見出し画像

【瑞木瑠衣SS-4】 “普通”の仮面

瑞木瑠衣は天才だった。

生まれた時から見聞きした全てを記憶する能力を持っていた。
故に、周囲の人とは見ている世界はまるで異なっていた。

「僕は、みんながなんで分からないのか分からない」

本当に、心底理解出来ないと。
何故皆は1度見たことをすぐ忘れてしまうのだろう。
授業での質問に間違えた子に「わざと?」と聞き、その子に泣かれてしまったこともあった。

それでも、瑠衣には何故その子が泣いたのか理解出来なかった。

​───────

瑠衣の瞬間記憶能力は万能という訳では無い。
見るもの全てを余すことなく記憶できる。
裏を返せば何も忘れることが出来ない。
今でこそ多大なる記憶を処理することが出来るようになったが、幼少期の瑠衣にとって、それは簡単なことではなかった。

街の中は情報で溢れている。
溢れる情報を処理し切れず、瑠衣はよく地面に蹲り頭痛に襲われていた。

それを見兼ねて母に連れられた病院で先生に勧められ、瑠衣は絵を始めた。

見たものをスケッチブックの上に再現し、ゴミ屋敷のような頭の記憶をひとつひとつ片付けていくように。
絵を描いている間はスケッチブックの外の情報が自分の内に入る出力を幾分か下げることもできる。
瑠衣にとって絵は無くてはならないものになったのである。

───周囲の人間のことを理解できず、周囲も瑠衣のことを理解出来ない。

絵を描き始めることで外で蹲ってしまうことも少なくなり、その天才性がより露わになる。
それと同時に瑠衣は周囲と異なることをより自覚し、周囲もまた瑠衣を自分達と違うものとして見る。

孤立は必然だった。

​───────

出る杭は打たれるものである。
人間のコミュニティにおいて、周囲に馴染めぬ者は排除される。
社会という調和を乱すものに人が向ける視線は常に冷酷だ。

最初は単なる無視だった。

しかしそれは次第にエスカレートしていく。
私物を隠すことや悪口は序の口。
時には見えない所への暴力すらも振るわれるようになる。
陰湿に、確実に。
瑠衣はいじめを受けるようになっていった。

瑠衣には何故虐められているのか分からない。
自分の知識に問いかけても、その答えは見えるものの中には無い。

なんで どうして やめて

その声は届かない。

「調子乗るな」「人を見下したような目線が気持ち悪い」「近寄らないで」「黙ってばっかで何考えてるか分かんない」

冷たい言葉ひとつひとつが突き刺さる。

ひとりの天才は、群れの力には弱かった。

そうしていくうちに1年が過ぎた。
クラスが変わっても終わらない虐め。
引き続き担任になった教師は何も気付かない。
家に帰っても鮮明に思い出される周囲の言葉や拳に眠れない夜はもう数え切れなくなっていた。

瑠衣はもうとっくに限界を迎えていた。

階段を一歩ずつ登っていく。
常に閉じられた屋上の鍵を開け、扉を押す。

そして、フェンスの傍まで歩いていき、そのまま、

───足を踏み出し、真っ逆さまに落ちていった。

​───────

目が覚めると、目の前に白い天井が広がっていた。
運が良かったのか悪かったのか、瑠衣は死ななかった。
身体中が痛い。

入り口からどさり、と何かが落ちる音がした。

「る……瑠衣……?」

「母さん」

「瑠衣、目が覚めたのね!?瑠衣!」

入り口に立つ母は、床に落ちた鞄をそのままに瑠衣の元へ駆け寄る。
そしてそのまま抱きしめ、しばらく泣き続けた。

瑠衣はあの後、教師に発見され病院へ救急搬送されたらしい。
骨を折ったらしいが、保存療法で治るだろう、と医師からは言われた。

しばらく入院は続いたが、後遺症もなく瑠衣は退院となった。

───退院した瑠衣に、両親の離婚が決まったとの報せが届いたのは間も無いころだった。

​───────

久しぶりの自室のベッドに潜り込む。
しかし中々寝付けず、しばらくベッドの上でごろごろと過ごす時間が過ぎる。

瑠衣は水を一杯飲もうと、台所へ降りることにした。

足音をあまり立てないのは瑠衣の癖だ。
瑠衣は元来物静かであらゆる主張が乏しい。
例に漏れず、今日も静かに台所へ向かっていた。

ふと、瑠衣はリビングの方から話し声が聞こえてくることに気付く。

母の声だ。

「かあさ……」

「もうどうしたらいいのか分からないの!あの子の事が分からないわ私!」

瑠衣は声を掛けかけて、そのまま噤んだ。

「なんで、私はちゃんと育ててるつもりなのに、なんであの子は普通じゃないの!?何考えてるのか何も分からない、分かってあげられない!」

その場から、動けない。
全身の血が冷たくなっていくような感覚がする。

「こんなことならあの人の言う通り、そういう特別な教育を受けさせれば良かったの!?私は普通でいいのに、普通に幸せならいいのに!」

「特別な才能なんて、要らないのに」

そっか、そうなんだ

母の言葉を聞き、瑠衣は思い至る。

僕が、僕であることがいけないんだ

なら───僕はいらない

───その日、瑞木瑠衣のペルソナは生まれた。

“普通”であるために

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?