Adan Ballet by Cocco

-----------------------------------------------------------------------------戦時中、鋭い棘を持つアダンの茂みに身を寄せて生き抜いた者たちの話を聞いてから、沖縄人の私の心に“アダン”はサバイバルの象徴として刻まれました。
いつの間にか私はとうに大人になっていて、そして図らずも生き残った者になっていたから。
生存者(サバイバー)による生存者(サバイバー)のためのアルバム「アダンバレエ」を作りました。
今を生きるすべての生存者(サバイバー)に捧げます。    

https://www.barks.jp/news/?id=1000128843

-----------------------------------------------------------------------------

そんなメッセージと共に「生存者(サバイバー)による生存者(サバイバー)のためのアルバム」として送り出されたAdan Ballet。

Coccoが自身を「生存者」「サバイバー」として認識し、これまでのように「排泄」としてではなく、「生存者(サバイバー)」に向けて意識的に紡いだ音や曲の連なり。それは、この作品が過去のものとは決定的に異なると、予感させられるメッセージでした。

それってどういうことだろう?
私はそれをどう受け止められるのだろう?

私はたまたままだ「生存」してはいますが、「サバイバー」ではありません。

Coccoが自身を「生存者(サバイバー)」と位置づけられるようになったことには心底ほっとしました。彼女の怒りや葛藤、苦しみが完全に消え去ることはなかったとしても、多分きっと、もう大丈夫、なのかな?と。

でもその一方で、そうなると、彼女によって紡がれる世界はどうなるんだろうか、私は拠り所がなくなって離れてしまうのではないか、という不安がありました。自分の中にあるCoccoのスペース、それによる灯火のようなものを失いたくなかった。


少し悩んで、発売日から少ししてからアルバムを購入しました。
そして、聴くまでにも少し悩んで、しばらくしてから聴いてみました。

通して聴いた結果は、驚くほど穏やかでした。

やはり心をぐっと刺すような曲はありませんでした。しかしその一方で、CoccoはやっぱりCoccoだと感じさせるところもありました。でも、良くも悪くも、心がざわめくことがありませんでした。それはゆるやかなショックでした。

一度聴き始めてからは何度か通して聴き続けました。けれども、そのうち、意識して聴こうと引っ張り出す感じではなく、日々の雑多なことの裏で鳴って支えてくれる位の感じが私にはちょうどいいのかな、という位置に落ち着きました。だから、移動中にぼんやり(眺めるような感じで)聴くということが多くなりました。

正直、作品を聴いてみても、それをどう受け止めていいのかがわからなかったのだと思います。おそらく判断の保留です。

そして、そんなぼんやりした状態が続いたまま、ツアーの東京日程が近づいてきました。幸い、NHKホールも、昭和女子大もチケットを確保できていました。けれども、「よし!ライブだ!!!行くぞ!!!!!」というテンションではなく、「そうだね、ライブだよね。」という感じでした。


NHKホール公演の日は、決して気が進まないというわけではなかったのですが、なんだかんだで家を出るのが遅れてしまいました。
Twitterなどではグッズを買うために早くから並ばなきゃ!とか、物販が長蛇の列だとか、ネックレスがあっという間に完売したとか、熱い書き込みを目にしていたのですが、やはりそれをぼんやり眺めている感じで、いまいち馬力が入りません。
結果、開演時刻ぎりぎりに会場にすべり込む感じになりました。

そして、色んな意味でドキドキしながら、幕が上がるのを待ちました。


始まったら、あっという間でした。それまでのぼんやりが全く嘘みたいに、ああ、CoccoCoccoだ、確かに大きく変わったけど、CoccoCoccoだ、と。終演後は深い満足に包まれていました。

ツアー中のネタバレを嫌う方が多いので、詳しく書くのを控えようと思っているうちに、だんだん思い出せなくなってきてしまったのですが、セットリストはAdan Balletの曲を中心に、活動休止前の曲を絶妙に混ぜ入れてくる感じでした。

序盤では、「樹海の糸」があり、「Rosheen」の後にちょっとかわいい雰囲気続きという感じで「海原の人魚」があり、今回(おそらく初めて)スクリーン映像(Coccoが踊るもの)を流す演出があったのですが、その直後に「強く儚い者たち」があり、その後が「遺書。」、さらに「コスモロジー」(復帰後の曲の中では突出して好きです)という強烈な連鎖。これには完全にノックアウトでした。また、終盤にも「眠れる森の王子様」もあり、復帰後の曲ではありますが「蝶の舞う」も続き、最後は「ひばり」で〆。

何だろう、もう完璧な構成という感じで、ひたすらくらくらしました。サバイバーになった今はもう昔の歌はうたってくれないのかな…って思っていたのですが、そんなこと、全然なかった!
「ひばり」に、「 私はあなたを置いてはいかない」っていう部分があるんだけれども、確かに「生存者(サバイバー)による生存者(サバイバー)のためのアルバム」であり、そのツアーなんだけれども、サバイバーは勿論、サバイバーになれていない人にも、彼女はエールを送ってくれてるんだなって、そんなことを思った。ぐっと来た。Coccoはやっぱりどこまでも深く優しい。

そして、最後のほうで初めて入ったMCらしいMCに、今の気分は?みたいなことで”明日は大安”って言っているところがあって、

「今日は走っていたらネズミの死体にぶち当たって、その後、前からあそこにあるの落としそうだなって思っていたコップを見事に割って、カレンダーを見たら仏滅って書いてある下にNHKホールって書いてあって、そもそも今年は占いの人に"全然ダメ"って言われていた年だった。でもこうやってちゃんとツアーもやれている。だけどそれは、ここまで生きてきたからだし、年のはじめや、今日のはじめで終わってしまっていたら、そうはならなかった。だから"明日は大安"って思っている。」

っていうような話をしていて、それもものすごく良かった。ああ、これが今の彼女なんだって。Adan Balletの曲達も、音源で聴いているよりも、生だとものすごくどうしてっていう位に響いた。

やっぱりCoccoのパフォーマンスは圧倒的だった。これまでもずっとそうだったんだけど、今回はさらにそれに磨きがかかっていた。

"サバイバー"として歌を紡ぎ、歌い、人に送るようになったCocco。曲や歌は排泄行為だって言っていたところから、明らかに変わった。歌も歌い方もより意識的になった。そして、前よりも声がさらに強く伸びやかになった。驚くほどに、自然なんだけど、力強かった。まさに絶好調だった。ボイトレをしたような感じではない、しなやかなんだけど高らかで、聴く者の胸を打つ声だった。


そんなNHK公演を経て、昭和女子大公演のときは、勇み足で会場へ足を運びました。この日は元々開演には間に合わない予定だったんだけれども、やはり頭の数曲を逃してしまい残念でした。でも、それでも、充実した内容と圧倒的なパフォーマンスに酔いしれました。

セットリストは、コアの部分は同じだったんだけれども、「Rosheen」の後のかわいい雰囲気コーナーが「ひよこぶた」、スクリーン後の「強く儚い者たち」の後が「風化風葬」で、またもやノックアウト。「ひよこぶた」もレアなんだけれども、「風化風葬」は昔からずっと好きな曲で、しかも、その後に「コスモロジー」も来るもんだから、もうそれはひたすらにだらだらと泣きました。「風化風葬」、もちろん昔も良かったんだけど、今のCoccoだと、もっと良いね。

この日のCoccoは「神頼みとか好きじゃないんだけど、初詣とかはイェーイってしてその時に"皆にいいことがありますように"って祈ったりしてたんだけど、この間神社に行ったときに"皆と自分にもいいことがありますように"って、少し欲張りになった」というようなことを言っていました。

それを聞いて、やっぱりCoccoはちゃんと”生存者(サバイバー)”になれたんだなって思いました。これからも色んなことがあるかもしれないけれど、少なくとも現時点において彼女は大丈夫だし、きっとそれは長く続くんだろうなって、少しの寂しさはあるけれど、安らかで穏やかな気持ちになれるツアーでした。

あ~本当に至福の時でした。きちんとあの場に立ち会えて本当によかったです。(あれから暫く経ってから書いたけど、やっぱりうまくまとまりません。そのうちもう少し整えます。)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?