見出し画像

大豆のお肉とAIと人間

 大豆ミートの定食を食べた。楕円形の皿に千切りキャベツ、そして本来タレのかかった豚肉があるべき場所に大豆のお肉が盛られている。見た目はふつうの生姜焼き定食。大豆ミートという、肉にできるだけ寄せたであろう食べ物をはじめて口に入れる。

 食べてみると思ったより弾力もあり、なんとなくだけどタンみたいな食べ心地である。タレをつけて食べると美味しい。これはこれでいいかも。ただこれは豚肉ではないな、という印象は拭えない。

 と思った理由はその味、食感がひとつ。もうひとつは、大豆ミートのすべての肉片が同じ形をしていたことだった。元を正せばもちろんひとつひとつ違う大豆なのだが、型に入り成形され、出てきたものはスナック菓子のように判で押した形をしている。だから現時点では肉のようで違うなにかを供されているという感覚を受ける。

 さらに言えばソーセージのように、いかにも加工したという佇まいでもない。どっちかと言えば「これは加工肉ではないコピー品です。なんのって?もちろん焼き肉のです」。大豆ミートはそういう雰囲気を出している。つまり、どことなくAIが現実のマテリアルに出力を寄せようとしているのと似ている(もちろん大豆ミートはAIによる成果物ではないのですが、あるジャンルを研究して技術で寄せるというあり方が近い感じがします)。

 いっぽうで従来の肉は、切り出す部位や大きさが違っていることが見た目でわかる。あまりに当たり前すぎて忘れていたが、このお肉の持ち主だった牛やら豚やらが一頭一頭いたことが想像できる。形が不揃いなのはマイナスでは?いや、その不揃いさがいいのかも…。

 とはいってもこの肉も大豆も、同じように工場や畑で画一的に育てられたものなんだけど。ともかく、人間は自分の口に入るものに関してはいろいろ想像する。どこから来たのか、どうやってきたのか。そしてそれも味の要素に加味するだろう。現時点では肉に分がありそうだ。

 世の中的には大豆ミートのほうが安価かもしれないし、詳しくはないけど地球環境にもいいのかもしれない。体にもいいのだろう。が、やはり豚肉ってうまいんだな。そう思いながら定食を完食した。近い未来にこの感想は変わるかもしれないけどね。

 とここまで書きながら、ぼくはAI生成の絵やら動画やらのことを未整理なまま考えている。「肉と絵は全然違うじゃないか」というツッコミはもちろんそう。絵は肉と違って食欲を満たすものではないし、食べて終わりのコンテンツでもないし。

 AI絵の話。絵師さんの絵は背後に絵師さんがいる、ということが固有の美味しさ(肉じゃないけど)を担保するという面がきっとあると思う。AI絵は、大豆ミートのように機械の力で「寄せたもの」だ。この違いは大きい。

 いま考えているのは以下のようなことだ。なお、ここで比べているのは完全に人力で描かれた絵師の絵と、プロンプトからAIが出力したままのAI絵。

①人は目の前にあるものの後ろに、何の力が働いていたのかをほとんど直感的にみてとろうとする。官能の起源は想像するしかなく間違っているかもしれないけれど、それ自体は問題でなく、その作業ができる事自体にひとは価値を付与するものなのだ。きっと。

②だからこそ、AIがあるジャンルに「寄せたもの」だという事実は、AI絵が人間の絵師の絵に「完全には」混じり合わないことを意味するだろう。ポップミュージックとボカロのように。

②絵師にはその人固有の経歴があって、制作についてのバックストーリーがある。その事自体が絵そのものにとっての価値になる。AIにはそれがない。なんなら大豆ミートよりもないかもしれない。

③大豆ミートもうまい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?