好きな食べ物はピザ

世の中、真面目に生きるとその分だけ損したり不真面目でも器用な方が得をしたりすることはあまりにも多い。不条理だとも思うし、仕方ないとも思う。

例えば『好きな食べ物はなんですか?』なんてベタな質問がある。バカ正直に答えると『てんやです』となるのだが、これは正しくて正しくないのが現代社会。『好きな食べ物はなんですか?』の裏には『あなたについて知りたいです』『共通点を探して共感して心理的距離を縮めたいです』『もしあなたの好きな食べ物の中で、知っているおすすめの店があれば今度一緒に行きましょう』みたいな、もう数択の正解の会話ルートが用意されていたりする。


ここでバカ正直に『てんやです』と話してしまうと、『じゃあ今度てんやに行きましょう!』とか『誕プレにてんやのタレをあげますね!』とはなりにくいのである。最悪のケース『空気の読めないやつ』というレッテルを貼られる恐れもある。

だから好きな食べ物は『ピザ』でいいのだ。『美味しいイタリアンあるよ』ともなりやすいし『ぶっちゃけサイゼのピザでもいいんですけどね!』『じゃあ今度サイゼで飲もう』ともなりやすいし、『宅配ピザでNetflixしよう』ともなりやすい。だから、ピザでいい。ピザが好きなら嘘にはならないし、ピザを好きになる努力はそんなに大変でもなさそうだし、ウケを取りたいなら『高麗カルビです』とか言っとけばいい(面白いかは知らない)。ちなみに、ピザ大好きです。251の手前の角のとこのピザスライスは本格ニューヨーク感があってマイブーム。

これを世渡り上手だとか、社会人力と呼ぶのかもしれない。自分に嘘をつかない範囲で、回答たりうる択の中からその場にとってノンストレスなものを選び取る行為がコミュニケーション能力なのかもしれない。ただ、これを繰り返すと自分の中の『てんや認めてくれ欲』みたいなのが肥大化して、暴走するかもしれない。暴れ出したてんやは人前で暴れるかもしれないし、ふとした時に自分に牙を剥くかもしれない。

この辺の承認周りがこじれた人をみると、『ああ、てんやだなあ』と思ってしまう。もうそうなってしまったら、万人の中からてんやが好きな人を探すしかないし、見つけられたら全力で仲良くなってしまえばよい。

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