豊田市美術館の政治性

豊田市美術館のコレクションを見ると、ベーコン、バゼリッツや菱田春草等の古典絵画以外は、「芸術」が成立しているものは無く、ほぼデザインや漫画・イラスト等で占められている。水谷勇夫に始まり徳富満や秋吉風人に至る、地元に所縁のある作家のコレクションも、等しく芸術は成立していなくて、デザインかその他の名称で呼ばれるべきものである。
https://www.museum.toyota.aichi.jp/collection/?category=1&ja=あ

今後予定されている催しは以下。
https://www.museum.toyota.aichi.jp/exhibition/tsu/

関連するイベント情報。
https://shirasu.io/t/genron/c/genron/p/20211025?utm_source=twitter&utm_medium=organic&utm_campaign=share

こういう政治性をこれまで豊田市美術館で先導してきているのは、学芸課の能勢陽子氏であろうが(あいちトリエンナーレ2019の、一連の騒動に関しても同様に)、この方向性は’90年代以来の助走を得たまま、おそらく行くところまで行くしかない。コレクションの歴史的な助走というのは、まさに物理的重量をもっているのですね。

[追記] ここに例えば、マイク・ケリーの初期ドローイングを1点でも購入すれば、(芸術が挿入され)様相が変わってくるのだが、豊田市美術館はおそらくその種の逸脱はしない。理由は、所持するイデオロギーが「反米」だから。

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