心はどこにあるの?という問い
(2020.07.07に書いたブログ記事を転記したものです)
院生の頃,いろいろな人に「心はどこにあるの?」と尋ねていた記憶があります。「脳だよ」「その人に備わっているもの」「人と人との間」など多種多様な答えがありました。が,当時はどれも納得できませんでした。
当時,納得できないなかでも,最もしっくりきたのが「人と人との間」でした。しかし,心は人と人との間にあるはずなのに,個人を対象として調査・実験を行うことには違和感がありました。
今振り返ると,「心は人と人との間」にあると考えながら個人を対象にしていたのは,それしか方法がなかった(知らなかった)からなのかなと思いますし,最近はマルチレベル分析も心理学では頻繁に使用されるようになったので,そのBetweenレベルが「人と人との間」,つまり「心」だと言えるようになったのかもしれません。(マルチレベルについてはこちらをご参照ください。)
でも,やはり,その分析方法を使っても測定の時点では個人を対象にしているわけで,「心」を「人と人との間にあるもの」と考えるのならば,個人から測定されているものは何なのでしょう。「心ではないもの」なのでしょうか。もし,個人から測定されるのが「心ではないもの」だとしたら,「心ではないもの」から分析によって「心」が析出されるとはどういうことなのでしょうか。私にはよくわかりません。
結局,「人と人との間」が「心」だと考えている人も,心理学的な測定をしている限りは,「心」を「個人に備わっているもの」として暗黙のうちに前提としているのだと思います。
だから私はそれを乗り越えたくて,心理尺度を問い直すための研究を始めましたし,恋愛を捉える方法を変える提案もしました(詳細は『対人関係を読み解く心理学』第4章)。その方法を実際に試みた論文も書きました(under review)。
ですが,まだまだ「心」を十全に捉えられているのかよくわかりません。そして,心理学の研究を見ていると,心理学の研究者が「心」をどのように考えているのかもわからなくなってきました。この社会は謎ばかりです。
ところで,「心はどこにあるの?」という問い自体がミスリーディングなのではないかと最近思っています。「どこ」という問いが空間的な実在を前提としているようにうつるからです。
「心はどこにあるの?」という問いから「心はどのようにしてあるの?」という問いへ発想を転換させる必要があるのではないか,近頃はそう考えています。
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