勇気のあるものから

Naruse Fumiaki Chef
という方をご存知でしょうか?
今日2023年12月8日、午後2時
その成瀬文章さんのご葬儀が彼の地元で行われました。
45歳です。

今回は彼の残してくれた生き様を忘れないためにも、投稿させていただきます。(※Instagram、Facebookにも同様の投稿をしています。)

特に飲食関係に従事している人にこのメッセージが届けば幸いです。

成瀬さん(通称Naru)はイタリアを中心に活躍する日本人の料理人です。
どんな方かはNaruse Fumiaki Chefで検索すると、いくつか記事を見つけることができます。

間違いなく、彼は日本がヨーロッパに誇れる代表的な料理人の一人でした。

Naruさんが20歳の頃、イタリアへ単身で野宿しながら渡り、お金が尽きたころ門戸を叩いたのが、「Enoteca Pinchiorri」。
そこで働きながら頭角を表し、ミラノから約1時間ほどの位置にあるBergamoのDa Vittorioでスーシェフまで登り詰めました。
長年のミシュラン三ツ星レストランでの経験を活かし、その後はフリーランスとして働き、
各レストランのオープニングメニュー監修、若手の育成、VIPのお抱え料理人、ルフトハンザの機内食プロデュース、、など数々の仕事をこなしていました。

元々は私の前職のオーナーとの繋がりがあり、帰国の際に何度か会って話をしました。
イタリア最前線で活躍する彼のアイデアと話はまさに武勇伝ばかりで、
いつも新鮮な気持ちにさせられました。

ところが2023年10月の中旬を境に音信不通になりました。
丁度その頃、私はNaruさんから仕事の依頼を受けてイタリアに出張の予定でした。
あんなにマメで律儀な方との連絡が途絶えたのを不安に思い、共通の友人を探し当て、何とか彼の自宅に辿りつきました。

あの瞬間の嫌な予感は一生忘れられません。

彼は自宅で孤独死していました。
几帳面で潔癖だった彼の部屋はぐちゃぐちゃに荒らされていて、
恐らく、死後2週間以上は経っていたものと思います。

イタリアの警察は碌に取り調べもせず、
今もなお彼の死因は自然死ということで片付けられています。

私は休暇の際にイタリアを訪れ、Naruさんに2、3日イタリアを案内していただきました。
ヨーロッパで働き始めてまだ一年も経っていないので、私の中でも不安はいっぱいありました。
今後の自分のキャリア、日本人としての立ち位置、これから求められていること。

とにかく様々な仕事の相談に乗ってもらいました。

昼からBarでFrizzanteを飲んで、バイクや政治の話に交渉まで。
イタリア人か!?ってレベルでイタリア語を操り、一歩も引かない。
それが彼のイタリアでの姿でした。

彼は人の何倍もの努力を重ね、不動のキャリアを形成してきました。

例えば、休憩でみんなが賄いを食べている時には、
料理の試作。
営業が終わった後はオーナーとテーブルを囲い、お店のワインと料理を実食。
今後お店をどうしたいかを打ち合わせ、
翌日それを現場にフィードバックする。

私はNaruさんと一緒に働く経験を持てませんでしたが、
彼がいかに厨房の中で自分にも人にも厳しかったのかを想像するのは、
難しいことではありませんでした。

今回の件を通じて
共通のイタリア人の親友の二人と繋がることができました。

ふたりとも、心の底からNaruを慕っていましたし、
リスペクトを持っていました。
共通の職場を離れお互い15年以上も経つけど、
「僕は彼から、まだ沢山の事を教わる必要がある。
彼からは厨房で一番大切な事を教わった。」
そう言っていました。

私も一度だけ、Naruさんがコックコートを来て厨房に入った姿を見ました。
小さな身長(恐らく158cmくらい)にも関わらず、
その姿は厨房の空気を一瞬にして凛と張り詰めたものにし、
堂々としていて格好良かったのを覚えています。

彼が仕事において一番大切にしていたのは、
自分のときめき。
依頼された仕事については
常にベストを尽くし、全力でした。

「自分より、料理の才能に溢れて、上手い奴は星の数ほどいる。
だけど、自分の強みはお客さんとオーナーのニーズを拾い、それを形にできることだ。」
と話していました。

そして、話を聞くと、彼の作業場はいつもキレイで片付いており、
目の前にある限られた場所や材料で常に最高のものを造り出していました。
それが彼をトップシェフにさせたと、親友は語っています。

残念ながら、私はNaruさんと同じ現場に立つことは出来なかった。
一度でいいから、その経験をしてみたかった。

ですが彼の生き様を見て、この仕事に置いて
一番大切なことを教えてもらったと信じています。

早すぎる最後でしたが、
彼の仕事っぷりはいつ最後を遂げても後悔することがないものばかりだったはずです。

次のプロジェクトにも常にワクワクと目を輝かせながら話してくれた姿を
今も目の前にいるかのように思い出せます。

間違いなく、Naruse Fumiakiは日本が誇れる料理人です。

戦争では勇気のあるものから死んでいく。
とは言いますが、
本当に早すぎる最後でした。

私達は彼の生き様から、多くのことを知ることができたはずです。

成瀬さん、心よりご冥福をお祈りしています。

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