自己紹介

秋田と東京の二拠点生活を目指しているWebエンジニアです。決意表明は以下に譲るとして、ここでは自分の略歴などを書いてみようと思います。

学生時代

秋田県潟上市(旧天王町)でごく普通の家庭の長男として生まれました。学校の成績は悪い方ではなかったけど突出するでもなく。「やればもっとできるのに」とよく成績表に書かれる子供でした。

高校は、理数系が得意だったのと、なにかものをつくることが好きだったので工業高等専門学校へ。ロボットに興味があったので機械工学科を選んだのですが、何かやりたいことと違うなあ、という感じでした。むしろ選択科目で受けたBasicとかFortranとかが面白く感じてました。当時ADSLが田舎まで普及してきた頃だったので興味は完全にそちら側へ。同級生が自動車などの会社に就職していく中、奇跡的にWeb系の開発会社を見つけて就職しました。かなり変わった奴だったと思います。

一社目

Webの受託開発をしている会社で人数は10数名ほど。受託だけではなく自社サービスもやるぞ!ということで、私は主にそのサーバ側のAPIなどを作ってました。JavaとかSeaser2とか使ってたと思います。Webエンジニアとしての基本的なことはここである程度鍛えてもらったと思います。でも次第に物足りなくなってきて転職することに。

二社目

当時もの凄い勢いで伸びていたソーシャルゲームの会社に転職しました。とはいえ私はゲームはつくらず、ゲームプラットフォームのAPIや、キャンペーン施策の開発などをしてました。おもにPHPで開発してました。

とにかく優秀な人ばっかりで、常につま先立ちで全力で走らないとついていけないような気持ちだったのを覚えています。色々やらかして凹んだりもしてました。ただ、そこで数年やれたことでWebエンジニアとしてある程度やれる自信もつきました。

ちょうどそのころ、結婚して子供も生まれて、仕事でもプライベートでも価値観や考え方が大きく変わった時期でした。間違いなく人生の転換点だったと思います。そんな中で自分の成長よりも、世の中になにをアウトプットしていくか、どう社会に貢献するか、ということに考えが及ぶようになったのもこの頃からでした。

三社目

二社目もやりがいがあったし、ゲームも好きだったけど、もっと自分にとって身近な課題を解決したいという思いと、Webエンジニアとして力試しをしたいという気持ちで、子育てメディアのスタートアップに社員1号としてジョインしました。

入社当時はWordpressを外注でカスタマイズしたものを使っていましたが、サービスのさらなる成長のためにイチから作り直すことに。インフラはAWSのセットアップや、デプロイからリリースまでの設計。サーバ側もJava8でまっさらなところから設計して開発まで。フロントエンドは外注のデザイン会社から納品されたaiファイルからCSSを書き出したりReactがしがし実装したり。Elasticsearchも使ったので検索も少し詳しくなったり。とにかく何でも好きにやらせてもらいました。

フルスクラッチで開発した経験、自分が開発したものがダイレクトにサービスの成長に反映される楽しさ、それ故の大変さなど、とにかく濃密な時間でした。一方で、プロダクトの隅々まで全部把握しきってしまったからか、Webエンジニアとしてのインプットは少なくなってしまったように感じていました。自分の成長と社会への貢献、そのバランスが取りやすい環境がないか悩んでいたときに、二社目で一緒のチームだった方から誘ってもらい、あれよあれよという感じで転職することになりました。

現職

いまの会社では、採用とか、チームビルディングとか、担当部分の開発計画を立てたりとか、いままでやってこなかったことにもチャンレジさせてもらっています。Webエンジニアとしても、Pythonやvue.jsなど、新たな技術の習得にも励んでいます。

おわり

実はこの記事を書いている前日に35歳になりました。折角のタイミングなので自分の経歴を振り返るために、当時の気持ちなども思い出しながら書いてみました。もっと濃いいことが追記できるような35歳の1年にしていきたいと思います!


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