電車に乗る、ありえない数の男女が浴衣で次々に乗り込んできて、特定の駅でみなぞろぞろと降りていく。

経験的に『祭りか花火大会が今日なのかな』と感じたりする。いつもの駅で降りると改札横に今日が花火大会である旨を知らせるポスターがあり、意図せず答え合わせができる。

それと同時に自分以外の人類が数日前から今日を楽しみにし、綿密に計画を立て、今日ですら浴衣を着込み、今夜は思い出に浸り…という一連の体験をしていたのかと思うとそこそこな疎外感と、『なぜそのイベントに今の今まで気づかなかったのだろうか』『なんならこのポスターも、さっきの浴衣の群衆もだった今生まれたのではないか』というSF感を同時に感じたりする。

こういう小さな季節のイベントを捉えられなくなっていくうちに人の心は老けるのだろうか。『また来年でいいや』と思ううちに大した感性の成長もないままに来年の夏を捕まえそこねるのだろうか、それともしがみつくようにtokyo walkerをブックマークし公式LINEの友達登録なんかしちゃうのだろうか。

でも気をつけたいのが概ねここまでの思考実験は根本に被害妄想や劣等感があることだ、浴衣の群衆なんてそれこそジャニーズのファン感謝祭だったりする。その事実にSNSのパブサでたどり着いた時の過剰防衛感たるや。

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