お前らの考えていることは、俺は全部わかっている

森田靖也(旧表記:オマル マン)氏との対談、第55回目。

K「森田さん、こんにちは。マイク・ケリーについて(再び)。ケリーは「多くの人々が話題にするのはポップカルチャーについてだ。私はそれを称賛しているわけではない。我々の現実の環境であるそれらを用いて(あくまで芸術の土台の上で)遊ぶのだ。」と言っており、実際に実践していたが、ケリーが死んで10年経った現在、反対に「芸術」はポップカルチャーに吸収されることで、広く「死」を体験していると私は思います。現在あるのは、芸術の「死」の静寂。今後どうなるのか、という問い。」

M「加藤さん、こんにちは! マイクケリー「以後」と、残された課題と問い。考えてみます。」

K「ありがとうございます。この問い、自分一人では正直手に負えません。」

M「今、私もひとしきり、考えていたのですが、マイク・ケリーの場合、天才すぎて、私も理解できない部分が多すぎるのですね。ましてや、その人物の「自死」を考えるとなると。最近、上島竜兵が自死しましたが、これも同様に、(本人、周囲、時代と共に)その背景の理解がむずかしい。ですが、やはり、何かを考えないといけない気がしている。」

K「実際、マイク・ケリーの自死については、誰もがほとんど語れなかった。受容層に、アートへの「絶望」の表現は見られた記憶が私はあります。「強気な姿勢に見えたケリーだが、(その死を見ると)結局アートも救いにはならないんだな」という。「芸術絶望論」ですね。生前から、「賢い」または「うまくやる」作家というイメージがケリーに対して受容者にはあり、それでそういう反応が出てきたのだと思います。美術批評家・矢田滋氏は、「ケリーは晩年容貌が急激に変化したが、(イギー・ポップ的な)ドラッグの副作用ですか?」と私が発した問いに、「鬱病薬」と答えていた。」

M「かねがね、対談で言及するようにクーンズとの対比だけが、マイク・ケリーには、ふさわしい。ポール・マッカーシーとかではなく。」

K「クーンズとの対比ですね。私としては、「芸性」性をより豊かに保ったのはケリーの方だが、クーンズは豊かさを削ぎ落とすことにより、より「ポップカルチャー」との危険な関係(=ケリーと共通する)を、回避することができたのではないか。そもそも、ケリーのようなポップカルチャー(化したアートも含め。例えばマーク・ロスコ、「平板」という意味で)への対決・攻撃姿勢をクーンズは一貫して表明しなかった。少なくとも表面的態度は、真逆。それについては、戦略的「無口」と言った方が良いのか。クーンズの「機密性」の核。」

M「普通に考えるといかにも「自殺」しそうなのはクーンズの方で、(なんどもパクリで訴えられたし、干されたり、破産したり、)でも、一方で、一番自殺しなさそうな作家です。そうですね。「機密性」。どこか「安心」な。」

K「クーンズの方が、「社会」に現実的に擦られていますね。」

M「なお、上段はクーンズの「弱み」として、語っています。」

K「「弱み」と。」

M「たぶん。偉大な作家の列には、加わらない。そのような直感的な。」

K「社会との関係の「危険」に真に接していたのは、控えめで一歩引いたところに自分の身体を置いていたかに見える、ケリーの方だと。」

M「仰る通りです。その距離感に、私自身、たじろぎます。だから、このテーマを語るのは、恐ろしいのです。」

K「クーンズは、その作品の形態からして、当然自分の周りを弁護士等の既製の文明的な装置で防御していますよね。いわば、全てをアウトソーシングする形で。」

M「クーンズの、彼のスタンスを言語化していくと、いろいろな隙間が見えてきて、「可能性」の塊みたいな人なんだということが、分かってくる。飛べるハードルだけ、飛ぶスタンスですね。」

K「用心深そうですね。」

M「でしょうね。かつて、クーンズを指して「遠隔操作性」と加藤さんは仰いました。あの一語で、私は理解が深まった気がする。」

K「そうですね、クーンズは「遠隔操作的」。サイコパス的とも。そうすると、私がセザンヌと、ケリーを芸術の歴史の近代から現在の中心に置いている意味が分かってくる。「遠隔操作的」ではなく、「親和性」。「他者」との。」

M「用心深い。あらゆる装置で防御して、遠隔操作的な、虚構を作るスタンスを確保しつつ、社会的には積極的にゴシップを提供して、ベッタリとひっつく、という。批判者がたくさんでることも計算済み。その批判者との関係性すらも、アートの物語として組み込んでいくという。粉飾性が強すぎて、親和性という語が欠如しているのですね。」

K「「粉飾性」という語も、クーンズは合いますね。後進の多くが手本としたのも、クーンズ。「可能性」。」

M「私たちがこうして対談するのは、そのクーンズ的(粉飾性)から、もっとも遠いでしょう。我々のやっていることは「危険な戯れ」なので。たまに、自分でも自分が恐ろしくなる。加藤さんにいつ殺されるのか?と。」

K「私は、加害者(?)。いや、私は絶対に森田さんを殺しません。それは、既に決めているというか。」

M「ありがとうございます。私も加藤さんを、絶対に無視しないと決めている。」

K「ありがとうございます。それは、おそらく美術史上「革命」ですね。「刷新」。」

M「刷新。マイク・ケリー以降の可能性。」

K「「取るか取られるか」みたいな、美術史。ゴッホ(=敗者)、ベーコン(=勝者)の例とか。」

M「それは、まさに、闘いだ...。」

K「「社会に殺されたゴッホ」、「社会を殺した(自身の恋人をも含め)ベーコン」という美術史上の潜在的対立。」

M「中核的な示唆ですね。クーンズみたいなどっちつかずのやつも、最後は、デッドなんだろう。」

K「ケリーも、両極の複雑なところに位置したと思うが、クーンズのどっちつかずとも違う。」

M「ケリーは語りがたいが、クーンズの深い部分にある芸術否定は、ない。「粉飾」「回避」という印象も同様にない。」

K「ケリーと、セザンヌの語り難さは共通か。先日の対談後の雑談でも例示したが、セザンヌには他者(想定された鑑賞者)を超越的位置からコントロールする(=騙す)仕草は見られない。それは、端的に筆触にも現れていると。」

M「高貴ですよ。ほんと。」

K

Still Life with Apples and a Pot of Primroses, 1890
https://twitter.com/cezanneart/status/1524442673259728898/photo/1

M「高貴さ。」

K「社会からは、確かにセザンヌは「視覚が変だ」(この作品にも見られるように、布の両側に見える机のちぐはぐ、葉に隠れた植木鉢の縁の左右のちぐはぐ)と、攻撃を受けたが。負けなかったので。」

M「意志的ですね。」

K「ユイスマンスの、セザンヌ言及。」

画家仲間や近しい者以外にも、セザンヌへの当時の世の扱いを象徴するかのような出来事も起こった。1888年の『ラ・クラヴァッシュ』紙面では、19世紀末の代表的なデカダン派作家ジョリス=カルル・ユイスマンスによって、「三人の画家―セザンヌとティソとワグナー」で、次のように酷評されたのである。

「亡くなったマネよりも印象派の運動に貢献した啓発的な色彩家であるが病んだ網膜の画家。その斬新な視覚で新たな美の徴候を明らかにした画家マネと、この余りにも忘れられた画家セザンヌと要約できよう。」
https://core.ac.uk/download/pdf/80551445.pdf

M「さかしま、の作家ですね。ユイスマンス。」

K「そうですね、高名な著者から、「病んだ網膜の画家」扱い。その後ですね、セザンヌを後進の画家たちが注目し始めたのは。」

M「ユイスマンスは逃げたんですね。セザンヌの対面から。私には、そう写る。デガダン作家には、直視できなかった。」

「マイクケリーの死もあくまで「意思的」なものと、私は信じている。うつ病薬、とか、そんなことではなく。」

K「なるほど。最後の作品辺りでも、形態的にも姿勢は貫徹している。「死」を感じさせはするが。全てを投げ出したのではない。想定された鑑賞者との「親和性」は、保たれている。」

M「マイクケリーの場合、その死によって、鑑賞者はどこか「自由」を与えられたような感覚もある。」

K「そうですね。「無解説」なところが。」

M「高貴ですよね。そこか。」

K「「言語」を重要視したアーティストだが、いかにも静かに去った。」

M「慎重に、しかし極めて綿密に、選ばれた「死」。最晩年の作品との前後で判断すると。」

K「そうかもしれない。私はその半年ほど前に最後の作品情報を海外のサイトで見て、ケリーの死を直感しました。」

M「最後に、「不可知」を置いて、静かに去っていった。私にはそういう見方があると思う。」

K「そういう見方があって、私は当然だと思います。作家の死を前にして、ただ沈黙するのとはそこが違う。」

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