ハレルヤが聞こえた夜

 予定帝王切開で生まれたあと、娘はすぐに産院とは別の大きな病院に救急搬送されてしまった。

 手術室で、産後の処置がやけに長いな、と感じて思わず、「大丈夫なんですかね?」と女医さんに聞いた。本当は生まれてすぐに抱っこさせてもらえるはずだったのに、やっと運ばれてきた娘は、一瞬私に顔を見せて記念の写真を撮られただけで、あっという間に、また向こうへ連れて行かれてしまった。

 それから、「赤ちゃんは呼吸がどうやら少しおかしい」とかで、挿管されて、大きい病院のNICUに運ばれるのだと言う。行く前にエレベーターの前で少しだけ会えるからね、とストレッチャーに載せられ待機していると、プラスチックのケースみたいなのに入った、私の赤ちゃんが通った。顔は見えなくて、変わった形の足をしている。(見たことのない形の足だな。)不思議とその時は、そのことにショックを受けたり悲しくなったりはしなかった。麻酔が効いてぼーっとしていたのか、あるいは子どもを産んだばかりでハイになっていたのか。赤ちゃんが入ったケースに開いた丸い穴から、手を入れたんだったかな。指先でちょっとだけ、赤ちゃんの足を触らせてもらった。がんばれ、がんばれ、って言ったような気がするんだけど、よく覚えていない。

 夫は赤ちゃんに付いて大病院へ行き、私は両家の親たちと共に、元の病院に残された。病室に戻ったら看護師さんに、「個室に移動しますか?」と聞かれたけど、「いえ、大丈夫です」と答えた。その時は大丈夫だったから。でも、少し離れたところにある待合コーナーの義母の声が大きすぎて、ああ、丸聞こえだ、個室にしてもらえばよかったと、そのあとすぐに後悔した。結局、昼過ぎに子どもが生まれてから夜遅くなるまで、親たちは病院にいて、夫は違う病院のNICUの外で待たされていて、子どもが無事なのかどうか、よくわからないまま長い長い時間がたった。夜9時半くらいだったかな、どうやら子どもは大丈夫らしい、とやっと夫から連絡が来た。

 ここに1人で入院していても仕方ないので、麻酔が抜けたらすぐに娘と同じ病院に移してもらうことにした。1日で麻酔が切れると聞いていたけど、次の日はひとつも脚が動かなかった。身体が動かせなかったので、私の背中には褥瘡ができた。

 2日後にやっと少し動けるようになって、車椅子ごと福祉車両に乗せてもらい、古い大病院に移動した。着いた途端に何かがぶわーっと込み上げてきて、私は大人げなく声を上げてわんわん泣いた。私よりもずっと若い看護師さんが、私の肩を優しくぽんぽんとたたいてくれたが、私は心の中で「あなたになんかわからない」と憎まれ口を叩いていた。私が移動した先もやはり産科で、他の人たちは皆妊婦か、生まれたての赤ちゃんを連れた人ばかりだ。私だって同じように妊娠して子どもを産んだのに、どうして私だけがひとりでここにいるんだろう。考えたら涙が止まらなかった。「母子ともに健康です」「おめでとう」だけで済まない出産が世の中にあることに、この時までの私は思い至っていなかった。お産は命懸けなんだ。お母さんも、子どもも。まさか私が、こんな目に合うなんて。まさか。まさか。

 看護師さんに車椅子を押してもらって、赤ちゃんに会いに行った。赤ちゃんはやけに明るい、色んな電子音が絶えずあちこちで鳴っている部屋の中で、体に色々なものをくっつけていた。口には細い管、鼻にはカニューレ、胸とお腹にはカラフルな細いコードがついた小さな四角いパッド。たくさんの管やコードは、それぞれが機械に繋がっている。光る数字が点滅する機械、注射器がいくつか付いている機械、それから、呼吸器らしきもの。とにかく、何だかわからないたくさんのものたちに囲まれた赤ちゃんは、裸んぼうにオムツ一丁という姿で、くるくる巻いたタオルで姿勢を保たれ、薬で眠らされていた。小さな手指はぎゅーっと握り込んでいて、例の変わった形の足から視線を動かすと、膝関節のところがあさっての方向に曲がっている。ちょっと、痛々しいを超えて、心が「ひっ」ってなるような見た目だった。ベッドの横に、「(私の名前)ベビー」と書かれた名札がついていた。

 眠っている赤ちゃんの、あちこちに医療用テープで管が留められた小さい小さい顔には、小さい小さい目と鼻と口がついていた。広くてちょっと出ているおでこが、夫のおでことよく似ている。こんなに小さいのに、全部ちゃんとした人間のものの形をしていて、とても不思議で、とても美しかった。

 夜になって、4人部屋のカーテンに囲まれたベッドで、布団をかぶって泣いたり、眠ったり眠れなかったりしながらうつらうつらしていたら、ふいに頭の中に「ハレルヤ!」という言葉が浮かんだ。「ハレルヤ!あの子はあのままでパーフェクト!おめでとう!」。ハレルヤってなんだっけ、と思わずスマホで検索してみる。「神を、褒めたたえよ。」

 ああ、あの子も他の子と同じように、神様に愛されているんだ。あの子は生まれるべくして生まれ、生きるべくして今生きているんだ。生きていていいんだ。おめでとうで、いいんだ。そして他でもないこの私が、あの子のお母さんなんだ…。そう思ったら、ありがたくて嬉しくて、熱い涙がたくさんたくさん流れた。真っ暗い病室のカーテンの中で、私は声を殺して、ひとりでまた泣いた。

 クリスチャンではない私の脳裏に浮かんだ言葉が、なぜ「ハレルヤ」だったのかはわからない。音楽を学んで、多少の宗教音楽にも触れてきたから、この言葉なら通じると、神様が思ったのかどうかは知らない。でもこのことがあってから、私は心から娘の誕生を嬉しく思い、娘を誰にも遠慮することなく、可愛いと思うことができるようになった。

 ハレルヤ。私の子どもはこのままでパーフェクト。曇りなき心で、愛すべきひとりの美しい子ども。おめでとう。神を、褒めたたえよ。

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