コンカフェ店員の話が未だに頭の中をぐるぐるしてる
この間新宿のコンカフェに行った。Twitterで見かけた可愛い女の子に会いに行くためである。歌舞伎町の薄汚れたビルの中の2階、建付けの悪そうなドアが中途半端に閉まっている。場所も場所だけに、入るのがめちゃくちゃ怖い。中にいかつくて怖いおっさんがいたらどうしよう。
意を決して入ると可愛い女の子が数人いてとても安心した。開店から間もないのに中には他のお客さんが数人いた。テーブル席に通され、名前を聞かれる。こういうときはたいてい本名を答えることにしている。1時間1000円未満のチャージと1ドリンクという比較的良心的な価格設定。チェキも安かった気がする。お客さんも少ないのか、キャストの女の子が代わる代わるテーブルについてお話をしてくれる。とても可愛い。生きててよかったな、となる。
キャストは7人程度で、女の子は数分で変わっていくが途切れることはない。久々にこんな数の女性と会話したな、と思う。名前が特徴的な女性やヤンキーっぽい見た目の方がいたり、女優みたいに美しい方もいた。どの人とお話していても楽しく、コミュ力すごいなぁと思っていた。
黒髪ロングのお姉さんが来た。彼女はまだ入って1ヶ月くらいだという。会話の中で「わたし理系だよ」と言われたので詳しく話を聞くと、大学でとある研究をしていたという(内容は伏せます)。話を聞けば聞くほど、相当レベルの高いことをやっていたんだと分かった。大学もきっと上位校だろう。私はふと、「なんでここで働いているの……」と、心の声が漏れてしまった。
大学院に落ちてしまい、金融関係の職に就いたという。合格していれば研究を続け、それを活かした職に就く予定だったらしい。事情は知らないが、あまり望まない進路となってしまい、「すべてが嫌になった」らしい。いい大学を出て、無事に就職できて、一見順風満帆だが、一般的に望まれていることは必ずしも満足を生むことではないのかもしれない。彼女は心底嬉しそうに、「フリーターは最高だよ。昼に起きて夕方出勤する」と言っていた。
ここからは想像だけど、きっと大学を卒業して、いい会社に就職して、いずれ家庭を作って……と人生を歩んでいくことが幸せなんだと信じて何も疑わずに生きてきたんだと思う。私もまだそう。不合格になるという挫折を味わい、不本意な仕事に嫌気が差したのかもしれない。ステレオタイプ的な幸せに向かって想像通りに進む人生に退屈したのかもしれない。幸せって何だろうという話はちょっと前にも考えさせられた。ひねくれたおっさんと話したときに、「お金稼いで妻と子供がいても幸せって何だろうと思ってしまう」と言っていた。「一回きりの人生だからと言って幸せになる必要があるのか、効率良く無駄ない人生にする意味はあるのか」などとずっと言っていて中学生なのかと思ったけれど、大人にならないと分からないこともあるのかもしれない。
私も半年後くらいには社会人になっているらしい。きっと、これから並大抵の人生を歩んでいけるんじゃないかという漠然とした思いがある。だけど「すべて嫌になっ」てすべて手放してしまうときが来ることも考えられる。そうなったときにどうするべきかまだ判断できないが、よりよい選択をしなければならないという固定観念も捨てる必要があるのだろうか。
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