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茶道は精神修行の場。

茶道を始めて半年が経った、なまっちゃ(@namatcha_)です。

ピアノもプールも習い事は、半年たったあたりから行くのがめんどくさくなっていたのですが、茶道だけはまだめんどくさくなっていなくて、やっぱり抹茶が好きなんだなと再認識しているこの頃です。

毎週1回のお稽古を続けて半年。いろいろな茶道の「いいところ」と「悪いところ」が見えてきました。「まだ半年しかやってないくせに、何いってるの」みたいなコメントが来そうですが、半年やった人は、半年やった人にしかわからない何かがあるんだろうなと思ってnoteを読んでいただけると嬉しいです(笑)。

なぜ現代でも茶道では正座をするのか?

茶道で最初のハードルが、正座でした。

美味しい抹茶をおもてなしするために、作法を1つ1つこなしていくのでしが、途中で足がひりひりし始めてきます。でも崩すこともできないので、痺れない用の椅子を使うんですが、そうすると今度は膝が痛くて…。私の足は骨ばっているので、正座が本当に辛いんです。

どうにもこうにも動けなくなって、抹茶を出すのにも精一杯。

現代では、ほとんどの生活がテーブルと椅子を使います。足をぎゅっと曲げて座ることはほとんどありません。

これは、だれでも「茶道やだな…」と思う問題なんじゃないでしょうか?テーブル茶道というものが最近出て来ていますが、本格的な茶道には正座は必須。


正座は続ければ筋肉がいい具合に付いてくるから慣れると教わっているのですが、いまだに痺れます。ぐぐってコツをつかもうとするものの、まだまだ。

ただ、正座というのは調べていくと、やはり茶道にはなければならないものらしいです。

・背筋が自然と伸びる
・丹田というお腹の下あたりに力が入る
・足をぶらぶらできないから己に集中できる

などなど…。

足が痺れたら元も子もないですが、こういう「意味」があると知ると、考えられているんだなと感じます。

でも正座はつらい!!

3〜4時間に及ぶお稽古では、膝が痛くなってしまうので、茶室に椅子が欲しいなって思ったり…。「立礼(りゅうれい)」という座るお点前もありますが、基本は正座なので、膝や腰が痛いから茶道をやりたいけどできないという声をよく聞くと、なんかやるせない気持ちになります。

本格的な茶道の雰囲気を、テーブルでもできるようになったら、もう少し茶道人口増えるのではないでしょうか。(プライベートでやっているテーブル茶道だとなんか雰囲気がでないなと感じています。)

メモを取るな!作法は心で学ぶ

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そして、正座よりも苦戦しているのが作法。

茶道には、表千家や裏千家といった流派があり、それごとに作法が違います。さらにその流派ごとに、色々な作法があり、何百通りとある作法を覚えるのが、ほんっとうに大変!!

お湯を入れる釜の位置も変わるし、道具もしょっちゅう変わる。飽き性の私にとっては面白みがあっていいのですが、とにかく覚えることができません(笑)。

先生に作法を教えてもらっている間、動画を撮りたくなったり、メモをとりたくなったりするが、茶室ではそれらの行為は禁止。とにかくその時は目で覚えて、終わってからメモをしろと言われます。

高校生の時にめっちゃ勉強した世界史で、赤点を取ってしまうくらい記憶力が乏しい私にとっては、至難の技。

「やっと覚えてきた〜」と思ったころに、月が代わり、違うお点前が始まるんですよね…。毎回「え〜変わっちゃうのかぁ…覚えられないー」って先生に駄々をこねています(笑)。

茶道は、記憶力の修行です。

言葉じゃなくて、心で感じろ。

禅や侘び寂びの世界ではそういわれています。先生が「メモをとるな」ということもきっとそういうことでしょう。

「おもてなし→修行」に移り変わっていく茶道の形

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(茶会で和菓子ではなく、洋菓子を提供したときの写真)

同じ稽古を受けているの一人の男性がいるのですが、その人に「なんで茶道を習い始めたのか」と尋ねたら、こう答えたんです。

「この歳になって、0から始めるってことはあまりないんです。会社では、自分が指導する側ですからね。だから茶道始めてみようかなと。修行ですよ、修行(笑)。」

おもてなしをするための茶道から、修行するための茶道へ。

実際、茶道の稽古をすると、スマホや時計から離れるため、すごいスッキリします。いつもと違う脳みそを使って集中するから、頭のストレッチになっている気がして、週1回の茶道は気分転換にもってこいです。

ただ、「おもてなし」というところからは程遠い。

茶道はもともとは、千利休を始めとする茶人が、武士や承認におもてなしをするためのものでした。所作が美しく見えるように、ひとつひとつの動作に意味がもたらされている。いわゆる「芸術・アート」だったのが茶道でした。

ある程度の型は決まっていたものの、千利休は弟子がそのまま茶の湯のありかたを真似をすることを嫌ったのです。「そんなことじゃ、茶人としてまだまだだ!」と、真似する弟子をしかったほど。

自分が思う茶の湯をつくって、お客様を心からおもてなしする。
自分で考えて、自分でおもてなしする。

本来、それが千利休が広めたかった茶道というものだったのではないかと、私は考えます。

ただ、今の茶道は「おもてなし」ではなく「道」です。宗教的であり精神的な修練の場だと感じます。

「抹茶が大好き」から始めた私にとって、茶道は「抹茶好き」からかけ離れたものだったのです。

とはいえ、茶道は大好き

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ここまで書くと、茶道のイメージは最悪。気になってたけど行きたくないなぁと思う人が多いのではないでしょうか。そんなに嫌ならやめればいいじゃんと言われるような内容です。

ただ、こんなに茶道のあれこれ記述しといてなんですが、私は茶道が大好き!

抹茶を仕事にしているから知っておかなければいけないという義務感から感じていることもあるかもしれないですが、週に1回のお稽古が楽しみで仕方がありません。正座が辛くても、作法を覚えるのが大変でも(月謝が高くても…笑)、習ってみる価値はあるなと思っています。

1つの理由が、自分と向き合えるから

もう1つの理由は、学校では教えてくれない「おもてなしの心」を学べるから

茶室はインターネットと繋がっていない異世界とも呼べる空間で、人との関わりは茶室の中にいる人とだけに集中できる。

そしてお点前の時は、自分の「今」に集中。

そうすると、自分がどんなときに精神が乱れるのか、集中力がきれるのか。どんな状態だと、ベストなお点前ができるのかわかって来ます。

その日のスケジュールや、気持ちによって、無意識のうちにメンタルに影響してたことが茶道をやってるとわかるんですよね。抹茶の点ち具合が、コンディションによって全く違います。

そして、個人的に好きなのが「おもてなし」の極意を学べること。

茶道は、本当に数々のおもてなしの心が詰まっています。例えば、建水という茶碗をすすいだ湯水を捨てる道具があって、それはお客さんから見えないような位置におきます。茶道には必要なものですが、お客さんに汚いものを目にいれないようにするために、ちょうど体が隠れる位置に置かれるようになっているんです。

また、お茶をもらうときに、亭主(お茶を点てる人)と正客(お茶を飲む人)が、会話をする。この時に、お茶碗を褒めたり、季節の会話をしたりするのですが、そのときの言葉選びが秀逸なんです。相手がどんなことを言われたら嬉しいのか、どんな感想を述べれば良いのか。建前と言われれば建前だが、日本人の奥ゆかしさはここから来ている気がして、勉強になります。

抹茶好きが茶道をするには…

抹茶好きな人が、茶道を始めたら必ず好きになるとは言えません

全くの別物です。

なんでこんなことを記事にしたかというと、なんか楽しそうと意気込んで茶道を始めた人がすぐやめるor茶道と抹茶が苦手になる人というのを、一定数見て来たからです。

抹茶を楽しむだけではない「道」の世界と、自分が思い描いていた抹茶の世界とのギャップが大きいと、楽しくなくなって続けられなくなってしまうんだと多います。

抹茶を楽しみたいなら、そういうカフェはたくさんあるので、そこをめぐるのがいいと思います。そうではなく「精神修行」という意味では、茶道がぴったりです。茶道の独特のシステムは後に話すとして、丁寧な動きや所作を学ぶだけでなく、自分と向き合うにはとてもいい習い事です。

そして、食で「道」を学べるのは茶道だけなんですよね。ぜひ気になる人は茶道を習ってみてほしいです。

私は、茶道を抹茶を楽しむ場ではなく、精神修行の場としてこれからも、さまざまなことを学んでいこうと思います。

そして、私は私なりのお茶の世界って、めっちゃいいでしょ!というイベントを毎月行なっているので、ぜひ興味ある方TwitterのDMからご連絡ください。

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