狂った母と生意気な娘、引きこもりのバカ息子、行方不明の父
オマル マン氏との対談、第44回目。前回、青汁王子の話題の続き。
K「デヴィ夫人が青汁王子とのYoutube対談で言っていた「醸し出すものが不景気な人は私は寄せつけない」と。」
O「昭和の文士もそうでしたが、銀座とかに、伝説的ないい女がいて、みんな群がってたんですよね。あの娘にとって、俺は今このポジションにいるんだ!とか。大岡昇平とか小林秀雄とか。ああいうサロン文化というものは、今もないとは思わないが。そういう序列争いが、文化の土台にあった。」
K「美術では、滝口修造まではそうだったみたいですね。飲み屋で。女たちが「(この中で)誰が天才?」とひそひそ話。工藤哲巳がその情景を茶化して、モノローグで表現していた。」
「工藤の「インポ分布図」は、ここから来ている。」
「皆、瀧口修造に憧れて、皆去勢されていた。工藤「滝口はインテリぶっているが、スケベだ」と(同時に、瀧口がパリのアンドレ・ブルトンを訪問した時、ブルトンが近寄ってくると、瀧口はオーラを感じて後退りしたと、また茶化す)。」
O「彦坂氏が瀧口修造の詩を、たびたび褒めますね。」
K「批評家としては、例外的に称賛していますね。」
O「やっぱり、古風なんでしょう。彦坂さん。」
K「まあ、そうですね。時代の落下に追随することに、表面的には懸命だが。」
O「デヴィにしても、世のいい女にしても、男に求めているのは、「想像を絶する」という形容なんですよ。古風から分析すると。」
K「「大統領」。」
O「彦坂も必死に、想像を絶する~を追い求めて。」
「そうそう。」
「女は、世の、ほとんどの男が嫌いですからね。クソッタレ!と。」
K「(笑)。それは面白いですね。」
O「私は手に負えないよ!と。デヴィがそうでしょう。」
K「「大統領」にしか興味はない。」
O「いや、ほんと。女の欲望の、最大形態ですよね。」
K「そうでしょうね。」
O「男の快楽は、そのような女をいかに、踏みつぶすかにあるのであって。」
K「そうかもしれない。」
O「想像を絶するやり方で、復讐する。女に。表現もそうだと思っています。」
K「うーん。」
O「狂った母に対する、何かですよ。そこを考えないと、男は狂った母に殺されてしまう。とるかとられるか。」
K「そうですね。詰まるところは。青汁王子にデヴィ夫人が「あのSM動画を消せないの?」と。その後、青汁はさらに逆に、エスカレーションが。ここに本質がある。「女の欲望の、最大形態」に背きたいと。どんな地面の味を舐めても良いからと。世の「最底辺」に落ちたいという、男の真の欲望。」
O「神経症って、煎じ詰めると、その欲求不満じゃないかなという気がしてなりません。」
K「爽快感が、恒常的にないっていうことですね。ふんづまりの。」
O「魂が浄化されない。」
「村上隆はけっこう、気づいている風なところはある。自分のことを乞食っていってるし、実際に、乞食みたいな風貌になっている。スタジオで寝袋で寝る、とか。あれ、本当らしいし。」
K「ああ、「ものごとが縮退していくことに興味がある」と語っていました、村上氏。」
O「「スタジオは俺の墓なんだから、毎晩、俺は墓の傍で寝るんだ」と。死のことばかり語っているのも、女への復讐みたいな感じが濃厚にする。村上が女とデートしたら、食事中に自己の死のことを雄弁に語って、うんざりさせるのかもしれない。」
K「ヤニス・クネリスがそうだったみたいですね。元々、駅で寝ていたと。名が知られるようになってからも、ベッドで寝ずに床で寝ていたと。」
O「やはり神経症か。」
K「クネリス、前期は良いが、後期は「狂気」と彦坂氏は。」
「前期は、普通の神経症か。馬を画廊につないだり、箪笥等を縄で縛って吊り下げたりし出してから、「狂気」へと。」
O「重たいですよね。」
K「そうですね。重傷な。ストレート表現。」
O「馬のやつは、見覚えがあります。有名。」
K「例えば、「ポルシェを縄で縛って吊り下げたり」、したら。日本人も重傷表現ができる(笑)。」
「でも、画廊に天井高がなければ、成立しない。日本の画廊の天井が低いのが最大の弱点。」
O「「狂った母」、的な枠組みですよね。リッチ層は「金の亡者」、プアー層は「下品」、いずれにせよ、男はクソ!という。」
K「そうですね。両親の不仲→「狂った母」化→そこから息子の神経症という構図。」
O「男=利用価値、(それ以外は無しの無能)という。」
K「根底にある、男性蔑視ですね。男は神経症化。」
O「村上隆や彦坂が、妙にジャニー喜多川について肩入れしたがるのは、その負い目なのかな?とか。「俺たちのジャニーさん」と。」
K「理想像なんだ。なんか、逃げのような。」
O「逃げですよね(笑)。強い母と、生意気な娘。引きこもりの息子。という図式は、あちこちにみられる。あと、行方不明の父。」
K「私は、そういうので自分本意に癒されようとは思わない。」
O「微差、でしょう。重要なのは。繊細な読解力。読解力がない息子はバカ息子として、死ぬまで引き籠るしかない。」
K「微差。良いですね。安易な理想像に遁走もしないが、微差を絶えず伴いながら、ゲリラ戦を戦うという。」
O「この10年、「自己肯定感」って、すごく流行りましたよね。自己肯定で癒すって、最悪のルートでしょう。未来があるのは、たえず自己否定して、頑張ってる奴の方。」
K「自己肯定感の紋切り型=「みんな違ってみんな良い」みたいな。ぬるい。」
O「滅びの道でしょうね。梅津庸一は「自己否定」感はありますね。そこはいいなと思う。」
K「あ、梅津君、私は以前も語ったが、評価高いんですよ。姿勢が。「微差」のゲリラ戦の要素、ある。」
O「梅津庸一は、さすがに見聞が広い。」
K「そうですね。身体性もある。」
「臆病な「がむしゃら」って、「微差」の対極。」
O「臆病な「がむしゃら」。キラーワード。」
K「そうですね。良い批評ワードだと思った。」
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