「近代の超克」について
ポスト・ヒューマニズムについて調べていると「人間中心主義」といわれている西洋の社会・政治・科学の軸、西洋の男性が中心の「人間」の概念からの逸脱だという。これはフェミニズムの文脈でも繰り返し語られている。
そして、東洋の思想は「人間」を中心とせず、自然と調和した思想があり、オルタナティブな世界の捉え方をしているという語り口もよく見かける。
日本に独自の哲学はある。でもそれは「近代の超克」という負の遺産とともにある。
京都学派
西洋哲学とは異なる日本独自の哲学「京都学派」は、日本近代思想史を代表するものとして知られている。
京都学派を率いた西田幾多郎は「西洋は実在の根底に『有』があり、東洋は『無』を根底に考える文化形態」であることを説いて、インド仏教の「空の思想」から受け継がれる日本のオルタナティブな哲学の在り方を示した。しかし京都学派の戦争加担によって、世界の潮流とは異なる独自哲学というものの具体性は疑われ、戦後は批判の対象となった。
加藤周一が、日本浪漫派が戦争を感情的に肯定する方法(言葉の綾)で魅惑したとすれば、京都学派は戦争を論理的に肯定する方法(論理の綾)を提供したと表現したことは有名。
近代の超克
「近代の超克」は、大東亜戦争開戦の直後に「知的協力会議」と銘打って開かれたシンポジウムで、文芸誌『文学界』に掲載された。当時の知識人たちが集まり、日本が「世界経営」に取り組むための超克論を展開した。
参加者の大半は京都学派(「世界史の哲学」派)の哲学者、旧『日本浪曼派』同人・『文学界』同人の文学者・文芸評論家により構成されていた。
西谷啓治 - 京都学派の哲学者。京都帝国大学助教授。論文「「近代の超克」私論」を執筆。
諸井三郎 - 音楽評論家。東洋音楽学校・東京高等音楽院講師。論文「吾々の立場から」を執筆。
鈴木成高 - 京都学派の西洋史家。京都帝大助教授。
菊池正士 - 物理学者。大阪帝国大学教授。論文「科学の超克について」を執筆
下村寅太郎 - 京都学派の科学史家。東京文理科大学教授。論文「近代の超克の方向」を執筆。
吉満義彦 - 哲学者・カトリック神学者。東京帝国大学講師。論文「近代超克の神学的根拠」を執筆。
小林秀雄 - 文学界同人の文芸評論家。明治大学教授。
亀井勝一郎 - かつて日本浪曼派に参加し、文学界同人の文芸評論家。論文「現代精神に関する覚書」を執筆。
林房雄 - 文学界同人の文芸評論家。論文「勤王の心」を執筆。
三好達治 - 文学界同人の詩人。明大講師。論文「略記」を執筆。
津村秀夫 - 映画評論家。朝日新聞記者。文部省専門委員。論文「何を破るべきか」を執筆。
中村光夫 - 文学界同人の文芸評論家。論文「「近代」への疑惑」を執筆[1]。
河上徹太郎 - 文学界同人の文芸評論家。論文「「近代の超克」結語」を執筆。
近代の超克 - Wikipedia
「近代の超克」(1942年7月実施)と近い時期に開催された座談会「世界史的立場と日本」(1941年11月と12月、1942年の11月実施)は戦後、知識人たちが戦争とファシズムに加担したことから、幾度となく批判対象になっている。
60年安保闘争直前の竹内好による近代の超克論では、「近代の超克」の最大の遺産は戦争とファシズムのイデオロギーであったことではなく、戦争とファシズムのイデオロギーにすらなりえなかったことを指摘している。
1980年代、司馬遼太郎は随筆集『この国のかたち』で、「近代の超克」について「愛をこめたおかしみを感じた」そうで、「近代の超克」で語られる「近代」はヨーロッパ由来の輸入品であり「まことに痛ましいほどに品がよく、教養的」と述べている。
「近代の超克」で定義されているのは、明治政権が欧米から学問・技術のかたちで買った「近代」で、実際には日本式の近代が江戸から既に存在していたという。江戸中期以降の商品経済社会は朱子学の思弁性も封建社会の権力もつけ入る隙はなく、神仏への思いや家格の権威より、現世的な人間主義を持ち自律していく流れが始まっていたと書いている。
1990年代半ば、大江健三郎は「近代の超克」について『大江健三郎 柄谷行人 全対話 世界と日本と日本人』で「日本という国家の進み行きと、哲学は寄り添ってしまっていましたから、戦争が終わると、哲学の敗北もありました。戦後、新しい哲学とともに日本は出発したのか、またどの人がその哲学者に当たるだろうか、それがよくわからない。」と語っている。
2021年、シンガポールのアーティスト、ホー・ツーニェンは「京都学派」をテーマとしたVR作品で「世界史的立場と日本」をVR上で再現した『ヴォイス・オブ・ヴォイド—虚無の声』を発表した。
ホーはデヴィッド・ウイリアムズの『京都学派と戦中の抵抗の哲学(The Philosophy of Japanese Wartime Resistance)』を読み、京都学派が戦争を肯定していることに衝撃を受けたという。
TOKYO2020
2021年、コロナ禍で強行されたTOKYO2020は、ホモソーシャルな会議、度重なる開閉会式演出チームの辞任・解任があり、「United by Emotion(感動で、私たちは一つになる)」というテーマを掲げても、圧倒的に体現し得ない結果に終わった。
戦争加担につながった「近代の超克」とは性質は違うが、実態が伴わない机上の空論という点は共通点がある。
実現されなかった女性の演出家の台本がメディアに売られ、実現しなかった日本を世界に誇る開会式が夢想された。
世界に対して見せたい「理想的な日本」は、戦中から高度経済成長期まで文化政策で重要な意味を持つ。朴祥美『帝国と戦後の文化政策――舞台の上の日本像』によると、独自文化理念の確立のために、文化政策を用いて、西洋列強の覇権(ヘゲモニー)に挑戦する願望も濃かったという。この本の冒頭は2016年のリオ五輪で次期開催都市東京の引き継ぎのシーンから始まる。
2016年のリオ五輪では「クールジャパン」を打ち出した演出が好意的に受け入れられ、「望ましい日本像」を対外的、国内的に打ち出される期待感がこの頃はまだあった。
岸田國士戯曲賞で知られる作家・演出家の岸田國士は、戦時期を通して幅広く文化政策に携わった。「美も亦(また)力」という言葉は地方での文化運動の理念を表し、岸田は日本人が「品位」を保つことが国家の威信に繋がり、また優れた文化形成でアジア諸国を「指導する」日本の立場に欠かせないと語っていた。そこにあるのは労働者・青年・農家の意欲向上など能率や生産性の増大という目的。戦時期に国家管理のもと国民に奉仕した劇団には宝塚歌劇団も含まれ、宝塚はTOKYO2020閉会式にも出演している。
ナルシシズム
自文化礼賛の個と集団を接続する考えは、客観的認識や合理的判断を欠いたナルシシズムのように思われる。
ナルシシズムの一般的な定義は————自惚れ、自己礼賛、自己満足、自己讃美————と思われがちかもしれないが、アメリカの社会学者リチャード・セネットは「ナルシシズムは強い自己愛の正反対の自己憎悪を伴う」という。
1979年、歴史学者、社会批評家のクリストファー・ラッシュが『ナルシシズムの時代』にて、ナルシシズム的パーソナリティと現代アメリカ文化の性格を考察し、個人主義が直面するナルシシズムをこう表現した。
依存的関係を結ぶことへの恐れや内面の空虚さ、どこまでも抑えつけられたままの怒りや、満たされない口唇刺激への願望などがあいまって、他人から与えてもらえる、いわば代用品の温かさに頼りきるという症状、これがナルシシズムなのだ。
TOKYO2020など、最近日本で話題になることが増えた「キャンセル・カルチャー」。それを推し進めている個人の問題を政治化したアイデンティティ・ポリティクスを語る際、約40年前に書かれたクリストファー・ラッシュの『ナルシシズムの時代』が引用されているのをたまに目にする。現代のアイデンティティの変容を鋭く捉えているが、解決策は提示されていない。
自己愛のナルシシズムと自己憎悪のナルシシズムのどちらが正しいかはわからないが、どちらも批判対象の視野の狭さを表すのに使われている。自文化礼賛のナルシシズムを批判したところで、正しさを獲得するわけではなく、別のナルシシズムと表裏一体かもしれない。
ものの見方
日本独自の哲学は戦争協力という忌まわしい過去と隣り合わせで、ナルシシズムに陥らず日本文化を誇る「ものの見方」を考えるとき、菅原潤『京都学派 』にあった上山春平の視座は参考になる。
哲学者・上山春平は戦時中、人間魚雷「回天」に搭乗していた。
上山の論考は冷静に自身や国の過去を受け止めて日本文化を語る姿勢がある。日本の思想を引き立てるために中国由来を否定する形式は取らない。
例えば、江戸の終わり国学という学問を形づくった本居宣長についての語りで、日本文化が輸入と模倣を経てかたち作られてきたことを、こう表現している。
本居が、「大御国の古意」と言っている日本の思想や文化の原型をたずねて、今日の思想や文化からつぎつぎと外来的な要素をはぎとっていくとしよう。私たちは、はたして、どこまでさかのぼれば、純粋に日本固有の思想や文化にめぐりあえるだろうか。おそらく、弥生時代あたりまでもさかのぼれば、かなり古朴なおもかげにめぐりあえるにちがいないが。
上山春平『神々の体系──深層文化の試掘』
自文化を誇るには謙虚さがなければならない。戦後76年経って一層そう思う。
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