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【有栖川櫻子SS-8】 桜を守るは黒の番犬

『所詮犬ですね 有栖川さんに犬は似合いません
でも私の目にはなれる あなたは盲導犬です』

鷹臣はスマホに届いたメッセージを見る。
最後まで読んだ所で間を置かず、そのメッセージを消去した。

「誰に何と言われようが、俺のやるべきことは曲げるつもりはない」

スマホをポケットに仕舞い込み、陰に身を潜め目前の彼女を見る。
鷹臣が守るべき相手、命を賭す価値のある存在。
生涯を捧げるに値する主。

世界で唯一のただひとり。

その主、有栖川櫻子は長い金の御髪を靡かせ優雅に歩いている。

傍には褐色肌の護衛のベネットがついて歩いている。
2人は少し何か話す様子を見せた後、ベネットはその場から離れて別方向へ消えて行った。

何故、こんな道端で護衛と離れるのか。
そう思った矢先。

「鷹臣」
「いるのは分かっていますわよ」

気配を消して、身を隠していたのに。
櫻子はまるでなんてことの無いように、鷹臣に声を掛けた。

「ねぇ、わたくしは貴方に解雇を言い渡したはずなのだけれども」
「言葉の意味を分からない貴方じゃないでしょう?」

笑顔で、しかし圧を感じさせる声色で彼女は告げる。

「警察に突き出すことも出来るのよ」
「それにこのまま他の仕事もせずわたくしの後ろを付いてくる気かしら」

温厚な彼女にしては珍しく、言葉に怒気を孕んでいる。

「そんなことを言って、突き出す気などは無いのでしょう」

貴方は、お人好しだから。

「もう、今はそういう話では無いでしょう?」

「何と言われようと、私は櫻子様をお守りします」
「わたくしがやめろと言っても?」
「櫻子様がどう言われた所で、櫻子様のお命を狙う者がいなくなる訳ではありませんので」

鷹臣は櫻子の言葉のひとつひとつに曲げること無く真っ直ぐに反論する。
櫻子は小さく溜息を付き、諦めたように向き直る。

「わたくしもあの場での行動で決断を急ぎすぎたのかもしれない、貴方がそれを受け入れられないとなることも想定しておくべきでしたわよね」

「鷹臣、話をしましょう」

そう言い彼女は有栖川邸へ彼を招き入れた。

​───────

別邸、ゲストルーム。
2人は向かい合い、座っていた。

「ねぇ、ちゃんと分かっているのかしら」
「私は今も間違ったことをしたとは思っていませんが」

目の前の彼を見上げ、櫻子は頭を押さえる。

「もう少し、やり方があるのでは無くて?」
「それでお嬢に危害が及べばどうするのです」
「その呼び方、ちゃんと櫻子と呼びなさいと言ったでしょう?」
「……櫻子様」
「そう、それでいいの」

自分が正しいと思ったことは微塵も曲げる気がない頑固だけども、変な所で素直な鷹臣に櫻子はくすりとする。

───そも、事の発端は櫻子のペンが消えたことだった。

それを機に、数度と櫻子の私物は消えていき、同時期に何者かに後をつけられるようになった。

櫻子はそれらを認知した上で、様子見という形を取った。
ひとつは、悪意は感じたが害意を感じなかったこと。
ひとつは、何故このようなことをしたのか知りたかったから。

けれども、周囲の影響を考えるとこの判断は最良とは言い難かったのではないかと感じる。

目の前の鷹臣を見る。彼の顔には反省の色ひとつない。
こんなだけれども正義感はあるし、ほぼ櫻子への思いだけで行動しているからなおタチが悪い。

彼は尾行している者を櫻子の命を狙う集団によるものと想定した。
そして同時期に櫻子の身を案じて使用人が出した依頼を受けた黄昏の生徒に銃を突き付ける暴挙に出た。
櫻子自身が知っているとそう言えば使用人が気を揉む必要も無かったのでは無いか、早々に多少強引でも解決しておけば鷹臣が暴走することも無かったのではないか。
今となっては後悔してももう遅い。

「はぁ、鷹臣は心配しすぎなのですわよ」
「……まぁ、ベネットも、他の護衛もわたくしのことを心配しすぎなくらい心配してくださるけれども」
「櫻子様が心配しなさすぎなだけなのです」

この論争は平行線になる、櫻子は話を切って本題へと戻す。

「確かにわたくしは中でも外でも敵が多いですわ
けれども、今回は貴方が思うような騒動では無かったのよ」
「なら、櫻子様は誰が犯人か分かっていたと?」

櫻子の言葉に鷹臣は訝しげに言葉を返す。

「ええ、犯人の一人は愛川さん。この件はベネットが解決してくれたものね」

手の届きやすい場所にあったからか、魔が差したのか櫻子の私物を拝借していた彼女。
ベネットが解決し、盗まれたもの自体はそのまま帰ってきた。

彼女の処遇に関してはその時点では減給程度だったが、別件でメイドをクビとなってしまった。
櫻子の力では辛うじて籍だけ残すことしか出来なかった。

「でもこれは、最初に起こった訳じゃないの」
「というと?」
「愛川さんだって、有栖川家で盗みを働いてそれが露呈すればどうなるか考えられない方ではないはず。なら、盗みやすい状況だったなら?」

鷹臣は静かに櫻子の言葉を待つ。

「既に、それ以前からわたくしの身の回りの物は盗まれていたの。つまり発端は別の人物だった」
「これは推測だけれども、愛川さんはそれを知っていたから、バレてもその人に罪を擦り付けられると思ったのじゃないかしら」

他の犯人の可能性。
今回の件は単独犯によるものでなく、全く別の複数犯によるものだったと。

「それは誰なんですか」
「ほら、近々わたくしが出るコンクールがあるでしょう?」

「そのコンクールに同じく出場する椎名 小春さん、彼女が発端よ。」

鷹臣は名前を言われても人物像が浮かばなかったのか、そうですかと淡白に答える。

「犯人がわかっているなら、何故泳がせていたのですか?」

もっともな意見に櫻子は長い睫毛をやや伏せて口を開く。

「何故、そのようなことをしたのかが分からなかったから」

他者の心の理解。
櫻子の長年の課題であるそれ。
知りたい、そう思ったからこそ彼女はそのままにしていた。

「今は分かったのですか?」
「いいえ、まだですわ」

鷹臣の問いに櫻子はふるふると首を横に振る。

「生まれた場所も育ちも違う人を理解するというのはやはり難しいことですもの」
「ですからわたくし、直接聞きに行こうと思いますの」
「悪意を持つ相手でしょう、危険です」

櫻子の言葉に鷹臣はすかさず制止する。

「わたくしを見ていてくださいまし、彼女は大丈夫ですわ。悪意は感じるけれども、害意は感じませんもの」

「でも」

それでも食い下がる鷹臣に櫻子はそれ以上言葉を続けさせまいと手で止める。

「鷹臣、わたくしの傍にいることを許可致しますわ。その間の行動で護衛に復帰させるか見極めさせていただきますわ」

「あぁ、けれども銃は使わないよう」

櫻子は蠱惑的な表情で微笑む。

「“待て”を覚えなさい」
「そうしたらご褒美を差し上げますわ」

そう言い切ると、話は終わりと席を立ち上がる。

鷹臣はまだ何か言いたげだったが、言葉を飲み込み静かに櫻子の後ろに付いて行った。

​───────

トワイライト・ピアノコンペティション。
箱猫出身だという音楽会の権威のひとりが主催しているこのコンクールは、小規模ながらも関係者の目にとまれば更に大きな舞台で演奏できる可能性も孕んでいる重要な舞台。
ここで賞を取り、更なるステージに踏み出すことはお祖母様へのアピールの側面からも重要なこと。
だからこそ、櫻子はこのコンクールの準備に力を入れていた。

重要なコンクールであること、それは櫻子だけに限ったことではない。
きっと、件の彼女にとってもそうだろう。

「椎名小春さん」

櫻子は自身の席に座り本を読んでいる彼女に声を掛けた。

「……お嬢様が私に何の用ですか?」

目線を本から離さず、淡白に答える。

「少しお話がありますの、2人で話せる場所に行きませんこと?」
「ここでいいです、何ですか速やかに済ませてください」
「そう?では、単刀直入に聞かせていただきますわね」

「ここ最近、わたくしの後ろを尾けたり私物を隠されているのは何故かしら」

櫻子の言葉に椎名は驚いたように口をぱくぱくさせる。

「なんで、私がそんなことしてると思ってるの?証拠でもあるの?」
「証拠が欲しいのであればご用意は出来ますけども……わたくし、事を荒立てたい訳ではありませんの」
「じゃあ何?何がしたいの?」
「最初に言った通りですわ。“何故”、それを知りたいだけですの」

言い逃れ出来ない空気を感じたのか、椎名は溜息をついて口を開いた。

「今度のコンクール、私は絶対金賞を取らないといけないの」
「賞金だって必要だし、噂で金賞取れば有名な楽団にスカウトされるかもしれないって……」

ぽつぽつ、彼女は呟くように言葉を連ねる。

「有栖川さんはさぁ、別に音楽に固執しなくても別のものだって沢山持ってるんでしょ!?
周りで何か問題起きたら身の安全が重視されちゃうようなお嬢様なんでしょ!?」

だから、問題を起こせばコンクールの出場を止めることが出来ると、彼女はそう告げる。

「私にはさ!音楽しかないの!有栖川さんは他にも沢山持ってるんだから私に譲ってよ!!」

椎名の言葉を静かに聞いていた櫻子は口を開いた。

「そうだったのですわね」
「分かってくれたなら、出場を辞める気になった?」
「でも、その行いは美しくありませんわね」

櫻子の言葉に椎名は顔を真っ赤にして今にも掴みかかりそうな様子で詰め寄る。

「美しいって何!?私は勝つために必死なの!」

「ふふ、わたくしも勝ちたいですわ。確かに他のものも沢山持っていますけれども……それは諦める理由にはなりませんもの」

「ごめんなさい、わたくしには貴方のことを真に分かって差し上げることは出来ない」
「ただ、正々堂々戦いましょう?」

櫻子は言葉を残すとその場を立ち去る。

何よ、と椎名は呟いた。

​───────

コンクール当日。
椎名と会話をした後、周囲から物が無くなることはなくなった。
バレたと分かってから更に続ける訳にはいかないとでも思ったのだろう。

会場内を見渡すと椎名の姿が目に入る。
椎名は櫻子と目が合うと、ふいとすぐに目線を逸らした。

「櫻子様、やはりあの者は櫻子様に害を成す可能性が」
「大丈夫と言ったでしょう」

鷹臣の言葉を制し、櫻子は会場内を歩く。

「わたくしは後の方の出番ですもの、それまで貴方もゆっくり演奏をお聞きになりなさい」

しばらく後、会場内に闇が降りる。

1人目の奏者は椎名小春。金賞を取らなければ、と豪語するだけあり、力強く深みのある演奏を披露する。
トップクラスと言って差し支えない技術だろう。
わざわざ妨害行為なんてしなくても良かったのに、と思うくらいには。
演奏終了後、会場内を拍手が包む。
椎名は堂々とした態度でお辞儀をした。

──ステージへ向かう廊下にて、櫻子と椎名はばったりと出会う。

「素晴らしい演奏でしたわ」
「どうも」

微笑み賞賛する櫻子に対し、椎名は素っ気なく言葉を返す。

「ふふ、わたくしも負けてられませんわね」

客席へと去っていく椎名を一瞥し、櫻子はステージへ向かった。

スポットライトに照らされた舞台上を優雅に歩く櫻子。
椅子を引きピアノの前に座り、その白く細い指を鍵盤の上に滑らせた。

繊細で、軽やかなメロディ。
深く、櫻子を体現するような優美な音が会場内に鳴り響く。
誰もが息を呑む演奏。
まるで、息をするのを忘れてしまうかの如く。

櫻子は演奏を終え、嫋やかにお辞儀をする。
舞台から去っていくまで、誰も目を離すことはできなかった。

​───────

「トワイライト・ピアノコンペティション、優勝は───」

「有栖川櫻子!!」

結果発表。会場内の誰もが想定した通り、金賞を取ったのは櫻子だった。

ありがとうございます、とトロフィーを受け取り微笑んで舞台の中心に立つ。

椎名は銀賞、金には一歩届かずという結果だった。
隣に立つ彼女は賞を取った喜びと、金を取れなかった悔しさか何ともいえない表情をしていた。

拍手喝采に包まれ微笑む中、櫻子は隣の彼女を気にしていた。

──舞台裏にて。

「ねぇ、椎名さん……」
「何、自慢でもしに来たの?」
「貴方賞金がとか言っていたでしょう?家が大変な状況なのかしらって、だからもし心配ならわたくしが……」

「施しなんていらない!迷惑なの、お高く止まっちゃってさぁ!!」

椎名は声を荒らげる。

「次は負けないから、情けなんて掛けないでよね!」

彼女はそのままイラつきを隠さない様子で足早に消えていった。

ひとり残された櫻子は顎に手を当て首を傾げる。

「理解するのは難しいですわね」

櫻子には縁遠い感情。けれども理解したいと。
理解しようとすることが重要であると櫻子は考えるからこそ、直接聞いたのはきっと無駄では無かったのだろう。

​───────

会場の外にて、櫻子は迎えの車へと向かう。

その時、スーツ姿の男性が櫻子に背後から手を伸ばした。

「鷹臣」

鈴の鳴るような声で名を呼ぶ。
その声に呼応するように、どこからか現れた彼は襲撃者を素手で制圧した。

「尾行者はあの女だけじゃなかったのですか」
「ええ、そうよ?」
「危険と分かっていながら何故」
「ふふ、貴方がいると分かっていたから」

鷹臣の言葉に櫻子は悪戯っぽく笑う。

「それに、こういう実績を作った方が周囲を納得させやすいでしょう?」
「分かってて泳がせたのですか」
「分の悪い賭けではないと思うのだけれど」

櫻子の周囲を見て、他の護衛が集まる。
きっと、正当な手段で櫻子を守った鷹臣のことを彼らも見ていてくれたであろう。

尾行者はじたばたと逃げようとするが、鷹臣の力に適うはずもなく、ただ押さえつけられていた。

後ほど調べた結果、その尾行者は次期当主を狙い家のバランスを崩そうとする者であると分かった。
有栖川邸は強大であるため、内外に敵が多い。
実行犯は末端だったため大本は分からなかったが、これを機に尾行者と私物の紛失騒動はひとまず幕を閉じた。

​───────

後日、正式に鷹臣を護衛に任命した。
その類稀なる才能と共に素行不良も有名だったため難色を示されたが、コンクールの際に櫻子を守ったという実績を盾にした。

「ふふ、やればちゃんとできるって信じていましたわ」
「これからは正式にわたくしの護衛として頼りにしていますわね?」

嬉しそうな様子で櫻子は微笑む。

「初めて出会ったあの時から、俺は頭のてっぺんから爪先まで櫻子様のものです」
「命にかけて、お守りします」

鷹臣は毅然とした態度で告げた。

「拳銃を出さなくても大丈夫でしたもの、これからもこの調子で頼みますわね?」
「それは約束出来ません、必要があれば出します」
「どうしても?」
「はい、どうしても」

相変わらず頑固な鷹臣に櫻子は溜息をつく。

「…………はぁ、仕方ありませんわね」
「全く使うな、とは言いません。でも使い所は考えてくださいまし?」
「衆目に晒されては、守れるものも守れませんわ」

その櫻子の言葉に鷹臣はやけに素直に「分かりました」と答えた。

その時、コンコンとノックの音が響く。

「櫻子様、ベネットです」
「入ってちょうだい」

カチャリと、扉が開く。

「なんで小娘が」
「わたくしが呼びましたの」

ベネットと鷹臣が対峙する。

「こうしてお会いするのは初めまして、ベネット・ラングマンです。学内における櫻子様の護衛をさせていただいております」

ベネットが丁寧にお辞儀をする。

「こんな小娘に何が出来るんだ?常に櫻子様の傍にもいれないガキ風情が」

開口一番、鷹臣は憎まれ口を叩く。

「素行の悪い貴方に胸を張って櫻子様が守れるのですか?櫻子様が貴方の振る舞いにお困りになっていること、まさか分からないのですか?」

ベネットは微笑んだまま反論した。

「綺麗事ばかり言ってどうする?お嬢が害されてからじゃ遅いってことが弱いおツムじゃ分かんねぇのか?」
「それで櫻子様にご心労を負わせてしまうのは致し方ないことだと?なんとも傲慢ですね」

バチバチと火花が飛び散るような口論を続ける2人。
見るに耐えかね、櫻子は2人の間に入った。

「2人とも、不毛な言い争いはやめなさい。それに鷹臣、言葉遣いがよろしくなくてよ」

櫻子に仲裁に入られ、さすがに言いすぎたと思ったのか、2人は素直に言い争いをやめる。

「……すみません、櫻子様」
「私も頭に血が上っていました」

頭を冷やした2人を交互に見て、櫻子はぱんと手を叩く。

「本題に入りましょう」

「ベネット、鷹臣はあらゆる体術に長けているのよ
貴方はもちろん強いけれども……どうかしら、鷹臣に指導してもらうというのは」
「は?なんでこんな小娘のために、そんなことしている暇があるなら櫻子様の護衛をさせてください」

櫻子の言葉にすかさず鷹臣が反論する。

「鷹臣」

櫻子は微笑み鷹臣を見て有無を言わさぬ声色で名を呼ぶ。

鷹臣は反論をやめ、「……はい」と頷いた。
満足げにそれを見て、櫻子はベネットを見る。

「……櫻子様がそう仰るなら」

ベネットが頷くのを見て櫻子は嬉しそうに微笑んだ。

「ふふ、決まりね!ベネットはきっともっと強くなれるし、鷹臣は他の人と関わることで協調性を身に付けられるかもしれないわ」

櫻子が満足げな様子であるのと反対に、2人は何とも言えない表情をしていた。

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