フリードリヒ・ハイエク『致命的な思いあがり』(1988年)、抜粋

ハイエク最後の著作であり、80年代後半、ソビエト連邦崩壊のまさに前の。

ハイエクの著書は旧共産圏においてこそ熱心に読まれ、その改革の指導者達に大きな影響を与えた。ミルトン・フリードマンは「鉄のカーテンの向こうの共産圏でもっとも影響を与えたのは間違いなくハイエクであった。そこでハイエクの著書は翻訳されアンダーグラウンドにブラックマーケットで行き渡り広く読まれた。ハイエクの思想がソビエト連邦の内部の世論を変え、それを崩壊に導いたのだ」と述べる[要出典]。
https://ja.wikipedia.org/wiki/フリードリヒ・ハイエク

ちなみにハイエクは70年代ノーベル経済学賞を受賞するまで、経済的に困窮にあったと言われている。

ミルトン・フリードマンは、1974年のハイエクのノーベル経済学賞受賞が「ハイエクの命を救った」と述べている(受賞前のハイエクは経済的に困窮していたとされている)[23]。
(同)


以下抜粋(著述順に)。

フリードリヒ・ハイエク『致命的な思いあがり』(1988年)

第一章 本能と理性のあいだ

1 生物学的進化と文化的進化

他より長い経験がこの集団の一部の年輩者たちに一定の権威を与えたかもしれないが、そのメンバーの活動を調整していたのは主として共有された目的と認識であった。この調整法は連帯と利他主義の本能──自分自身のグループのメンバーには適用されるが、それ以外には適用されない本能──に決定的に依存していた。それゆえ、これら小さなグループのメンバーは、孤立したらほどなく死んでしまうだろうという状態でしか生きられなかったのである。だから、トマス・ホッブスの記した原始的な個人主義は神話である。未開の人は孤独ではない。かれの本能は集団主義的なのだ。「万人の万人にたいする闘争」などけっしてなかったのである。

5 文化的進化のメカニズムはダーウィニズムではない

生物学的理論は、いまでは獲得された特質の遺伝を排除するけれども、すべての文化的発展はその種の遺伝形質──個人間の相互関係を規制する、生得的ではない学習されたルールの形をした特質──に依拠している。近年の生物学的な議論でもちいられることばを引くとすれば、文化的進化はラマルキズムをシミュレートするのである(Popper, 1972)。しかも、文化的進化はたんに個体の物理的親からだけではなく、無数の「先祖」からの習慣や情報の伝達によっても引きおこされる。また、その伝達を促進し、学習によって文化的性質を拡散させる過程は、すでに注意したとおり、文化的進化を生物学的進化とは比較にならぬほど速くしている。そして最後に、文化的進化はおもにグループ選択を通じて作用する。グループ選択が生物学的進化においても働くか否かは未解決の問題のままであるが、私の議論はそれには左右されない。


第二章 自由、所有、そして正義の起源
 
 何人も、個別的所有を非難しながら文明の尊重者を語る自由はない。その二つの歴史を切りはなすことはできない。   ヘンリー・サムナー・メイン

1. 自由と拡張した秩序

人間を野蛮から引きあげたのが、知性や計算する理性であるよりもむしろ道徳や伝統であるとしたならば、現代文明の特徴的な基礎は、古代、地中海沿岸地域で築かれた。そこでは、長距離にわたる交易の可能性によって、個人がその個人的知識を自由にもちいるのを許されていたコミュ二ティは、ローカルな共通知識や支配者の知識が万人の活動を決定していたコミュ二ティに優位する地位に就いた。われわれの知るかぎり、地中海地域は承認された私的領域を自由にする個人の権利を認めた最初のところであり、かくして個人は、異なるコミュ二ティ間の商業的関係からなる緊密なネットワークを発展させることができた。その種のネットワークは、ローカルな首長の見解や願望とは独立に機能した。というのも当時、船を駆る交易人たちの動きを中央で指令することはとうてい不可能だったからである。高く尊敬される権威(かれは市場秩序を贔屓しているのではない)の説明をいれるとすれば、「ギリシャ・ローマ世界は、数エーカーであれ、ローマ元老院と皇帝の莫大な領土であれ、本質的かつ正確に私的所有の世界、すなわち私的交易と製造の世界だった」(Finley, 1973: 29) のである。

一部の対象については、個人的所有の観念はきわめて早くに生じたにちがいない。最初の手製の道具がおそらく適当な例であろう。しかし、ユニークかつ高度に有用な道具や武器とその製作者とのつながりは非常に強く、その移転は心理的にひどく難しくなって、ミケーナイ期の丸天井式地下墳墓(tholos)や円錐形墓におけるように、道具は一緒に墓場にすら入らなければならないようなことがあったかもしれない。ここには、発明者と「正当な所有者」の融合が現れているが、それとともに、その基本的な観念の数多くの精緻化も見られる。それはときに、アーサー王とその剣エクスキャリバーをめぐる後代の物語──その剣の移転は、人間の法によってではなく、「より高次の」魔力の法、もしくは「力」によって生じたとされる物語──のように伝説をもともなっている。
所有概念の拡張と洗練は、このような事例に示されるように必然的に漸進的な過程であって、今日でさえほとんど完了していない。しかし、そのような概念は、狩猟民や採集民の流浪する集団のなかではさほど大きな意味をもっていなかったはずである。かれらのあいだでは、食糧や避難場所のもととなるものの発見者は、その仲間たちにその発見を明らかにするように義務づけられていた。個人の手になる最初の、持ちのいい道具がその製作者の帰属となったのは、たぶん、かれがそれをつかう技能を有する唯一の存在だったからである。ここでもまた、アーサー王とエクスキャリバーの物語が適当である。というのも、アーサー王はエクスキャリバーをつくりはしなかったが、それをつかえる唯一の人物だったのだから。他方、非耐久財の個別的所有権はより遅く、グループの連帯が弱まり、個人が家族のようなもっとかぎられたグループに責任を負うようになるにつれてはじめて生じたのではないか。おそらく、耕作可能な保有地を手つかずにしておく必要によって、土地のグループ所有は徐々にその個人的所有に移行したのである。

2 ヨーロッパ文明の古典的遺産

原注(1)
ジャック・ピレンヌは、エジプトの諸制度や私法にかんする研究のなかで、第三王朝の末期、財産が「個人的かつ不可侵であって、その所有者に完全に依存していた」(Pirenne, 1934: 2, 338-9)ときの、その法の本質的に個人主義的な性格を論じているが、その衰退はすでに、第五王朝期にはじまっていたと記している。これは、ピエンヌと同年のもう一つのフランス語の著作(Dairaines, 1934)に記された、第十八王朝の国家社会主義へと通じたのであった。それは、その後二千年にわたってエジプトを席巻したが、総じてその間のエジプト文明の停滞した性格を説明するのである。


第三章 市場の進化──交易と文明

 それが与えるほどの貨幣以外に、なんの価値があるのか。
   サムエル・バトラー
 
 商業のあるところ、温和な習俗がある。
   モンテスキュー

4 哲学者の無知

もしもアテナイ人がアリストテレスの忠告──経済学にも進化にも無知である忠告──に従っていたら、かれらの都市は速やかに収縮して村になっていたであろう。というのも、人間の秩序づけにかんするかれの見解は、せいぜいもっぱら定常状態にしかあてはまらないような倫理学へとかれを導いたからである。しかし、かれの学説は次の二千年のあいだ哲学的・宗教的思考を支配するようになったのである。その同じ哲学的・宗教的思考の多くが、高度に動学的で急速に拡張しつつある秩序のなかで生じたという事実にもかかわらず。
アリストテレスがミクロな秩序の道徳を体系化したことの反響は、一三世紀にトマス・アクィナスがアリストテレス的な教義を採りいれたことで増幅されたが、それはのちに、アリストテレス的倫理学をローマ・カトリック教会の事実上公式の教義とする声明へとつながった。中世および初期近代の教会の反商業的態度、すなわち暴利としての利息の非難、公正価格についてのその教義、そして利益にたいするその軽蔑的な扱いは、終始一貫してアリストテレス的なのである。
もちろん一八世紀までには、その種の問題(他も同様)におけるアリストテレスの影響は弱まりつつあった。デイヴィド・ヒュームは、市場が「他人にまことの親切心を抱くことなく」、あるいはその他人を知ることすらなく「その人の役に立つ」(Hume, 1739/1886: 2, 289)ことを可能にすること、あるいは、「公共の善のために行動することが悪漢にとってさえ利益」になるような秩序によって、「他人がそれを目的に意図的に行動しなくても公共の利益」(ibid.: 2, 296)にかなうように行動することを可能にすることに気づいたのである。かかる洞察とともに、人類には自己組織化する構造についての構想が見えはじめた。以来、その構想はあらゆる複雑な秩序にかんする理解の基礎となったのであるが、それまでその種の秩序は、人間がおのれの精神として知るもののある超人間的な形態によってしか生みだせない奇跡とみなされていたのである。いまでは、定められた制限のなかで、各人が個人的な目的のために個人的な知識をつかい、それでいて自分の行動を適合させるべき秩序のほとんどについて無知でいることが市場によって可能になるのはどうしてかが、徐々に理解されてきた。
こうした大きな進歩があったにもかかわらず、実際それを完全に無視して、依然アリストテレス的思考の染みこんだ見解、すなわちナイーヴで子供じみたアニミズムの世界観が(Piaget, 1929: 359)社会理論を支配するようになった。そしてそれが、社会主義的思想の基礎なのである。


第四章 本能と理性の反逆

 科学的方法の実践は人間の精神の力を拡大する、と考えることからおのれの身を守らなければならない。経験によってなによりもきっぱりと否定されているのは、科学の一ないしもっと多くの分野で秀でた人は、日常的な問題についても他のだれよりも分別をもって考えるものだという信念である。
   ウィルフレド・トロッター

1 所有への挑戦

アリストテレスは交易の重要性に無知で進化の理解をまるで欠いていたし、その思想はいったんトマス・アクィナスの体系に取りこまれると、中世および初期近代の教会の反商業的態度を裏書きした。それにもかかわらず、いくつかの重要な展開、すなわち一丸となって、拡張した秩序の中心的な価値や制度に効果的に挑戦しはじめた諸展開が生じたのは、かなり遅くなってから、主として一七・一八世紀のフランスの思想家のあいだにおいてであった。
これらの展開の第一のものは、私が「設計主義」ないし「科学主義」(フランス語に倣って)と呼ぶ特定の形態の合理主義が、近代科学の勃興と連動してその重要性を増したことであった。それは、その後数世紀にわたって理性と、人間の諸問題におけるその役割とにかんする真摯な思考を事実上席巻したのである。この特定の形態の合理主義は、過去六〇年にわたって私がおこなってきた研究の出発点である。その研究において、私はそれが著しく不適当であって科学や合理性にかんする誤った理論を体現していること、その理論では理性が誤用されていること、そしてここでもっとも重要なのは、その理論が必然的に人間の制度の本質や発生についての誤った解釈に通じることを示そうと試みた。その解釈とは、それによって結局、道徳家たちが理性の、また文明の最高の価値の名において相対的に不運な人びとにへつらい、人びとをその原始的な欲求を満たすべく駆りたてることに終わるような解釈である。
この形態の合理主義は、近代にルネ・デカルトから流れでたのであるが、それはたんに伝統を廃棄するのみならず、また、純粋な理性はなんらその種の仲介なしに直接的にわれわれの欲求に応じ、新たな世界、新たな道徳、新たな法を、そして新たな純化された言語さえも、ひとりおのれ自身から築くことができると主張するのである。その理論は単純に誤りであるが(Popper, 1934/59, 1945/66も参照)、それはなおたいていの科学者たち、そしてまたおおかたの文学者、芸術家、そして知識人たちの思考を支配しているのである。

拡張した秩序に挑戦する第二の関連する展開は、ジャン - ジャック・ルソーの著作と影響から生じた。しばしば非合理主義者、あるいはロマン主義者とみなされているが、この特異な思想家もまたデカルト的思想に密着し深く依存していた。ルソー流の性急に醸造された観念が「進歩的な」思想を支配するようになると、人びとはそれに誘われて、政治的な制度としての自由は、人間が制約からの解放という意味での「自由を求めて努力すること」によってではなく、人びとが公知の安全な個人的領域の保護を求めて努力することによって生じたのだということを忘れてしまった。ルソーに導かれて人びとは、行為のルールは必然的に制約を課すこと、秩序はその産物であること、そして、かかるルールはまさに、各人がその目的のためにつかってもよい手段の範囲を限定することによって各自が成功裏に追求することのできる目的の範囲を大きく拡張することを忘れたのである。
まさにルソーこそが、『社会契約論』冒頭の声明において、「人間は自由に生まれたが、いたるところで鎖につながれている」と宣言し、人間をあらゆる「人工的な」制約から自由にすることを欲して、未開人と呼ばれていた者を進歩的知識人たちの事実上の英雄に仕たて、人びとを説きふせて、その生産性や人口を可能にした制約そのものを払拭させようとし、自由の実現の最大の障害となる自由の構想をもたらしたのだった。動物の本能は人びとの秩序ある協同にとって伝統や理性のどちらよりもよい案内役であると主張した後で、ルソーは人民がそれによって「単一の存在、個人になる」人民の想像上の意思、すなわち「一般意思」を創作したのである(Rousseau, 1762: 1, 7 およびPopper, 1945/66: 2, 54 を参照)。これはおそらく、人間を天国に連れもどすと約束する現代の知的な合理主義の致命的な思いあがりの主要な源泉なのだが、その天国では、自然的本能に課される学習された諸制約によるよりもむしろその本能によって、創世記の教えるとおり「世界を征服する」ことができるとされるのである。
この見解のもつ広く認められた大きな魅惑的な魔力は、その力を(それがなにを主張しようとも)理性や証拠から得ているのではない。すでに見たとおり、未開人は少しも自由ではなかった。また、世界を征服できたはずもない。それどころか、かれは自分の属するグループ全体の同意がなければほとんどなにもすることができなかった。個人的決定は個人的な管理の領域を前提としている。それゆえ、それは個別的所有の進化をもってはじめて可能になったのであり、ひるがえってその発展は、首長や族長、あるいはその集団の認識を超えた拡張した秩序の成長の基礎を敷いたのである。

6 「解放」と秩序

注(1)
ちなみに、ここではその問題を探究できないけれども、所有や伝統的な諸価値にたいする挑戦は、たんにルソーの信奉者からきただけではないといっておくのがよかろう。それはまた、おそらくさほど重要ではないけれども宗教にも由来しているのである。というのも、現代の革命的運動(合理主義的な社会主義、それから共産主義)は、所有や家族の基本的諸制度にたいする宗教的反逆の古い異教的な伝統──先の数世紀、グノーシス派、マニ教徒、ボゴミール、そしてカタリ派のような異教徒によって指示された反逆──を復活させるのに役立ったからである。一九世紀までにこれら特定の異教徒らは姿を消したが、新たに数千の宗教的革命家が現れて、その熱意の多くを所有と家族双方の批判に向けたうえ、その種の諸制約に反対して原始的な本能に訴えたのである。ようするに、私的所有や家族にたいする反逆は社会主義者にかぎられなかった。神秘的で超自然的な信念は、たとえばローマ・カトリシズムやプロテスタンティズムの支配的な潮流の場合のように本能にたいする習慣的な諸制約を正当化するためのみならず、より周辺的な運動においては本能の解放を支持するためにもつかわれたのである。
不十分な能力に加え紙幅がかぎられているから、本書では、いましがた触れた先祖返り的な反動の向かう伝統的対象の第二のもの、すなわち家族を論じることができない。しかしながら、少なくとも次のことはいっておくべきであろう。すなわち、事実についての新しい知識が性道徳についての伝統的なルールからある程度その基礎の一部を奪いとったこと、そしておそらく、この分野では実体的な変化が起こらざるをえないであろうことを私は信じている。


第五章 致命的な思いあがり

1 伝統的な道徳は合理的な要求事項を満たさない

「道徳のルールは、理性の結論ではない」とヒュームが看破したのは二五〇年以上も前であった。しかし、ヒュームの主張は現代のおおかたの合理主義者を抑止するのに十分ではなかった。かれらは引きつづき、理性から導けないものはナンセンス、さもなくば恣意的な嗜好の問題であるにちがいないと、なんとも奇妙だがその立場を支持するものとしてしばしばヒュームを引きながら信じているし、したがってまた合理的な正当化を要求しているのである。
宗教の伝統的な教義、たとえば神の存在を信じることや、性と家族(本書ではこれらの問題にはかかわらない)にかんする多くの伝統的道徳のみならず、ここでの私の関心である特定の道徳的伝統、たとえば私的所有、貯蓄、交換、誠実、正直、契約もまたこれらの要求事項を満たすことはない。

4 不特定の目的──拡張した秩序においては、行動の目標はたいてい意識的でも計画的でもない

第一に、われわれの知識が実際にどのようにして生ずるのかという問題がある。実のところ、これを理解するのに私はそれなりの時間を要したのであるが、たいていの知識は直接的な経験や観察からではなく、学習された伝統を選別する持続的な過程において得られるのであり、その過程は、合理性についての伝統的な理論の基準によっては正当化できない複数の道徳的諸伝統の個人的な承認と遵守を要求するのである。その伝統は不合理な、否むしろ「正当化されない」多数の信念からの選択の過程の産物であって、だれもそれを知っているのでも意図したのでもないが、それらの信念に従う人びとの拡大を助けたのである(ただし、それらに従った理由、たとえば宗教的な理由とはなに一つ必然的な関係をもたない)。習慣や道徳を形成した選択の過程は、個々人が把握しうるのよりも多くの事実的環境を思慮に収めることができたのであり、結果的に、伝統はいくつかの点で理性よりも優れている、あるいは「賢い」のである(上述、第一章を参照)。この決定的な洞察は、優れて批判的な合理主義者だけが認識しうるものなのである。
第二に、そして以上と関連するが、先に提起された問題、すなわち行為のルールの進化論的な選択においてなにが実際に決定的なのかという問題がある。人が注意を集中しがちな行動の直接知覚される効果は、この選択にとってはまったく重要ではない。むしろ、選択は行為のルールに導かれた決定の長期的な結果に従って為されるのである。ケインズが嘲笑したあの長期である(Keynes, 1923/71: 65)。これらの結果は右で論じたように、また以下でふたたび論じるように、各人の個人的領域を保証する所有や契約のルールにおもに依拠している。ヒュームはすでにこれに気づいていたのであって、これらのルールは「特定の個人もしくは一般大衆が、ある特定の財の享受から引きだすかもしれないなんらかの効用・利益に由来するのではない」(Hume, 1739/1886: 2, 273)と述べていた。人はそれらのルールを選ぶ以前にその利益を予見していたのではない。たしかに、一部の人びとはその体系全体に自分たちがなにを負っているのかに徐々に気づくようになったのであるが。

秩序をもっぱら計画的な取りきめの産物としか考えられないナイーブな精神にとっては、複雑な条件のもとでは、秩序および未知なるものへの適応は決定を分散化する方が効率的に達成できるということ、そして、権限の分割は実際に全体的な秩序の可能性を拡張するであろうということは不合理であるように思われるかもしれない。しかし、このような分散化によって実際により多くの情報が考慮されるようになるのである。これが設計主義的合理主義の要求事項を否定する主たる理由である。またその同じ理由によって、特定の諸資源を自由にする権限を実際にその使い道を決定できる多くの個人のあいだに可変的に分割すること、つまり個人的自由と個別的所有を通じて得られる分割によってのみ、分散した知識の最大限の利用が可能になるのである。

ある個人の所有する特殊な情報の多くは、かれ自身がその決定においてつかえるかぎりでしか利用できない。自分の知っているすべてのことを他人に伝達できる人はいない。なぜなら、利用できる情報の多くは、かれ自身、行動のための計画を立てる過程においてしか引きだせないからである。その手の情報はかれのおかれた条件、たとえば利用可能な種々の材料の相対的な希少性のもとで、かれが引きうけた特定の仕事に取りくんでいるときに呼びおこされるのである。こうしなければその個人はなにを探してよいか分からないし、市場においてこれをするのを助けるのは、他者が自分たち自身の環境において遭遇するものにたいして示す反応なのである。全般の問題はたんに所与の知識を利用することだけではなく、また支配的な条件のもとで、探るに値するだけの多くの情報を発見することでもあるのである。

伝統の総体はどんな個人的精神が命じうるよりも比較にならぬほど複雑であるので、そもそもそれを伝達しうるのは、そのさまざまな部分を吸収する多くの異なる個体が存在する場合だけなのである。個体の差異化の利益は、それが大きなグループをいっそう効率化するだけにますます大きくなるのである。

われわれの行動は既知の有益な目標の計画的な追求に限定さるべし、という要求についてのもう一つの説明にも触れておくのがよかろう。その要求はたんに古来の無知な本能からのみならず、またそれを支持する知識人に固有の特徴──まことにもっともであるがそれでも自滅的の域をでない特徴──からも生じている。知識人は、自らその「頭脳の子(brain children)」と呼ぶものがどんな最終目的のためにつかわれるのかをことさら知りたがっており、そのために自分の観念の運命には情熱的な関心を寄せるし、思想を自らの管理から解くことには現場の労働者が自分たちの物質的生産物を手放すのよりもはるかに躊躇するのである。こうした反応のために、その種の高い教育を受けた人たちはしばしば交換の過程、すなわち自分たちの努力の唯一同定可能な結果があるとしても実際は他のだれかの利益であるかもしれない状況のなかで、認知できない目的のために働くことを求めるような過程に溶けこむのをためらうようになるのである。たとえば、現場の労働者というものはためらいなくこう仮定している。すなわち、自らの生産物が最終的にどんなニーズを満たすのかを知ることは、だれかがやるとすれば実際その雇用主の仕事なのである。しかし、一連のサービスやアイディアにおいて相互作用する多くの知識人の生産物において、個人の知的な労働の占める位置はそれほど同定できるものではない。それゆえ、より高い教育を受けた人たちほど、なにか理解不可能な指示──たとえば市場(かれらは「観念の市場」について語るにもかかわらず)──に従うのをいっそうためらうものだということから、以下の(これまた意図せざる)結果が生じてくる。すなわち、知識人は仲間にとって自分たちの有用性を(それに気づかなくても)高めるであろう当のものに抵抗しがちなのである。

一般的に知識人にとっては、非人格的とはいえ隠された市場の諸力のたんなる道具にすぎないという感情は、ほとんど人格的な辱めと映るのである。


第六章 交易と貨幣の神秘的な世界

1 商業的なものにたいする軽蔑

市場秩序への反感がすべて、認識論、方法論、合理性、そして科学の問題から生じているわけではない。さらなるもっと暗鬱な嫌悪感がある。それを理解するためには、以上の比較的合理的な領域の背後に回って、なにかもっと原始的な、そして不思議ですらあるものに踏みこまなければならない。それは、社会主義者が商業活動、交易、そして金融制度を論じるときに、あるいは原始の人がそれらと遭遇するときにとりわけ強力に現れる態度や情動である。
すでに見たとおり、交易と商業は特殊化した知識や個人的知識のみならず機密性にも大きく依拠している。このことは金融制度についてもよりいっそうあてはまる。たとえば、商業活動においては自分自身の時間や努力を超えるものが危険にさらされるのであり、諸個人は特殊な情報によって特定のベンチャーにおける自分たちのチャンスや競争力を判断することができるようになるのである。特殊な環境についての知識が追求に値するのは、その知識によってそれを獲得するコストを補填する利益が得られる場合だけである。すべての商人が、よりよくより安い商品をどうやってまたどこで入手するのかを公開しなければならず、結果的にそのすべての競争者たちがただちにかれを模倣しうるとしたら、そもそもその過程に参加することはほとんど価値のないことになるだろう。そして、交易から生ずる利益はけっして発生しないであろう。しかも、特殊な環境にかんする知識の大半は不明確であってほとんど明確化不可能(たとえば、新製品はうまくいくのではないかという企業家の直感)ですらあるので、動機についての考慮を完全に切りはなしてその知識を「公開」することは不可能だと分かるであろう。
もちろん、万人が認知し前もって完全に特化されるのではないもの、すなわちエルンスト・マッハのいう「観察でき触覚で捉えられるもの」とはちがうものに従う行動は、先に論じた合理主義的な要求事項を破っている。しかも、触覚で捉えられないものはまたしばしば不信の対象、そして恐怖の対象ですらある。(ちなみに、交易の環境や条件を恐れるのは、理由はいくぶんちがうかもしれないが、社会主義者だけではないといっておくのがよかろう。バーナード・マンデヴィルは、「海外で経験する労苦や危険、越えるべき大海原、耐えるべき異風土、そしてその協力に感謝を求められる諸民族のことを思うときに残るもっとも恐ろしい予想」に直面して「震撼した」のである(Mandeville, 1715/1924: 1, 356)。われわれは知りえない、また管理できない人間の諸努力にひどく依存しているということを自覚することは、そこから身を引く人たちのみならずそこに参加する人びとにとっても、とても気のめいることである。)
このような不信や恐怖によって、社会主義の思想家たちのみならず一般の人びとも、古代以来そして世界の多くの地域で、交易はたんに物質的生産と異なるのみならず、またカオス的でそれ自体余計であるのみならず、さらにいわば方法論的な間違いであるのみならず、同時に疑わしく劣っていて不誠実で、また軽蔑すべきでもあると考えるようになったのである。歴史を通じて、「商人は非常に一般的な軽蔑と道徳的非難の対象であった。……安く買って高く売る人間は基本的に不誠実なのであった。……商人の行動は初期の集団内で支配的な相互性のパターンを破ったのである」(McNeil, 1981: 35)。エリック・ホッファーがかつてこういっていたのを思いだす。それによれば、「商人にたいするとりわけ物書きの敵意は、記録に残る歴史と同じくらいに古い」のである。
そのような態度には多くの理由があるし、また表現される形態も数多い。初期には、商人はコミュ二ティの他の部分からたいてい隔離されていた。これはまた、かれらだけではなかった。一部の手工業者も、とりわけ鍛冶職人は、農耕夫や牧畜者によって魔術を疑われ、しばしば村のそとに留めおかれたのである。はたして、鍛冶職人はその「神秘」をもちいて物質の実体を変えたのではないか。だが、このことがはるかにそうであったのは商人たちについてであった。かれらは一般の人たちの認識や理解を完全に超えたネットワークに加わっていたのである。かれらはなにやら、諸材の価値を変えることにおいて非物質的なものの変形に携わっていた。人間のニーズを満たす事物の力がその量を変ずることなく変わりうるのはどうしてなのか。商人、ようするにその手の変化を引きおこすように見える存在もまた、目に見え、合意のうえ理解されている日々の出来事の秩序の外部に立っているがゆえに、地位と名誉の既定的なヒエラルキーのそとに押しやられたのである。プラトンやアリストテレス、すなわち、当時その指導的な地位を交易に負っていたポリスの市民によってさえ、商人たちが軽蔑されていたのはまさにそういうわけである。その後封建的な条件のもとでも、商業的な仕事は引きつづき相対的に低い敬意しか払われなかった。というのも当時、商人や職人たちは少なくとも少数の小さな都市のそとでは、財産のみならずその生命や身体の安全をも、刀をかざし街道を守る人たちに依存していたからである。交易はある階級の保護のもとでしか発展しえなかった。その階級の職業は戦争であり、そのメンバーは自分たちの優れた肉体的能力をよりどころとしていたが、その見返りとして高い地位と高い生活水準を要求したのである。条件が変わりはじめても、その種の態度は封建主義が残ったか、あるいは自治都市の裕福なブルジョワジーや交易の中心地から抵抗を受けなかったところではいつまでもつづくことが多かった。それゆえ、聞くところでは、日本では一九世紀の終わり近くになっても、「金儲けをする人は不可触賤民の階級に近かった」のである。

物理的な創造をともなわず、またたんに既存のものを並びかえるだけで「無から」利用可能な富を増やすように見える活動は、魔術の匂いがするのである。

交易はまさに物理的生産の可能性それ自体を創造するのである。
この種の生産性はまた、そしてかかる供給品類のとりまとめでさえも、広く分散しつねに変化する情報の持続的かつ成功裏な探索に依拠しているという考えは、交易がさまざまな場所でのさまざまな事物の相対的な希少性にかんする情報に導かれて物理的生産をもたらし、また導く過程を理解した人たちにどれほど自明に思われても、なお理解するのが難しいのである。
したがって多分、商業的な取り引きへの根強い嫌悪感の背後にある主要な力は、単純な無知と概念的な困難でしかないだろう。しかしながら、これは見なれぬものへの先住する恐怖と混じりあっている。それは魔術や不自然なものにたいする恐怖であるとともに、われわれの出自を想起させ、創世記の最初の数章、すなわち人間がエデンの園から追放される物語に永久に刻みこまれた、知識それ自体にたいする恐怖でもある。社会主義を含むすべての迷信は、この種の恐怖を糧としているのである。

2 限界効用 対 マクロ経済学

交換は生産的である。それどころか、利用可能な資源による人間のニーズの満足を増大させる。文明がかくも複雑で、交易がかくも生産的であるのは、文明的な世界に生きる諸個人の主観的な世界が大いに異なるからである。一見逆説的であるが、個人的な諸目的の多様性は、均質性、全員の一致、そして管理よりも、ニーズを一般的に満足させるより大きな力を生むのである。そしてまた逆説的であるが、この理由は、多様性によって人はより多くの情報を入手し処理できるようになることである。市場過程の明晰な分析だけが、これら見かけ上のパラドクスを解消しうるのである。

多様な個人が非常に多様な目的を求めるので、他者がそのためにある特定の事物を欲するところの具体的な使い道(そしてそれゆえ、各人がそれにおく価値)は知られないであろう。諸手段のたんに道具的な価値がもつこの抽象的な性格もまた、その価値の「人工的」ないし「不自然な」性格と感じられるものにたいする軽蔑の一因となっているのである。

注1
ここにはまた経済学の誤りもある。それはカール・メンガーの兄弟であるアントンですら喧伝した見解で、「労働の全生産物」は主として物理的な努力に由来するという考えである。これは古くからの間違いであるが、それを広めた責任があるのは、だれにも劣らずおそらくジョン・スチュアート・ミルであろう。


第七章 われわれの毒された言語

1 行動の手引きとしてのことば

『子供の世界観』(Piaget, 1929: 359)についての説明のなかで、ジャン・ピアジェは、「子供はいたるところに目的を見ることからはじめる」と記している。

一九世紀の初頭には、ジェレミー・ベンサムほどの高名な思想家でさえ、「秩序は目的を前提とする」と主張していたのである(Bentham, 1789/1887: 2, 399)。実際、一八七〇年代の経済理論における「主観革命」までは、人間の創造物にかんする理解はアニミズムによって支配されていたといってもよい。それはアダム・スミスの「見えざる手」でさえ、一八七〇年代に競争的に決定される市場価格の指標としての役割がもっと明確に理解されるようになるまでは、そこからの部分的な逃げ道しか提供しなかったような考え方なのである。しかし、いまでもなお法、言語、そして市場にかんする科学的な吟味の外部では、人間の問題についての研究はもっぱらアニミズム的な思考に由来する語彙に支配されつづけている。

2 用語上の曖昧さ、調整システム間の区別

たとえば「リベラリズム」ということばを流用することにおいて、アメリカの社会主義者は意図的な詐欺をおこなったのである。ジョゼフ・A・シュンペーターが正しくも述べたように(Schumpeter, 1954: 394)、「その気はなくとも最高の賞賛になっているのだが、私企業制の敵たちはそのラベルを流用するのが得策だと考えたのである」。

一八三八年に、大司教のホエィトリーは市場秩序を説明する理論科学のための名称としてcatallactics(カタラクティクス)を提案した。かれの提案はいくどか復活を見たが、一番最近ではルートヴィヒ・フォン・ミーゼスによって復興された。catallacticという形容詞はホエィトリーの造語から簡単に派生し、すでに相当広くつかわれている。これらのことばがとくに魅力的であるのは、その由来となっている古典ギリシャ語のことばkatallatteinないしkatallasseinが、たんに「交換すること」だけではなくまた「コミュニティに迎えいれること」、そして「敵を友に転じること」をも意味したからであり、これはつまり、古代のギリシャ人がその種の問題について得ていた深い洞察のさらなる証拠をも意味したからである。

3 アニミズム的な語彙と、混乱した「社会」概念

つねに個人的に接触している諸個人の交友関係と、長くて無限に分岐した交易の連鎖から生ずるシグナルによってもっぱら結びつけられている無数の人びとが形成する構造のような、まったく異なる形成物を同じ名前で呼ぶことは、たんに事実として誤解を招くのみならずほとんどつねにある隠された欲求をはらんでもいるのである。つまり、われわれの情動が求めてやまぬ親密な仲間関係を手本に、この拡張した秩序を築きたいというのである。ベルトラン・ド・ジュヴネルは、小さなグループにたいするこの本能的なノスタルジアをうまく言いあらわしている。「人が最初におかれる環境は無限の魅力を持ちつづける。しかし、その同じ特徴を大きな社会に接ぎ木しようとするどんな試みもユートピア的で専制に通じるのである」(Jouvenel, 1957: 136)。

4 イタチことば、「社会的」

「社会的」ということばがこれほど多くのさまざまな意味を得てしまうと、コミュニケーションの道具としては役立たずなのではないか。このリストだけからそれを結論するのは難しい。いずれにせよその実際の影響は歴然としていて、少なくとも三つの要素を含んでいる。第一に、それは先行の諸章から誤解であることの分かっている一つの考え──拡張した秩序の非人格的で自生的な過程によって生みだされたものが、実は人間の計画的な創作の結果であるという考え──を歪んだ形でほのめかすことが多いのである。第二に、この結果として、それは人間が断じて設計しえなかったはずのものを再設計せよと訴える。そして第三に、それはまたそれを冠する名詞からその意味を奪う能力を獲得したのである。


第九章 宗教、伝統の守護者

1 伝統の守護者からの自然選択

過去二〇〇〇年にわたって、宗教の開祖たちのあいだには所有や家族に反対する者が多かった。しかし、生きのこっているすべての宗教は所有や家族を支持するものである。それゆえ共産主義の前途は、それがアンチ所有かつアンチ家族で(またアンチ宗教でも)ある以上有望ではない。というのも、私の信ずるところでは、共産主義はそれ自身、いいときもあったがいまでは急速に衰退している一つの宗教だからである。

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