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私の中には湖(うみ)がある

子猫がうちに来て2週間経った。まだ幼かったからか、こちらが思ってた以上に慣れるのが早い。初日からうんちが出たし、ごはんもガツガツ食べてる。始めおぼつかなかった足どりは、遊んで過ごすうちに走れるまでになった。

遊びは一日に3時間くらいしないと気が済まないようで、家にいる時はかかりきりになる。家事をしてる時もちょこちょこついて来るので、足元でボールを転がしながら一緒に遊んだりする。

大変といえば大変やけど、子猫は人間の子どもと違って心を込めないでも不満に思わないので、まだ楽や。(乳幼児を育てたことがないから心を込めなあかんのかもよくわかってないけど。)私は本を読みながら、子猫と遊んだりしてる。

ただ昨夜は、仕事で疲れてイライラしてた。留守番させてしまったし遊んであげなと思うが、動きがつい荒っぽくなる。子猫も多分やんちゃな方と見えて、私の荒さにつられて攻撃性が増してくる。遊びの最中、私の足を噛んできて、私がまたイラついて、動きが荒くなって…そんな繰り返しでお互い興奮してきた。

その結果、子猫が壁に頭をぶつけた。そこでようやく目が醒めて、「興奮しすぎたね。もう寝ようか。」となだめ、子猫から離れた。遊ぶのが良いことやとしても、こっちがイライラしてたら危険の方が強くなっちゃうな…と反省した。疲れてる時は素直に休もう…。

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明け方、布団の中で音楽をきいた。エド・シーランの新しいアルバム。

まだ意識がぼんやりしてる中きく音楽は、脳の深いところまで入り込んでくる。エドの深い内省が夢のように伝わってきて、私は少し泣いた。昨日の疲れやこの数日モヤモヤしてた気持ちが、少し緩和された気がした。

私は感情にのまれやすい方や。そういうのはあんまり良くないって聞くし、動揺してる時でもできるだけ理性を働かせるようにしてる。でも昔は、20代は、もっと素直に感情にのまれてたと思う。そのことを、エドの音楽をきいて思い出した。感情にのまれながらも「これは私だけの大事な感情やから」と考えてた。それは幸せな感覚やった。

感情のエネルギーはとてつもなく大きい。(私は最低びわ湖くらいは大きさがあると思ってる。)大きい感情にのまれると、しんどいけど「生の強さ」みたいなもんも感じる。すごいなー、うちって…という気持ちになる。だから幸せ。

そういう感覚を思い出して、もう一度作品を作ってみようかな。近年は頭でっかちのものが多かったから、また情緒的なものに立ち返ってもいいんかもしれん。

そんなことを考えながら、子猫に朝ごはんを出した。じゃれてくる子猫は相変わらず可愛かった。

恐竜となかよし

生きる糧にします