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ツイッターやめよう2021

労働の愚痴をツイートしてしまうと、妙な自己嫌悪に陥るわけです。いや、別にツイートするのがいけないこととは思わないんですよ。ていうか好きにさせなさいよツイートくらいってなもんでございます。まあそうは言ってもツイッターもだいぶ生きづらくなったような気はしますが、それはツイッターの変化だけでなく私の変化もあるのだろうし……とかなんとかそれはちょっと話が逸れるので置いときます。

そう、だからね、別になんでも愚痴りゃいいわけです。ツイートなんか好きにすりゃいいんです。まあしかしそう思うのとは別のところで、なんちゅーかあれですね、私レベルでこんなこと嘆いててもな、とか。もっと大変な労働してる人の方が世の中には多いわけだしな、みたいな。社会の下の方の、歯車の一部になれてるのかすら怪しいそうな階層の人間みたいな生き物ですので私は。まあなんかそんなようなことを思ってしまいまして、アッヤダ!ヤダヤダ!消す!とかなるわけですね。そこまでもう見えてんだからツイートしなければいいのに、と思うでしょう。私も思います。ところがどっこいツイッターは呼吸ですので、ついうっかりね、息をしてしまうわけです。すんな息を。

今日はそんなこんなで、ツイッターやめようかな、と真剣に悩んだりもしたわけなんでございます。もう十年以上もツイ廃してて、ツイート数こそ激減しておりますが暇さえあればタイムラインを眺めているようなアレなんですけども。なんというかまあ虚無じゃないですか。ツイッターを流し見てる時間って。いや、フォロワーがおもしろいつぶやきをしているよ!おもしろいまんががまわってきたよ!とかはそりゃ有意義です。そういうのを取りこぼしたくはないです。しかしあの、例えばタイムラインにそーーんなに人がいない時間帯とかに、無駄に色んな人のツイッターを見たり、ワードで検索かけてみたりとか、なんかそういう虚無の時間がね、ツイッターをやめれば、なんかまた違う有意義なところに向かっていくのかな、とか。

そんなことを考えたわけですが、そこでふと気が付くわけです。いや待てよと。ツイッターをやめたところで、ツイッターに費やしていた分の時間をぶつけるなにかが、お前にはあるのかいと。ええ。自問自答しましたね。しましたとも。んっまァァァァ、ないです。ないわけですよ。そりゃあさあ、ツイッターやめてから見つけりゃあいいんでないの、というのもまあ一理あります。確かにね。しかし、そう簡単に見つかるかい?見つからないんですよ。見つかんないわけ。そしたらじゃあどうなるのよ、そのツイッターに費やしていた私の虚無時間はさ。携帯見つめて死んだ顔してる時間が、見つめるものが携帯から天井に変わるだけじゃないのかいってさ、アタシはさ、懸念してるわけ。ええいでもブルーライト浴びてるよりは天井見てる方が健全やろて。四の五の言わずにやめろて。と言われたら、まあそりゃそうよ。そりゃそうよねとしか言えないわね。でもね、そう簡単な話でもないの。血と骨にこびりついてしまったこのツイッター依存は。

なんの話してたんだっけ。まあいいや。とりあえず今日は労働人生最大のやらかしを致しまして、もうくそみたいな一日でございましたね。あっお言葉が汚うございますか、それは申し訳ありませんでした。おうんちみたいな一日でございましたわ。お詫びして訂正いたします。まあ自業自得というか、自業自得。最近色々な重なりでありとあらゆることに対するモチベーションも下がってればコンディションも下がっておりましたのでね、もうこれは本当に私の注意力散漫という感じ。私にしては珍しいくらいしっかり反省したので、それ明日からは切り替えて頑張

れないので、仕事辞めます。おやすみなさい。あ、一応書いときますけど冗談です。辞めません。あ、ツイッターもやめません。いやそれはやめなさいよ。おやすみなさい。