエッリーニ。彼らは常にチームの先頭に立ち、言葉通り旗手であり続けた。バンディエラが率先してFINO ALLA FINEの精神を体現し、守り続けてこそユベントスはユベントスであり続ける。デルピエロは私の永遠のアイドルだ。現役時代のプレーをリアルタイムでみていたわけではないが、彼の美しく力強いプレー、期待に応え続けるカピターノとしての振る舞いなど、ピッチ内外でのひとつひとつの所作には偉大という言葉では形容できないほどのすばらしさが滲み出ていた。背後からのボールを造作もなくトラップし、巧みなドリブルで立ちはだかる相手選手を翻弄し、ゴールへの美しい弧を描く正確無比なシュートを決める。そんな彼の背中こそが幼い私をユベントスの虜にした。前述したバンディエラたちはもう1人としてユベントスには在籍していないが、昨今では珍しい彼らのような選手がビアンコネーロのユニフォームに袖を通し続けることを期待してやまない。夢を与えてくれる選手の存在こそ、今のユベントスには必要だ。


おわりに

 私の敬愛するPeriodistaの小澤一郎氏は自身のYouTubeチャンネルに投稿した動画の中で「サッカーが人生のすべてを教えてくれる」と語っていたが、私もまさにその通りだと感じる。私がユベントスを応援し始めてから10年ほどしか経っていないが、私はユベントスから多くのことを教えてもらった。デルピエロの振る舞いからは常に何事にも誠実であることの大切さ、キエッリーニの守備からは時に狡猾さをもって手段を選ばずに目標達成を目指すことの必要性、ディバラのプレーからは困難に挑む野心とそれを成し遂げる努力の大切さ、さらにクラブからは継続することの難しさ、そしてそれを維持し続けることの偉大さを学んだ。セリエA9連覇を筆頭に10年間で19ものタイトルを獲得したユベントスは現在、大きな過渡期の中にある。2021-22シーズンは11年ぶりの無冠に終わった。そして17年にわたって守備を支えたカピターノ・キエッリーニと、クリスティアーノ・ロナウドの加入がなければ攻撃の2枚看板として躍動していたであろうディバラもベルナルデスキも退団を発表した。私はこれほどに低迷しているユベントスを知らないが、セリエAでの4位フィニッシュに満足するクラブでは到底ないことは知っている。来季のユベントスに期待はあれど、不安は微塵もない。やまない雨はないし、明けない夜もないし、抜けないトンネルもない。いつだってカルチョの主役はユーヴェである。ビアンコネーロの選手たちは必ず表彰台の上に帰ってくる。来年の今頃にはまた選手たちの大合唱が聞こえてくるだろう。“Siamo noi, siamo noi, I campioni dell’Italia siamo noi, siamo noi ……”




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