100歳のおじいさんに道案内をしたら人生を教えられた話。

なぜか、私はよく道を尋ねられる。

老若男女、国籍も関係なく様々な人から

「この神社までどう行けばいいですか?」

「ここらへんで一番近い皮膚科はどこですか?」

駅のホームで電車を待っていると、

「八高線は何番線?」

などと、恐らく月に1回は道を尋ねられている。

なぜ、私はこれほどまでに道を尋ねられるのか。

私的見解では、私は客観的に見てかなり話しかけやすい風貌だからだと推測している。

20代女性。

身長は157cmで、中肉中背。

Tシャツにジーンズを中心としたシンプルかつ、まったく攻撃性のない服装。

顔立ちもパーツがシンプルで、どちらかと言うと幼い印象を与える。

友人から「無印良品のモデルになれる」と太鼓判を押されたくらい温厚に見え、めちゃくちゃ道を聞きやすい見た目なのである。

そんな訳で、普段から見知らぬ人に道を教えるのに慣れているのだ。

これまで繰り返し道案内をしてきた私は、

既に道案内のプロフェッショナルとしての意識を抱き始めている。


7月某日いつものように歩いていると、

例のごとく、見知らぬおじいさんに声をかけられた。

160cmくらいでポロシャツとズボンを着ており、

腰は曲がっているものの、元気そうな方だった。

ゴソゴソ…

ズボンのポケットから、壁掛けのA2サイズのカレンダーから切り離された、6月のカレンダーが開かれた。

一番下にある運送会社の住所を、おじいさんは指さした。

「ここに行きたいのですが・・・」

「はあ、そうですか」

その運送会社の名前は知らなかったが、

指さされた住所を読んだが、今いる場所からかなり離れている。

自分のスマホを取り出して、GoogleMapで運送会社の名前を検索してみる。

やっぱり、最寄りは5駅先だ。

しかも、駅からかなり歩くようだ。

おじいさんにスマホの画面を見せ、そのことを伝える。

すると、おじいさんは困ったように呟いた。

「遠いね…。100歳にもなると、どこに行くのにも1日かかるんだよねえ…。」

突然、私はおじいさんに対して興味を抱いた。

私は私の人生で初めて100歳の人間に出会った。

「えっ、100歳なんですか?」

思わず聞き返した。

道案内のプロとしてのキャリア史上、常に質問を受ける側に徹してきた私だったが、初めて私の方から何かを聞き返した瞬間だった。

おじいさんは答えた。

「そう、死ぬタイミングがなくてね~。

どっかで死んじゃえば良かったのにさ、知らぬ間に、なんか100歳になっちゃったんだよね」

そんな自虐的なトーンで言うことかと驚いたが、

やはり100歳が発する言葉は得体のしれない重みがあり、

思っていたよりも人生はかんたんなもので、そうだったか、そうじゃなかったのかの2択に過ぎないのかもしれないと思われた。

その後、雑談をする中で、

奥様は10歳年下で外に出るのが好きだが、自分は身体が追い付かないので、歳の離れた人と結婚すると苦労することなどを教わった。

ひとしきり話した後、お互い向かう場所があるので解散することになった。

そして、おじいさんが最後にぽそりと呟いた言葉が、私の心にとても大きなインパクトを与えた。

「どこかに行くのに1日かかるけど、かんたんに辿り着けたら、面白くないの。

かんたんじゃないから、良いの。

行き方もよく分からないけど、誰かに聞けば、あなたみたいに教えてくれる人がいるしね。」

と、笑っておじいさんは駅に向かって行った。

このセリフ、金言ではないだろうか。

100歳まで生きたおじいさんには、人生という道のりがそう見えるのかもしれないと思った。

みんな小さいことでくよくよ悩んでは、もっと楽に生きたいと思う。

だが、悩むからこそ、かんたんじゃないからこそ、時間を費やして考えることに意味があるのかもしれない。

一人で悩んでどうしても答えが出なければ、誰かに尋ねればいいのかもしれない。

甘えて、助けてもらって、初めて目的地に辿り着ける時もあるかもしれない。


こうして、100歳のおじいさんに道案内をしたら、思いがけなく人生について示唆的な教えを享受してしまったのであった。

また、私自身が道案内のプロとして今後活動していくことに希望を感じた体験であった。


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