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懸垂逆上がり:3・蹴上がり:4→体育成績

 何人も会ったお見合いの相手のうち、地元の近隣の公立中学卒業の人がいました。
 ※その人とは初回で断られました。

 私の中学の頃は、「3年B組金八先生」の初回放送の頃で、全国的に中学校が荒れていたとされている時期でした。

 相手に、「○○一中出身」と言うと、相手は、「○○三中出身」で、話が合うかと思いきや、「○○一中」が大変荒れていたのをその人は記憶しているらしく、大変いぶかしがっていました。

 しかしながら、私の通っている時期の「○○一中」は、全く荒れておらず、私の同級生は、相当数が有名大学に進んでいます。
 ※W大学とか、K大学とかは、普通にいましたね。ただし、国立大学じゃないと、ちゃんとした大学じゃないという時代の雰囲気でした。今とだいぶ様相が異なっていましたね。

 今は、不登校の子が、クラスに2名くらいいるのが、普通のようですが、そんな子は誰もいませんでしたし、授業中に歩き回るなどの学級崩壊なども、あり得ない感じでした。

 私は、勉強はよくしていましたが、競争意識はあまり高くなく、また、オール5というような成績ではなかったです。

 私は、勉強はできる方でしたが、それ以上に、面白いことを言うことが好きで、しょっちゅうギャグを言って、周りを笑わせていました(結構、人気者だったと思います。)。

 私は、クラス推薦で、学級委員をやっていましたが、学級委員長として、学校集会で話すこととなり、その原稿を作り、用意していました。

 事前に、担任が、「見せてみろ」と言うので、原稿を見せると、真面目な内容なのに、「真面目に話すように」と言われ、学校集会で真面目に発表すると、前列の女子生徒が、思わずぷっと吹き出していました。

 担任に、クラスのみんな用に数学の自主学習課題に向いたドリルを作って欲しいと言われ、あんまり易しいのは良くないなと思い、作ったのは、難しすぎて、担任からは不評でした(先生の仕事なのに、生徒にやらせるなんて、のんきな時代ですね。)。

 あるとき、学級委員全体の発案で、比較的自由になる学年の1コマを使って、「一日校庭、遊び放題」と題して、事前の練習を経て、学年全体のフォークダンスとクラス対抗の全員リレーをやりました。かなりの盛り上がりだったのを記憶しています。

 中三の2学期の成績は、高校進学の際の内申書の成績になるため、みんな大変神経質になっていましたが、体育の先生が、面白いことを宣告したんですね。

 「懸垂逆上がりができたら、体育の成績に3、蹴上がりができたら、4をやる。」

 当時の成績は、5段階の相対評価ですから、成績の割合はバッチリ決まっています。

 その中で、練習次第で、誰でもできるようになる(かもしれない)鉄棒の課題を出したのは、結構、今思うと、先生にとっても、挑戦的な課題だったように思います。

 果たして、私の友人らは、朝な夕な、休日も、学校に鉄棒の練習に通いました。
 ※今思うと、練習に来ている奴らは、みんな成績優秀な人ばかりでした。こういう練習を欠かさない人は、学校の成績も必然、良くなるのでしょうね。


 鉄棒の試験の時は、悲喜こもごもでしたが、練習に来ていた子らは、きちんと懸垂逆上がりも蹴上がりもできていました(私もできました。ある意味、上質な機会均等です。)。

 私の内申書は、5と少々の4ばかりで、結構良かったのに、都立のトップ校は受験せず、先生に大変不思議がられました。

 私の学年は、他の学年よりも、かなり優秀な人がそろっていたようです。

 農作物のように、学年にも、表年・裏年ってあるんでしょうかね。不思議ですね。

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