エドゥアール・マネについて、再び
Yudai Deguch氏との会話。
Yudai Deguchi@nas740·1時間
ホッパーのノンシャラントの感覚はマネに通じると思える。
加藤 豪@_5925263769112·56分
返信先: @nas70さん
マネはコロナ禍前に愛知県美術館でのコートールド美術館展で何点も見ましたが、近代美術の始まりの代表的画家とされることを意味深く感じました。全体を見る視覚がなく全てが小手先で平板、デザインさえも成立し難いという危うさを感じました。肖像写真を見ても。晩年特に作品にそれが露呈したような。
加藤 豪@_5925263769112·52分
同展で見たボナールやセザンヌは、対比してすごくちゃんとした作家という。ホッパーも、基本しっかりしたものですね。人格も強そう。60年代ぐらいになると、作品は悪くなった印象は私はありますが。年齢か。
Yudai Deguchi@nas740·26分
ホッパーはヨーロッパの伝統的な絵画(とくにレンブラント)を相当研究してるようですね。その空間構成の骨太さは非常な関心をそそります。骨太と言うことに関してセザンヌは言うに及ばずですが、ボナールは一見、フォルムが軟弱なようで実はすごくソリッドだと、これはボナール展で感じました。
Yudai Deguchi@nas740·34分
仰るようにマネの意義というのは近代美術の始まりとしてというのが強いのでしょうね。マラルメを描いた小品なんかはすごく好きですけれど。マネの晩年は梅毒によって足の切断を余儀なくされて、かなり悲惨なものがありますね。
加藤 豪@_5925263769112·26分
時代の雰囲気は伝わってきますね。このマラルメの肖像からも。マネは鬱病でボードレールが手紙で励ましたものが残っていると。時代の病を象徴しているのかもしれません。コートールド展の看板に掲げられたマネの「フォリー・ベルジェールのバー」も虚ろで平板で異様でした。
Yudai Deguchi@nas740·22分
マネは都会的で華麗であるがゆえに好まれるというのはありそうです。素早いタッチがパリの「粋」みたいなものを感じさせる。たしかに「フォリー・ベルジェールのバー」(若い頃は魅了されましたが)は現代病の元祖みたいな感じはありますね。虚ろな「映え」。
加藤 豪@_5925263769112·16分
バタイユとフーコーがこの作品についてこだわって書いています。「近代」=「寄る辺なさ」=「平板」を表すものとして、皆が共感を持てるのでしょう。
Yudai Deguchi@nas740·12分
「寄る辺なさ」というのはたしかにマネの主調音としてあると思います。「スーパーフラット」の遠祖という気もしてきます。
加藤 豪@_5925263769112·11分
確かに。
https://twitter.com/nas740/status/1705742682130378945
参照。マネ。
参照。ホッパー。
Manhattan Bridge Loop, 1928 https://t.co/QFlvVSMqLV pic.twitter.com/2F71cdeqQQ
— Edward Hopper (@artisthopper) September 16, 2023
Room in Brooklyn, 1932 https://t.co/4AOfXVt90W pic.twitter.com/Ta8PGde7bO
— Edward Hopper (@artisthopper) September 15, 2023
Sheridan Theatre, 1937 https://t.co/LyPFj6fZpq pic.twitter.com/ms8EmGfIqg
— Edward Hopper (@artisthopper) September 20, 2023
New York Movie, 1939 https://t.co/auzpdWNo13 pic.twitter.com/P0sIygLJdw
— Edward Hopper (@artisthopper) September 22, 2023
Cove at Ogunquit, 1914 https://t.co/xLqubCuGdB pic.twitter.com/mcyMSsgU2X
— Edward Hopper (@artisthopper) September 23, 2023
追加、参照。
加藤豪と矢田滋の、美術展を見ての往復書簡|加藤豪・矢田滋 #note
エドゥアール・マネについて
https://note.com/kenkyuukai/n/na4d069a79292?sub_rt=share_sb
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