差別は大事という言説は、だいぶ古くからある

「封建主義が一番良かった」という考えがある。呉智英氏などがそうなのだろうが(名古屋市在住)。所謂流動性の無い固い社会だが。それぞれが自己の分を守り余計な欲を出さない美という。極論としてはそういう意味では現代も封建制は人の心の中にずっと機能しているのではないかとも言える。

「身分制」。商人がいくら儲けようと一定の侮蔑の視線は常に人々の中にあるということ。農民が成り上がってポルシェを乗り回そうと一定の侮蔑の視線は常に人々にあるということ。士族(の文化遺伝子)が落ちぶれてボロを着ていようといざという時本当に守ってくれるなら一定の尊敬の視線は常に人々にあるということ。
 

呉智英「おそらく日本中で私一人が、団塊の世代のはしりであり、全共闘体験もある私一人が、差別は正しいと言っている。差別は正しい、差別と闘うのが正しいのと同じぐらい正しい、と。人類が目指すべきは「差別もある明るい社会」である。差別さえない暗黒社会にしてはならない、と。」

 

 呉智英「侵略の歴史を遡るのなら、なぜ四百年遡っただけでやめるのか。さらに三百年遡れば支那・朝鮮連合軍の二度に亘る日本侵略があるではないか。(中略)これを遠因として日本列島内の一王朝(鎌倉幕府)は滅んでいる。その侵略責任は奇妙なことに誰も問わない。」


仇討ち制度の復活論を唱えている。
いじめ問題について。

呉智英「被害者が自ら死を選ぶなんてバカなことがあるか。死ぬべきは加害者の方だ。いじめられている諸君、自殺するぐらいなら復讐せよ。死刑にはならないぞ、少年法が君たちを守ってくれるから。」 

 
私は名古屋市在住で、(親戚の)牧野剛氏を偲ぶ会で一度だけ呉智英氏をちらと見かけたことがあったが、まだ会ったことはない。

呉智英氏はおそらく、アイデンティティが芸術よりもサブカル寄りの人ではないのか。それに引き付けて、「低級」なものは十分に分を弁えろと言っているように私には聞こえる。

いいなと思ったら応援しよう!