痛い

ずっと泣いている。子供の頃からずっと、すぐ泣く子だった。ちょっと強く言われるだけで自分の存在を丸ごと否定されたみたいな衝撃を受けて、当たりが真っ暗になって、悲しくなって泣いてしまうのだ。泣きたくて泣いてるわけじゃないというのは本当なんだ。本当の本当で、勝手に苛立って涙が出てきてしまう。止めることが子供の頃からずっとできなくて、その度に親に怒られた。もう何度泣くなと言われたか分からない。泣く度に言われている。でも泣くことを止められない。

よく人に怒られたりするが、大体は自分が悪いような気になる。自分ができない人間だから苛立たせて怒らせてしまう。私のような人間はきっといじめやすい人間なんだろうな、と思う。私に非があるのだ。私が傷つき泣く度に他者が加害者になる。だから私は酷い人間なんだ。だから親は私に泣くなと怒るのだ。私は泣くことで人を傷つけているのだ。私は多分、本当は怒られる度に他者から怒りを向けられることに苛立っていて、仕返しをするために泣いているのかもしれない。自分に苛立って泣いているのが半分で、相手に怒りを覚えて泣いているのが半分なのかもしれない。私は弱い人間だから、口で言い返せないかわりに泣いて相手を傷つけようとしているのかもしれない。自分を傷つけるなんて許せない!お前を加害者にしてやる!と。
私が泣くことで対他者は加害者に、私は被害者になる。本当は私が悪くて怒られているのに。
私は常に傷ついていて、常に人を傷つけている。常に上下関係をつくり、他者と比較し、へりくだって人畜無害を装う。私は弱い人間だとアピールすることで、他者から嫌われることを回避しようとする。とにかく嫌われることを恐れている。

私は人よりも能力がなくて、うまく喋れなくて、声も小さい。トロくて鈍くてマヌケな人間だ。だから自信が無い。常に他者からの批判に怯えていて、もっと大きく喋れと言われるだけで怖くてたまらなくなり、過剰に傷ついて苛立ち泣く。自分ばかり努力することを求められているようで、そのままの自分を受け入れてもらえないようで、苦しいのだ。どんなに言われても、できないことはできないのに、できることが普通として扱われることに嫌になる。私は普通に適応するために、人の倍努力しなければならない。エネルギーの消費が酷く、常に頑張り続けなければならない。だからもう嫌なのだ。体も声も小さい弱くてなめられやすい自分が嫌だ。もうこれ以上傷付きたくない。もっと優しい世界にいたい。みんなはいつも暖かな人に囲まれて楽しそうなのに、私はそれにはなれない。私は常に批判されることに怯えていて、傷つくことに怯えている。もうとにかく怖いのだ。もうこれ以上自分のトラウマをあちこちで抉られて怒られて無視されるような気分になりたくないのだ。人と関わることが怖い。自己開示することも怖い。もうこれ以上誰からも傷つけられたくない。傷付きたくない。傷つけたくない。なんで普通に適応しないといけないんだ。私は普通じゃないのだろうか。普通以下なのだ。つまりできない人間だから要らないということだ。誰からも必要とされていない。要らない人間なんだ。だからはやく捨てられたいのに。
私には普通と普通じゃない部分の境目がよく分からない。私は常に真面目に話をしているのに、呆れられることがある。できない人間だと常に思われ続けている。私は私なりに一生懸命生きているだけなのに、自分が酷く矮小で醜い人間のように感じる。自分の生きていることにさえ自信が持てなくて、だから何もかもが怖くてたまらないのだと思う。こんな優しくない世界なんて、いらないからもう死にたいと思う。優しくないのは私自身なのだろう。だから世界も歪んで醜いのだと思う。

私はいらない人間だから。誰からも私が存在することを求められていないから。だから死にたい。必要とされたい。優しくされたい。傷付きたくない。社会の厳しさは他でもない大人たちが作ったものなのに、それを若者に押し付けて、弱いとか甘いとか好き勝手言う。もっと優しい世界ならいいのに。優しい世界でなら私も生きていたいと思う。優しくない世界だから生きていたく無くなる。私の存在が蔑まれて必要とされない世界だから私はとても死にたくなる。なんなら死んで詫びた方がいいような気さえしてくる。「生まれてきてごめんなさい」って。

もう本当に生きていたくない。自分を守れるのは自分だけだと言われても、守り方が分からないよ。とにかく叫んで泣いて死んでしまいたい。


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