遠北千南を知るということ
最初の出会い
出会いは2018年8月の31日の初ツイートだった。
ちょうどそのタイミングはSEEDs24hをやっていた時間で軽く流していたと思う。多分いいねをしただけでリプは送らなかった気がする。
SEEDs2期生第2弾という括りでデビューした遠北はビジュアルだけでいうとSEEDs2期生の中で最も好みとは遠い存在だった。
迎えた遠北千南の初回配信。アップテンポのBGMでリスナーからはラスボスBGMと呼ばれ、そのテンポにつられてか、話のスピードも速くなって行ったり、当時SEEDs内、というよりOTN組内で流行っていたコックカワサキのモノマネをしておもしれー女って思ったのを覚えている。
当時は人数的にギリギリにじさんじ全員を推せる人数だったのもあって遠北が配信するたびに半ば箱推しの義務感のようなものもあって見に行っていた。
面白い娘だけど、推しにはならないだろうなって思ってたが遠北はとある配信をした。
遠北千南にハマるということ
彼女の誕生日配信でのこと
遠北の話すエピソードのひとつひとつが若くて遠北千南という少女が実際にいて、紛れもなく中学3年生の女の子なんだって言う事を感じ取った瞬間、僕に電撃が走った。
僕にとってバーチャルYouTuberという存在、特に生配信をメインにしている人達は真実と嘘が3:7の割合で、例えば年齢だったり、種族だったりとそういった嘘を含めて楽しむのがバーチャルYouTuberだと思う。でも遠北はその割合が7:3だと感じた。
僕はその真実の割合の多さにより魅力を感じ、何より当時高2だった僕にとって歳の近いと言うことに親近感を覚えた。多分この親近感が僕が遠北に強く惹かれていったんだと思う。
誕生日配信の前にあった黒歴史配信から遠北千南がちょっといいなって思っていたが多分この配信で遠北が完全に推しになった。
それから遠北千南の配信を追っていくとよりその真実の信憑性というか、真実が感覚で本当なんだと伝わってきた。それで僕はどんどんと遠北千南にのめり込んでいった。
好きになっていった
遠北千南が引退するということ
にじさんじライバーは沢山増えた。増えれば増えるほど僕の中で遠北千南はより一層輝きを放っていく。
メタいしそういうのが苦手な人もいると思うので言葉を濁して卯月コウの言葉を借りると、にじさんじ1期生2期生、SEEDsが公園の綺麗な花のようで好きだった。雑草の美しさが好きだった。
でも、統合後以降のにじさんじは花屋の花の美しさへと変わっていった。
もちろんそれが悪いわけではないし、それが好きな自分もいる。
でもその花屋の分だけ僕には嘘の割合が多く見えて、真実の割合が多い遠北により惹かれていった。
そうして惹かれていった分だけ彼女が引退を発表した時、涙が溢れた。辛かった。悲しかった。
そして何より真実味が増した。
遠北の兄は一昨年大学受験をして、姉は今年大学受験をした。次は遠北千南の番だし、高校生2年生部活や勉強など他にも大変な事も増えていくだろう。
遠北にとってライバーはあくまでも本業じゃない。一番は生活だ。勉強だ。ライバーというものが枷になったらやめるだろう。
高校生だ。他にやりたい事ができてライバー活動が枷になったらやめるだろう。
高校生だ。当然のことだろう。人生は長い。遠北の選択が僕により遠北千南のリアリティを突きつける。
僕はその遠北のリアリティに惚れてリアリティによって遠北と別れる。
1年以上ずっと遠北を見てきてたぶん、と僕自身に都合のいい言葉を言いたくなるが絶対ににじさんじに戻ってこないことは分かる。僕は遠北千南のファンだもの。決意が伝わってくる。
そもそもにじさんじを引退して復帰すること自体ネタにされているがかなり特殊な例だ。『笹木は嫌われている』を聴きなおしてほしい。簡単に辞めた訳じゃない。簡単に戻ってきた訳じゃない。
だから絶対なんだ。今日は遠北に一生の別れを告げなければいけない。
僕は今日が終わった瞬間に遠北千南とは触れ合えず、遠北千南という概念を追いかけ続けるだろう。
高校2年生の遠北千南。僕が中学3年生の少女にであった年齢。それを僕は見ることは出来ないけれど、その概念を見続ける。
厄介なファンだったけどちな民で居させてくれ嬉しかった
配信中にコメントを読まれるだけで1週間のやる気が出た
スパチャして名前を呼ばれるだけで涙が出た
ありがとう遠北千南
愛してる
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